彼女が電波を止めた訳
今日はクラスのみんなとキャンプ。
一年に一度の楽しみ。
キャンプの目的地は学校の近くの山、星山の頂上まで登ること。
今はまだ山の中腹。
頂上は全然見えない。
まだ先は長そうだ。
「良介。」
後ろの方から、僕の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。
「何?」
僕は振り返ると、そこには健人、一之瀬健人がいた。
「何だよ。テンション低いな。もっとはしゃごうぜ。」
「僕のテンションはいつもと同じだよ。」
「だからさ。せっかくのキャンプなのにいつもと同じテンションなんて、つまらないだろ?」
「そんなことないよ。」
僕がそう答えると健人は僕の首を絞めるように肩を組んできた。
「痛いって。」
「いいから、聞けって。」
「何?どうしたの?」
健人は周りをちらちらと見て、小さな声で言った。
「良介は誰か好きな子はいるのか?」
「えっ?す、好きな子?」
「ああ。」
「何で、そんなこと聞くのさ?」
僕は少し顔を赤くしながら小声でそう言うと、健人はニヤッと笑った。
「何でって。そりゃあ、告るには今日が絶好の日だからさ。」
「告るって。健人は誰かに告白するの?」
「うーん。まあな。」
健人は少し照れながら鼻をこすった。
「本当に?誰に告白するの?」
「中川さん。」
「中川さんって、あの中川花菜さん?」
「ああ、そうさ。あの中川さんだ。」
中川さんと言うのは、ちょっと変わった女の子。
一言で言えば電波少女。
話の途中にいきなりどこかに行ったり、授業中に突然火星からの電波を受信すると言って窓から手を出したりと、不思議な子だ。
でも、かわいいから男の子から人気があるみたい。
僕にはよくわからないけど…。
「中川さんって、あの子はちょっと…。」
「どうした?かわいいだろ?」
「うーん。まあ、そうだけど…。」
僕はどんなことを言えばいいか考えていると、後ろから頭を叩かれた。
「おい、そんな所で立ち止まるな。仲が良いのはわかるが、歩きながらでも話はできるだろ?」
僕の頭を叩いたのは高橋先生だった。
「はーい。」
僕達はそう答えると、鉄砲玉のように走りだした。
夕方。
僕達は山頂に到着した。
結構疲れた。
「集合。ちゃんと全員そろっているか確認するぞー。」
高橋先生はそう言うと、出席簿を取り出した。
「赤崎稜。」
「はい。」
順調に確認が進んでいった。
まあ、山は一本道だったから迷子になるはずもないしね。
「橘良介。」
僕の番まですぐに回ってきた。
「はい。」
その後も確認は進んでいった。
確認ももうすぐ終わる。
そうすれば、弁当を食べてテントを張って…。
そんなことを考えていると、周りがざわざわとざわめいてきた。
「中村。中村はいないのか?」
大橋先生の慌てる声にみんなが周りを見渡していた。
「いません。」
「いないよ。」
「こっちも。」
あちこちからそんな声ばかりが聞こえてきた。
僕も周りを見てみる。
中村さんは確かにいなかった。
「中村ははぐれたのか。誰か、山を登る途中で中村を見なかったか?」
大橋先生の質問にいろいろな声が上がった。
でも、山の中腹以降に中村さんを見た人はいなかった。
「先生は中村を探しに行って来る。みんなはここで待ってるんだ。」
大橋先生はそう言うと、鞄を地面に投げて走りだそうとした。
「待ってよ。俺達も一緒に探すよ。」
健人は先生の腕を掴んで、そう言った。
先生は振り返り首を横に振った。
「だめだ。」
「何でだよ。探す人は多いほうが早く見つかるだろ?」
「山は危険なんだ。おまえだって迷子になるかもしれない。」
「俺は迷子になんて…。」
「それにだ。こういう時はばらばらになるほうが危険なんだ。今は、大人しく待っててくれ。」
「嫌だ。俺は行く。」
健人は先生の目を睨むように見つめた。
「一之瀬…。」
「僕も行く。」
先生の声を遮るように僕は叫んだ。
「俺も。」
「私も行く。」
そして、僕に続くように何人かそう叫んだ。
「おまえら…。」
「先生。止めても僕は行くよ。健人だって。みんなもきっと…。」
「そうだ。俺は行く。」
僕を後押しするように健人はそう言って、嬉しそうに僕の方を見た。
「…はあ。わかった。しかし、全員で探すのはだめだ。はぐれてしまう可能性が高すぎるからな。とりあえず、先生と後…五人で探しに行く。残りはここで中村が戻って来るのを待ってるんだ。わかったな?」
先生がそう言うと、みんな静かに頷いた。
集合時間、探しに行く場所の分担を決めて、早速中村さんを探しに行くことになった。
「絶対に一人になるなよ。常に二人以上で行動して、はぐれたらすぐにここに戻って来るんだ。わかったな?」
「はい。」
僕達の捜索はこうして始まった。
一時間後。
空はもう真っ赤になっていた。
「健人。そっちはどう?」
「こっちにはいない。良介の方はどうだ?」
僕は振り返って、いないと返事をしようとした時に足を滑らせてしまった。
「あっ。やばっ。」
咄嗟に手を伸ばしたけど、意味はなかった。
僕は急な坂道を転がるように落ちた。
「おーい。大丈夫か?」
健人の声がかなり上の方から聞こえてきた。
「ああ。うん。大丈夫。ちょっと、体が痛いけどね。」
僕はなるべく大きな声で叫ぼうとしたけど、上手く声を張れなかった。
たぶん、健人には僕の声が届いてない。
「健人。今から行くから、大人しくしとけよ。」
健人の声が聞こえてきた。
それと同時に違う方向から女の子の声が聞こえてきた。
「先生を呼んで来て。」
「な、中村?おまえもそこにいるのか?」
「うん。」
「そうなのか。俺、すぐ行くよ。待ってて。」
「だめ。私と一之瀬君だけで橘君を運ぶのは無理。だから、先生を呼んで。」
中村さんの声は今にも泣き出しそうな、震えるような声だった。
「わかった。すぐに先生を呼んでくる。だから、大人しくそこにいろよ。」
健人はそう言うと、かけ出した。
実際に見えるわけではないけど、そんな気がした。
「橘君。大丈夫?」
「う、うん。体がところどころ痛いけど、これぐらいなら大丈夫さ。」
「よかった。」
中村さんは僕の頭上にいた。
今にも泣きだしそうな顔で、少しだけ嬉しそうに笑っていた。
僕は体を起して、中村さんと向き合うように座った。
「中村さん、こんなところにいたんだね。」
僕はできるだけ自然に笑おうと作り笑いをした。
本当は耳の先まで真っ赤になるぐらい恥ずかしかった。
迷子を探しに行った人が迷子に助けられるなんて間抜け過ぎる。
「うん。」
「僕みたいに、坂から落ちたりしたわけではなさそうだね。」
中村さんの服はほとんど汚れていない。
「うん。」
中村さんは僕が無事とわかってから、何だかいつものような元気がない。
それにいつもみたいにおかしなこともない。
どうしたんだろう?
「ねえ、中村さん。今日はどうしたの?。」
「うん。」
僕の声が聞こえていないのか、聞いていないのか、どこか変だ。
「今日は火星から電波を受信しないの?」
「電波?」
中村さんは不思議そうに僕の方を見つめた。
「いつも、教室の窓から手を出して電波を受信してるでしょ?」
「ああ。うん。そうだね。」
中村さんはどこか納得したように、でもどこかさびしそうに頷いた。
「もしかして、違った?」
「うーうん。違わないよ。ただ、もう止めたの。」
「止めた?」
「うん…。」
中村さんはそう言うと、近くに散らばっていたいろいろな物を鞄の中に片付けた。
便箋。
鉛筆。
消しゴム。
折り紙。
はさみ。
まるで、何かを作ろうとしていたみたいだった。
でも、それが何なのかは僕にはわからなかった。
「何を作ろうとしてたの?」
僕は散らばっていた物を拾って中村さんに渡した。
「私…。」
中村さんは物を拾う手を止めて、僕の顔をじっと見た。
「私、お母さんに手紙を書いていたの。」
「手紙?」
「うん。天国のお母さんに渡したかったの。」
中村さんは空を見上げた。
空は少し暗くなっていたけど、まだ赤く綺麗な夕焼けのままだった。
「そうなんだ。でも、何でここなの?」
「ここは、昔お母さんと二人で来た場所だから…。ここなら届くかもって思ったの。」
「そうなんだ。」
僕はそれ以上何も言えず、物を拾う手も止めてしまった。
何て言えばいいんだろう?
同情?
共感?
それとも、疑問とか?
どうしようと黙ったまま考えていると、中村さんは静寂を打ち消すように口を開いた。
「橘君はお母さんのこと好き?」
「好きだよ。」
「もし、お母さんがいなくなって、新しいお母さんが現れたらどうする?」
「新しいお母さん?」
言われた言葉の意味がわからずにそう聞き返すと、中村さんは無言で首を縦に振った。
中村さんは真剣な顔をしていた。
どうしてそんなことを突然僕に聞いたのかわからない。
でも、今はただ真剣に答えよう。
僕はそう決めて、少し考えてから口を開いた。
「新しいお母さんか。考えたこともなかったな。でも本当にそうなったら、嬉しいかな。」
「嬉しい?何で本当のお母さんとは違うんだよ?」
中村さんは怖い目をしながら僕に近づいた。
「だって、新しく家族が増えるってことでしょ?それなら、嬉しいよ。」
「家族って。もともと他人だったのに…。家族だなんて…。」
中村さんの怖い目は悲しい目になっていた。
「…もともと他人だったとしても、これからは家族になれる。それってすごいことだよ。だって、知らなかった人と親友になれるようなもんなんだから。」
「そんなの全然違う。それに、いきなり親友になれるわけないよ。」
「そうだね。僕も健人と出会う前まではそう思ってたよ。」
「一之瀬君?」
中村さんは驚いて僕を見た。
「うん。健人は初めて僕に会った時にいきなり肩を組んでこう言ったんだ。一緒に遊ぼうってさ。きっかけは案外簡単なのかもね。たった一言で知らない人から親友になれたんだからさ。だから、もともと他人だったとしても、すぐに仲良くなれるよ。」
「でも、私にとってお母さんはお母さんだけ。新しいお母さんなんて、お母さんじゃないよ。」
「うん。そうだね。同じ人はいないし、その人の代わりなんてどこにもいない。」
「…。」
中村さんは意外そうに僕を見た。
もしかしたら僕が否定すると思っていたからかもしれない。
僕は鉛筆で地面に文字を書きながら言った。
「お母さんって思うから、二人が重なるんだよ。二人が重なるから、片方が消えるようで怖いんじゃないかな。だから、今度からは名前にしようよ。そんな肩書じゃなくてさ。僕の名前は良介。君の名前は?」
「私の名前は花菜。」
「うん。花菜ちゃんのお母さんの名前は?」
「桜お母さん。それと…祐子お母さん。」
中村さんはそう言って涙を流しながら笑うと、泣き顔を隠す様に顔を伏せた。
地面には名前が四つ並んでいた。
十分後。
中村さん、花菜ちゃんは目を真っ赤にしながらも、笑顔で僕の方を向いた。
「ありがとう。良介君。」
そんなこと言われたら、照れるよ。
僕はそう言うこともできず、照れ隠しに話を変えた。
僕がずっと気になっていたことについて聞いてみることにした。
「ねえ、何で花菜ちゃんは火星から電波を受信したり、不思議なことばっかりしていたの?」
「お父さん。雄二お父さんに私のことを心配して欲しかったの。そうすれば結婚もなくなるかもって思って。でも、本当はわかってた。そんなことしても無駄だってね。」
「そうなんだ。」
「うん。だから、電波はもう卒業。どうかな?新しい私、変かな?」
僕はぶんぶんと首を横に振った。
「橘。いるかー?」
先生の声だ。
ちょうど、僕が落ちた方から声が聞こえてきた。
「いるよー。ここだよー。」
「すぐ行くからな。もう少しの辛抱だ。中村もそこにいるのか?」
「いまーす。」
花菜ちゃんは元気よく返事をした。
「よし。わかった。」
先生の力強い声に元気づけられるように僕達は向かい合って、にっこりと笑った。