さらなる高みへ
1. アルケミアの天才と、二秒の壁
数日後、ゼノが連れてきたのは、アルケミア商会の若き天才技術者、ミリアだった。
ミリアの隣には、助手のエマと、事務方のソウタが同伴していた。
客間に通されたミリアたちは、目の前の小さな少女に視線を合わせた。
リアナがソファからスッと立ち上がると、優雅に挨拶する。
「初めまして。伯爵家の長女、リアナ・ド・オルフェウスです」
リアナが挨拶すると、ミリアも少し緊張した面持ちで名乗った。
「初めまして、アルケミア商会のミリアです」
「座ってください」
リアナはミリアを促すと、単刀直入にマナキッチンの説明を要求した。
ミリアは、事前にゼノから「リアナ様はかなり『わがまま』な令嬢だ」と聞かされていた。心してかからねばと、ミリアはマナキッチンの仕組みを丁寧に説明し始めた。魔石を動力源とし、魔法陣を通じて熱を発生させる、この世界最高の調理器具。
一通り聞き終え、少し考えたリアナが口を開く。
「……強火から弱火にするのに、魔法陣の冷却を待って二秒かかる。これでは、煮立ちすぎるのを防げないわ」
「えっ?」
「それに、この『弱火』はまだ強すぎる。……私が求めているのは、鍋の底を優しく撫でるような、消えるか消えないかの『極・弱火(とろ火)』よ」
ミリアの顔から余裕が消えた。
「え? ……二秒のタイムラグを気にするなんて、初めて言われました」
「それは彼らが、道具に自分を合わせているからよ。……私は違う。道具を私に合わせさせるのよ」
ミリアは、リアナの要求に思考をフル回転させブツブツと呟く。
「回路の熱伝導率を三倍に高めて。それから、魔法陣を二重にして、内側と外側で別々に火力調整できるようにすれば⋯⋯」
「……お、面白いわ! そこまで言われたらアルケミア商会の名にかけて、あんたの満足するキッチンを作ってみせるわ!」
若き技術者のプライドに火がついたと同時に痛感した。自分が満足する物を作るんではなく、お客が満足する物を作る、そんな当たり前の事がミリアは抜けていた事に気付かされた。
ミリアもさらなる高みを見据えた。
こうして、伯爵邸の厨房は、魔導と和食が融合する「最先端の実験場」へと変貌することとなった。
2. 発酵室の提案と、消えた言語
「さらにもう一つ、ミリアに提案があるの」
「はい、何でしょうか?」
リアナの職人根性にミリアも触発される。
リアナは勢いづいて、パン生地の『発酵室』の開発を切り出した。
「低温長時間発酵……発酵から生地の温度が十度以下になるように、速やかに冷やして。低温でゆっくりと発酵・熟成を促す仕組みが欲しいのよ」
リアナは手元の紙に、パン作りの工程と必要な温度管理のグラフをサラサラと書き示した。
その紙を横から覗き込んだゼノが、そっと額に手を当てた。
(リアナ様、また暴走してるな……)
リアナが興奮した状態で何かを書き出すと、ゼノには全く読めない「記号」のような字が並ぶ。
リアナは無意識のうちに、前世の言葉である『日本語』で書き出してしまうのだ。
ただ、ゼノはあえて指摘しなかった。王都のアルケミア商会のミリアが、この「読めない字」を見れば、きっとリアナ様も正気に戻るだろうと思っていたからだ。
だが、ゼノの考えとは裏腹に、ミリアはその紙を凝視し、大きく頷いた。
「なるほど……『低温長時間発酵(オーバーナイト法)』ですね!」
なんと、ミリアは書いてある内容(あるいは、そこに込められた数理的な論理)を普通に理解し、リアナとの間で熱烈な意見交換が始まったのだ。
「ここの冷却は一気に?」
「ええ、急速であればあるほどいいわ。菌の活動を眠らせるのよ」
リアナのメモ
発酵 暖かいところに約30分間置く(生地が1.5倍になるまで)。
低温室で寝かせる 低温室に入れ、8~24時間ゆっくり発酵させる。
※温度は、5~9℃が望ましい。
※乾燥しないように密閉する。
低温室から出す 生地温度が約15℃になるまで復温する。
※復温するときは、室温(20~25℃)で。
分割・成形 通常のパンと同じように行う。
最終発酵 暖かいところで約2倍になるまで発酵させる。
焼成
「何処までの機能が必要でしょか?」
「そうね、低温から復温までやれればベストかしら」
しばらくの間、激しい議論の末、リアナとミリアが満足げに立ち上がった。
「では、お任せします」
「はい、お任せください!」
リアナは振り返り、ゼノを呼んだ。
「ゼノ、これを契約書に起こしてちょうだい」
ミリアも隣のソウタに指示を出す。
「ソウタ、この書類を精査して契約書を作って」
預かった書類を見たゼノとソウタが、同時に呟いた。
「「……この書類は、読めません」」
リアナが不思議そうに眉を上げた。
「あら、ゼノ。私の字が読めないと言うの?」
「はい……リアナ様、失礼ながら、癖で我々では読めない『字』になっております。……というか、この形はそもそも文字なのでしょうか?」
ゼノが指し示したのは、完璧な日本語で書かれた「急速冷却・低温発酵プロセス管理図」だった。
リアナはハッと我に返った。
(……あらあら、つい前世のクセが出てしまったわ!)
だが、なぜか理解できていたミリアは不思議そうに小首を傾げている。
「え? 凄く合理的な図面ですよ? これが読めないなんて、二人とも勉強不足じゃないかしら」
「「……ミリアさん(リアナ様)の感覚が、おかしいだけです!!」」
ゼノとソウタの嘆きが客間に響き渡ったが、当のリアナとミリアは、すでに完成する新しいキッチンと発酵室のことで頭がいっぱいのようだった。
七歳の令嬢と若き天才技術者。二人の「規格外」な出会いによって、オルフェウス領の食文化は、ついに魔導の力さえもその手中に収めようとしていた。




