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わがまま伯爵令嬢の料理改革  作者: のほほん


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12/21

大いなる樽と、繋がる手

1. 「独占」から「共有」へ


オルフェウス伯爵家の厨房には、いまや世界で最も幸福な香りが満ちている。


ユーグが心血を注いで醸造し、ミリアのマナキッチンが完璧な温度で仕上げた「豆味噌の味噌汁」。それは、一口啜すすれば凍てつく心も溶かすような、慈愛に満ちた味わいだった。


だが、その一杯を飲み干したリアナ(工藤玲子)の表情は、満足とは程遠いものだった。


「……これではダメだわ」


「お、お嬢様!? お味に不備が!? 塩気が強すぎましたか!?」


アロイスたちが慌てふためくが、リアナは静かに首を振った。


「味は完璧よ。……でもね、この味噌を食べているのは、この屋敷の人間と、料理教室に来る一部の者だけ。……美味しいものは、誰の手にも届く場所にあって初めて『文化』になるのよ。……お父様だけが健康になっても、領民が飢えていたら意味がないわ」


リアナは、傍らでメモを取っていたゼノと、顕微鏡代わりの魔導具を磨いていたユーグを呼び寄せた。


「ユーグ、ゼノ。……この味噌を、領民全員が毎日食べられるように『増産』するわよ」


「……増産、ですか?」


ゼノの顔が、期待と恐怖で引きつった。



2. 味噌工場の設計図


「いい、今まではユーグの個人的な『研究室』で作っていたけれど、これからは『工場』が必要よ。……それも、ただデカいだけの建物じゃないわ」


リアナは、いつものようにペンを走らせた。


そこには、前世の日本で見た「大規模醸造蔵」の記憶をベースにした、効率的かつ衛生的な工場の配置図が描き出されていく。


「まず、大量の土豆(大豆)を蒸すための巨大な魔導蒸気釜。これはミリアに頼んで、マナキッチンの出力を百倍にしてもらうわ。……次に、千人が一度に作業できる『製麹せいきく室』。……そして、大人が五人入っても余裕があるほどの『巨大な木樽』を百個、用意して」


「ひ、百個!? リアナ様、そんな巨大な樽を作る職人も、豆を洗う人手も、うちの領地には……」


「だからこそやるのよ、ゼノ。……仕事がないなら、私が作ってあげるわ」


リアナの瞳には、板前としての情熱以上に、領地を導く「為政者」としての冷徹で温かい計算が宿っていた。



3. 「働く」という名のスパイス


リアナは、料理教室の五人の精鋭講師たちを呼び集めた。


「あなたたちは今日から『先生』じゃないわ。……オルフェウス領第一醸造所の『工場長候補』よ」


彼らの任務は、領内から集められた「仕事を探している若者」や「冬の間に現金収入が欲しい農家」を雇い、リアナの技術を叩き込むことだった。


「いい? 味噌作りは重労働よ。でもね、自分の手で仕込んだ味噌が一年後に誰かの命を救う。……その誇りを、新しく入る人たちに伝えて。……それからゼノ、雇用する人たちの給金は、これまでの相場の二割増しで出しなさい」


「二割増し!? お嬢様、それでは利益が……」


「利益は後からついてくるわ。……懐が温かくなった領民は、そのお金で真珠の実(米)を買い、もっと美味しい野菜を作り始める。……お金が回れば、領地は勝手に潤うの。……私はね、お味噌の力でこの領地を『無敵の経済圏』にするつもりよ」


ゼノは、七歳の少女の背後に、国を動かす巨人の影を見た気がして、震えながら深く頷いた。



4. 読めない「増産計画書」


「ゼノ! ユーグ! 忙しくなるわよ!」


リアナは、興奮気味に新しい紙を広げた。そこには、大量生産における品質管理のロジックが、ビッシリと書き込まれている。


HACCPハサップ』『品質管理(QC)サイクル』『歩留まり計算』――。


もちろん、その多くは無意識のうちに日本語(漢字とひらがな)で綴られていた。


ゼノがその紙を覗き込み、案の定、額に手を当てた。


「……リアナ様、また暴走されていますね。……全く、一文字も読めません」


リアナがハッとして手を止める。そこには「味噌増産・領民雇用・経済循環フローチャート」という、完璧な日本語のタイトルが踊っていた。


「あら……ごめんなさい、ゼノ。……私の字、また癖が強かったかしら?」


「癖、というレベルではございません。……ただ、ミリア様はなぜか……」


リアナが書いた巨大な魔導蒸気釜の詳細な説明の書類をゼノはミリアに渡していた。


「ええ! この『魔導蒸気釜』っていう図の描き方、非常に分かりやすいわね!」


案の定、技術者であるミリアは、文字を認識しそこに込められた「構造の美しさ」を読み取り、既に計算機を叩き始めていた。


「よし、ソウタ! 契約書を作って! 領内中の木工職人と石工を招集よ。……アルケミア商会史上、最大の『調理施設プラント』を建てるわよ!」


ミリアの助手のエマと事務方のソウタも、リアナの「読めない指示書」を前に、もはや諦めたように笑いながら、テキパキと実務に走り出した。



5. 巨大樽の産声


三ヶ月後。


領地の中心部から少し離れた場所に、広大な敷地を持つ「オルフェウス醸造所」が完成した。


そこには、ミリアが調整した巨大なマナ・ボイラーが唸りを上げ、ユーグが培養した最強の麹菌が、何百枚もの麹蓋の中で息づいている。


そして、広場には完成したばかりの巨大な木樽が並び、そこに何十人もの若者たちが、掛け声を合わせて蒸した豆を詰め込んでいく。


「いーち、にー、さーん!」


「しっかり踏め! 空気を抜け! お嬢様の味噌は、ここから生まれるんだぞ!」


かつては泥にまみれて「先が見えない」と嘆いていた若者たちが、いまや清潔な麻の作業着を纏い、誇らしげに汗を流している。


彼らの家族には、既に前払いの給金が支払われ、城下町の市場では「真珠の実」が飛ぶように売れ始めていた。


「……見て、ゼノ。これが私の作りたかった『景色』よ」


リアナは、工場の高い窓から、活気に満ちた領地を見下ろした。


味噌の熟成には時間がかかる。だが、この工場が動き出した瞬間から、人々の心の中には、既に希望という名の「発酵」が始まっているのだ。


「お嬢様……。私はただの商人でしたが、今ほど、この仕事をしていて良かったと思ったことはございません」


ゼノの目には、薄っすらと涙が浮かんでいた。


「ふふ、泣くのはまだ早いわよ、ゼノ。……この味噌が全部熟成して、領民の家に届いた時。……その時、この領地は『世界で一番食い扶持ぶちに困らない場所』になるわ」


リアナ(工藤玲子)は、小さな手で、まだ空の樽を優しく叩いた。


八十三年の板前人生。お客様に喜んでもらうのが一番だと思っていた。けれど、いま、一国を……いや、一つの領地をまるごと「食」で救う悦びに、彼女の魂は震えていた。


「さて、次は……この味噌に合う『最強の具材』を、領内の山から探し出さないとね。……ユーグ、準備はいい?」


「もちろんです、お嬢様! 菌たちも、やる気満々ですよ!」


オルフェウス領の冬は、もうすぐ終わる。


来年の今頃には、この巨大な樽の中から、何万人もの人々を笑顔にする、黄金の味噌が産声を上げるはずだ。

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