9 地元民回
西暦2305年。
旧ロシア北西教育特区。
かつては。
「冬が長い」
「仕事が少ない」
「若者が都会へ出ていく」
――そんな、ごく普通の地方都市だった。
聖イリヤ未来総合学院も昔はただの私立校。
地元民からすれば、
「まあそこそこ良い学校」
程度の認識である。
だが。
今。
街は完全に変わっていた。
朝六時。
雪の積もる通りを大型建設車両が走る。
空には工事用ドローン。
駅前には高級ホテル建設。
道路拡張。
新商業区画。
学園関連施設。
どこを見ても工事だった。
そして。
地元民たちは忙しかった。
非常に忙しかった。
「おい!木材足りねぇぞ!」
「第三寮向け優先だ!」
「バレエ棟の照明確認したか!?」
「終わってねぇ!」
「馬場の暖房設備また凍ってる!」
怒号。
雪。
重機音。
だが。
皆、顔色は悪くなかった。
むしろ。
妙に活気があった。
街の古い食堂。
昼時。
作業員たちで満席。
「マジで仕事終わらねぇな」
「今年ずっと工事してる気がする」
「でも給料いいぞ」
「まあなぁ」
ボルシチを食いながら男たちは笑った。
昔。
この辺りは本当に仕事が少なかった。
特に冬。
建設業は止まる。
観光も弱い。
若者は消える。
それが普通だった。
だが今。
聖イリヤ特需で全部変わった。
寮建設。
ホテル。
道路。
馬場。
文化施設。
警備。
清掃。
輸送。
飲食。
翻訳。
芸術関係。
果ては。
巨大鍋管理専門スタッフまで存在する。
意味が分からない。
だが雇用は増えた。
とにかく増えた。
「お前の娘、どこ就職したんだっけ」
「学園のプリンセス棟」
「何の仕事だよ」
「ドレス管理」
「……ドレス?」
「生徒用らしい」
「学校だよな?」
「学校だ」
皆もう慣れ始めていた。
最初は困惑した。
宇宙船寮?
秘密基地?
ピラミッド?
頭がおかしいと思った。
だが。
金が落ちる。
それが全てを変えた。
駅前のパン屋。
昔は夕方には閉めていた。
今は夜まで営業。
富豪の子供たちが異様に甘い菓子を買っていく。
「また来たよ」
「どこの子だ?」
「中東の王族らしい」
「毎回ケーキ十個買うぞ」
「ありがてぇ……」
レストランも変わった。
昔は地元料理中心。
今は。
高級コース。
多国籍料理。
富裕層向け個室。
ワイン倉庫。
街全体が急激に“金持ち仕様”になり始めていた。
もちろん。
不満もある。
土地代だ。
昔は安かった。
それが今では。
意味不明な速度で上がっている。
特に学園周辺。
「昔ここタダみたいな値段だったぞ」
不動産屋が笑った。
「今じゃ十数倍だ」
地元老人たちは頭を抱えた。
「固定資産税上がりすぎだろ……」
「孫に土地売れって言われた」
「いやでも今売るとすげぇ金だぞ」
「悩むわ……」
街は変わっていた。
昔ながらの静かな地方都市ではない。
だが。
完全に衰退するよりはマシだ。
そう思う人間も多かった。
特に若者。
これは大きかった。
「戻ってきたのか?」
古い整備工場。
父親が驚いた。
「モスクワの仕事辞めた」
息子が笑う。
「こっちの方が給料いい」
「マジか」
「学園特区、今人足りねぇんだよ」
実際。
人手不足だった。
富裕層向けサービス業は、気を遣う。
だが給料が良い。
しかも。
地方にしては異常に良い。
結果。
若者が戻り始めていた。
さらに。
成金の子供たちが金を落とす。
これが本当に大きい。
高級カフェ。
ゲーム施設。
雑貨店。
服屋。
乗馬用品。
お菓子屋。
全部儲かる。
しかも。
彼らは基本的に金銭感覚がおかしい。
「これください」
「全部?」
「うん」
店員は最初ビビった。
今は慣れた。
「今日も学園の子ら来たぞ」
「今度は何買った?」
「木彫り熊十体」
「何で?」
「分からん」
「まあいいか」
地元工芸まで売れ始めていた。
文化需要も増える。
観光客も増える。
記者も来る。
投資家も来る。
街は完全に変貌していた。
そして。
夜。
雪が静かに降る。
学園都市の灯りは明るかった。
宇宙船寮。
ピラミッド寮。
バレエ棟。
騎馬場。
全部が光っている。
昔なら考えられなかった景色。
古いアパートのベランダで。
地元老人が煙草を吸っていた。
隣人が言う。
「変な時代になったな」
「本当にな」
「学校一つで街が変わるとは」
老人は遠くを見た。
雪の向こう。
巨大な宇宙船寮のシルエット。
あまりにも馬鹿げている。
だが。
少し笑った。
「まあ」
煙を吐く。
「子供らが楽しそうなら悪くねぇか」




