可愛げがないと捨てられた最強護衛令嬢ですが、私を拾ったのは殺すことしか知らない殺し屋でした
「リーゼ。お前との婚約を破棄する」
王太子の声が、謁見の間に響いた。
頭を下げる。
「どうぞ」
「……は?」
「泣かないのか」
「なんで」
隣で令嬢が眉をひそめた。
ふわふわの髪の、守ってあげたくなる系の女。
「殿下、この方、可愛げがありませんわね」
「だろう」
王太子が鼻で笑う。
「お前は女らしくない。隣にいても、守られてる気がしないんだよ」
守られてる気がしない、ねえ。
──今まで何回、死にかけたと思ってんの。
胸の徽章に、指をかける。
王家とわたしを繋ぐ、首輪。
引きちぎった。
ぶちっ、と鎖が千切れる。
「婚約破棄、ありがたく」
床に転がった徽章を、踏んづけた。
「これで自由だ」
王太子が、ぽかんとしてる。
令嬢も固まってる。
気づいてないんだろうな。
玉座の上で、王だけが真っ青になってた。
この鎖が千切れた意味を、知ってるのは王ひとり。
知らねえよ、もう。
背を向けて、歩き出した。
謁見の間は、昼下がりの光で満ちてた。
この日の夜のことは、まだ誰も知らない。
◇◇◇
わたしは孤児だった。
名も故郷も知らないまま、王家に拾われた。
理由はひとつ。
強かったから。
七つで、大人の傭兵を三人のした。
十で、城の鉄扉を蹴破った。
十二で、わたしを試そうとした近衛隊長を、片手で投げた。
王家はわたしに剣を持たせ、王太子のそばに置いた。
婚約者、という名前で。
本当は、首輪だ。
番犬を繋ぐ、首輪。
◇◇◇
その夜、男が来た。
婚約破棄の、その日の夜。
月もない、真っ暗な夜だった。
わたしは、まだ城の部屋にいた。
もう出ていけばいいのに、長年の癖で、つい残ってた。
窓が音もなく開いて、影が滑り込んでくる。
刃の匂い。
血の匂い。
何人も殺してきた手の匂いだ。
影は、奥へ向かおうとした。
王太子の寝所のある方へ。
体が勝手に動いた。
前に立ちはだかる。
癖だ。
もう、守らなくていいのに。
◇◇◇
「邪魔をするか」
低い声。
頭ひとつ分、でかい。
歳は一回り上くらい。
暗い目をしてた。
人を殺すことしか知らない、目。
刃が走る。
受ける。
火花。
──速い。
──重い。
わたしより、強い。
初めてだった、そう思ったの。
何度も打ち合う。
捌いて、いなして、押し返す。
拳を叩き込む。
肋骨を狙う。
膝を砕きにいく。
殺さない範囲で、全力。
それでも男は倒れない。
笑いやがった。
「お前、殺す気がないな」
手が、止まった。
「ぜんぶ急所を外してる。なんでだ」
図星を、突かれた。
◇◇◇
「何をしている」
後ろで声がした。
王太子が、扉の陰から喚いてる。
「リーゼ、守れ! お前の役目だろう!」
「婚約者でなくなっても、拾われた恩を忘れたか!」
──恩。
その一言で、すっと醒めた。
そうだ。
わたしはもう、こいつの婚約者じゃない。
首輪は、昼間ぶち千切った。
誰にも命じられてない。
誰にも、縛られてない。
なのに、なんで立ってんだ、わたし。
剣を、下ろした。
◇◇◇
男が、片眉を上げた。
「悪いけど」
刀を鞘に納める。
「わたし、もう仕事辞めたんで」
「リーゼ! 何してる、守れ!」
無視した。
「契約外なんで」
王太子が、絶句した。
捨てた女が、自分を守らない。
その意味が、まだわかってない顔だ。
ざまあみろ。
◇◇◇
男が、刃を引いた。
殺気が、すっと消える。
「妙な女だ」
窓枠に足をかけて、こっちを見る。
「うちに来るか」
暗い目が、ちょっとだけ緩んだ。
「働きたきゃ働け。寝たけりゃ寝てろ。戦いたくなきゃ、戦わなくていい」
「……」
「鎖も首輪もない。お前を飼わない国だ」
飼わない。
その言葉が、刺さった。
生まれて初めて、自分で口を開いた。
誰にも命じられず。
誰にも、縛られず。
「いく」
◇◇◇
男の名は、ガルレイド。
殺し屋だった。
ただ、その夜の仕事は暗殺じゃなかった。
窓から出た。
ガルレイドも、続く。
衛兵の声が、後ろで遠ざかる。
二人とも、足音は立てない。
国境を越えるまで、黙って走った。
足を止めて、ようやくガルレイドが口を開く。
「盗みだ」
「奥の宝物庫から、頼まれた物を抜いてきた。お前が止めたのは、ただの通り道だ」
「殺しに来たんじゃ、なかったと」
「俺は依頼しかやらん。あの王太子に用はない」
ふうん、と思った。
そのときは、それだけだった。
◇◇◇
ガルレイドの国は、北の辺境にあった。
国っていうより、流れ者の寄り合いだ。
身分も過去も、誰も聞かない。
腕一本で、飯を食う土地。
わたしたちは、二人で仕事を受けるようになった。
護衛。
用心棒。
厄介事の片づけ。
これが、笑うくらい噛み合った。
◇◇◇
賊が十人で囲んできたときは、わたしが全部やった。
一人を投げて、二人を巻き込む。
殴る。
蹴る。
腕を極めて、地面に縫いつける。
岩を持ち上げて、退路を塞ぐ。
終わったとき、立ってたのはわたしだけだった。
ガルレイドは、剣を抜きもせず見てた。
倒れた賊を、ひとつずつ見て回る。
「……誰も死んでないな」
「殺す必要、なかったので」
ガルレイドは、何か言いかけて、やめた。
「お前、いらないだろ、俺」
「いりますよ。荷物持ち」
「殺すぞ」
そんな軽口を、叩けるようになってた。
ただ、あのとき言いかけたことを、ガルレイドはまだ呑み込んでた。
◇◇◇
知らない暮らしを、覚えていった。
朝、誰も守らずに起きること。
飯を、ちゃんと味わうこと。
戦いのあとで、笑うこと。
ガルレイドは無口で、でも一緒にいて楽だった。
わたしを、化け物だと思ってない。
便利な盾だとも、思ってない。
ただ、リーゼ、と名前で呼ぶ。
それだけのことが、妙に効いた。
◇◇◇
ある日の、仕事帰り。
「お前、いつも手を抜くな」
ずっと呑み込んでたものを、ついに吐き出した感じだった。
「抜いてない」
「殺さないだろ。さっきの賊も、気絶させて終わりだ」
「……殺す必要、ないし」
「次はお前の背中を狙ってくるぞ」
返さなかった。
「お前なら、瞬きの間に殺せる。なんで前に出ない」
足が、止まった。
触れられたくない場所だった。
「……うるさいな」
それだけ言って、先に歩いた。
ガルレイドは、追ってこなかった。
帰り道が、やけに長かった。
◇◇◇
数日後。
ガルレイドが、一人で仕事に出た。
いつもなら、二人で受ける仕事だ。
なのに、誘われなかった。
わたしも、声をかけなかった。
行ってこい、の一言が、出なかった。
背中を、見送っただけ。
◇◇◇
ガルレイドは、その夜、帰らなかった。
翌朝も。
翌々朝も。
嫌な予感がした。
ガルレイドが受けた仕事を、調べた。
依頼の出どころを、たどった。
たどって──ぞっとした。
糸は、南に伸びてた。
わたしの、元いた国。
王家。
罠だ。
最強の盾を奪った殺し屋を、王家は許してない。
ガルレイドを餌にすれば、わたしが来る。
そう読んでた。
◇◇◇
読みどおりだよ。
行ってやる。
何度でも。
わたしは、北の風を背に、南へ走った。
◇◇◇
ガルレイドが囚われてる場所は、すぐ知れた。
王家の、古い砦。
昔、わたしが暗殺者を何人も潰した、あの砦だ。
兵が、ぎっしり固めてた。
刺客。
罠。
刃。
ぜんぶ、わたしを殺すため。
「邪魔」
門を、蹴破った。
◇◇◇
待たない。
こっちから、突っ込む。
一人目の懐に飛び込んで、地面に叩きつける。
二人目を掴んで、三人目に投げつけた。
立ちはだかる剣を、素手でへし折る。
逃げる射手を、追って、捻じ伏せた。
矢が来るより早く、間合いを潰す。
罠が落ちるより早く、その下を駆け抜ける。
立ち止まらない。
向かってくるのを待ったりしない。
わたしが、抉じ開ける。
倒しても、誰も死なせない。
薙ぎ倒して、薙ぎ倒して、奥へ。
ガルレイドのところまで、一直線。
◇◇◇
一番奥に、ガルレイドがいた。
鎖で、壁に繋がれてる。
傷だらけだ。
でも、生きてた。
隣に、男が立ってる。
「やあ、リーゼ」
王太子だった。
前より、やつれてる。
毎晩、刺客に怯える暮らしのせいか。
わたしが、いなくなってからの。
「来ると思ってたよ。お前は犬みたいに忠実だからな」
「リーゼ」
ガルレイドが、かすれた声を出す。
「来るな、っつっても……来ちまったか」
答えない。
ただ、王太子を見た。
◇◇◇
「動くな」
王太子が、ガルレイドの喉に刃を当てた。
「一歩でも動けば、こいつの喉を裂く」
足を、止める。
「跪け。両手を、頭の後ろに」
声が、上ずってる。
「戻ってこい。もう一度、私を守れ。そうすれば、こいつは生かしてやる」
刃が、ガルレイドの首に血を滲ませた。
「お前は人を殺せない。知ってるぞ。お前に、私は止められない」
勝ち誇った顔。
「さあ選べ。この男を見殺しにするか、それとも──」
◇◇◇
最後まで、聞かなかった。
気づいたら、踏み込んでた。
考えるより、早く。
守りの間合いじゃない。
獲りにいく間合いだ。
王太子が、刃を振り上げる。
その一瞬より、わたしが速い。
拳が、刃を握った手を、骨ごと打ち砕いた。
刃が、宙を舞う。
王太子が、悲鳴をあげて転がった。
拳は、止まらない。
その喉元、寸前で──止めた。
◇◇◇
自分の手を、見た。
震えてた。
ずっと、人を殺せなかった。
昔、目の前で、大事なものを奪われた。
命が消えるのを、ただ見てるしかなかった。
あの痛みを、誰かに味わわせるのが、怖い。
なのに今、その一線を越えた。
ガルレイドのために。
殺す気で踏み込んで──選んで、止めた。
私は殺さない選択を自分でした。
◇◇◇
「……そういうことか」
ガルレイドが、呟いた。
壁に繋がれたまま、こっちを見てる。
わたしが、なんで殺せなかったか。
何を、抱えてたか。
今、わかったって顔だ。
鎖を、引きちぎった。
素手で。
ぶちっ、と。
あの徽章と、同じ音がした。
「……俺は、殺すことしか知らなかった」
ガルレイドが、ぽつりと言った。
「お前は、逆だな」
「……うるさい」
でも、その通りだった。
「立てる?」
「……ああ」
「なら歩いて。荷物持ち」
ガルレイドが、ちょっと笑った。
◇◇◇
転がった王太子が、わたしを見上げてる。
砕けた手を抱えて、震えてた。
「なぜ……お前は、殺せないはず……」
「ええ」
見下ろす。
「殺しませんよ。あんたも」
顔が、歪んだ。
「でも覚えとけ。わたし、殺せるようになった」
「……っ」
「殺さないのは、こっちが選んでるだけだ」
背を向けた。
「あんたを守るやつは、もういない。せいぜい、気張って生きな」
◇◇◇
あとのことは、すぐ広まった。
王太子が、他国の人間を罠にかけて捕らえた。
──わたしが砦から殴り込んで、奪い返した、ガルレイドのことだ。
それが、表に出た。
王家の悪事が一つ暴かれれば、芋づる式に、ほかの罪も掘り返される。
そうして、ひとつ、出てきた。
わたしの、出自のこと。
わたしは、孤児じゃなかった。
北の、戦士の一族の生き残り。
その武勇を恐れた王家に、滅ぼされた一族の。
王家は、滅ぼした一族の最後の子を拾って、出自を隠して、王太子の盾にしてた。
帰る場所を奪っといて。
帰る場所を、教えず。
拾ってやった恩で、縛って。
婚約者って首輪を、つけてた。
あの日。
わたしが徽章をぶち千切ったとき、王だけが青ざめた理由が、これだ。
知ってたから。
知ってて、隠してたから。
王家は、最強の盾を失った。
そのうえ、隠してた罪まで、全部バレた。
恩人なんかじゃない。
奪った子を、飼ってただけ。
それが、白日の下に晒された。
◇◇◇
北の辺境まで、王家の使者が来た。
「リーゼ様。どうかお戻りを。守護契約を、もう一度──」
最後まで聞かずに、一歩、踏み込んだ。
使者が、ひっ、と喉を鳴らす。
「あんたら、わたしの故郷を潰したよな」
「……っ」
拳を、軽く鳴らした。
「もう一回その口で『戻れ』って言ってみ。今度は、加減しないけど」
使者は、真っ青になって、逃げ帰った。
◇◇◇
王太子の噂は、北にも、たまに流れてくる。
夜も眠れず、人を怖がって、部屋から出ないらしい。
守る盾を、自分で捨てたんだから。
当然だ。
◇◇◇
空を見上げた。
北の空は、高くて、青い。
「いいのか」
隣で、ガルレイドが言った。
「あんな大層な使者、追い返して」
「いい」
即答した。
「帰る場所なら、もうここだし」
「だろうな」
ガルレイドが、ちょっと笑った。
めったに笑わない男の、珍しい顔。
◇◇◇
それから、また二人で仕事をするようになった。
前と、ちょっと違う。
前に出られる。
殺す覚悟もある。
そのうえで、やっぱり殺さない。
「できない」からじゃなく、「しない」って決めてるから。
怖くて止まってた女は、もういない。
「リーゼ。お前、強くなったな」
「もともと強い」
「言うと思った」
笑った。
二人で、並んで歩く。
わたしはもう、誰のものでもない。
飼われない。
自分の足で、立ってる。
北の風が、自由の匂いがした。




