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プロローグ【港町ポルト】前編

港町ポルト。

潮の香りと祭りの喧騒に包まれたこの街で、

少年と少女の、少し不思議で甘い物語が始まる。


これは――

とある約束から始まる、小さな物語。

「ハァ ハァ ハァ……」

 胸が焼けるみたいに痛い。息が上がり、汗が首筋へと伝ってきたのがわかる。

 

『なんでだ?なんでわかるんだよ……』

 

 薄暗い路地に、影がひとつ伸びる。

 角を曲がるたびに壁面に映った影が時折ぐにゃりと歪む。人ひとりが通るには十分だが、二人が並ぶにはちょっとだけ窮屈だ。

 

 朝露の残るこの季節の朝は肌寒いはずなのに、この裏路地だけは妙に湿っていてあまり気持ちのいいものではない。

 

 足元もひび割れだらけ。そこかしこあるのは大小様々な水たまりと青緑色した滑る石。

 

 だが、裏路地を知り尽くしている俺は、駆け抜けるのに迷いはない。水たまりを軽々と飛び越えてなおも駆けた。

 

 伸びていた影が小さくなり、二股に分かれた道で止まる。


「ハァ……ハァ……」

 立ち止まると、汗がまた額から垂れて煩わしい。袖でぬぐい、路地へと視線を向けた。

 

 右の路地には十字に分かれた道が伸びている。左には転がる古い木箱がいくつか置かれ、その先は山積みにされた樽や木箱が積み重なり道をふさいでいた。


 俺は右の路地へと勢いよく歩を踏み入れた。泥濘(ぬかるみ)に靴が沈み、小さく水しぶきが上がる。白とも灰色とも見える壁面に先の尖った模様を描いた。


『しまった……でもこれならいけるか?』

 

 泥濘(ぬかるみ)から足を引き抜き靴底の汚れを払うと、もう一方の路地に転がる木箱の陰へと身を潜める。

 

 俺は息を殺し、その気配を限りなく消した。


 しばらく痕跡を残した場所へと視線を向けていると、先ほどまでいた所にまたひとつの小さな影がスッと現れ止まった。

 静かに姿を現した影は二股の路地で同じく立ち止まり、周囲を見渡しているようだ。壁面に飛んだ飛沫を見つめ、一瞬だけ足を止めた。

 

「フフッ」小さな笑い声が離れていても近く聞こえた気がして、体が震えた。

 

『……まずい、気づかれたか?』

 強張った体に力を入れていると、近くにいた気配はそのまま右の路地へと音もなく姿を消した。


 

 そっと、隙間から路地を覗くと誰もいない。

「助かった……」

 俺は崩れるように座り込んだ。

 

 昇ってきた太陽が薄暗い裏路地へと光を運ぶ。伸びてきた朝焼けは、木箱の後ろで座り込む俺を照らした。


  物陰で難を逃れ息を抑えていた俺は、大きく息を吐き出した。

 

「……ハァァ」


「なんとか撒けた……のか?」

「それにしても、いったいなにがどうなってるんだ」


 疑問が頭の中をぐるぐる巡り、独り言がこぼれ慌てて口をふさいだ。

 肩で荒い息を整えながら、小鳥のさえずりが耳に入る。全速力で駆けた鼓動もやっと落ち着いてきた。

 

 寄りかかった木箱はかなり古く、朽ちた木に体を預けると嫌な音が鳴る。その音に、再び高まる鼓動を抑え、走ってきた路地へ顔を向け人影が戻っていないことを安堵した。

 

 腰からぶら下がる鎖に手を伸ばし、ポケットから手巻きの懐中時計を取り出す。細かな銀の細工が施された円盤を開くと、時計は八時五十六分を指していた。

 

 

「あと四分……」


 逃げる選択肢もあるにはあるが、追いかけてくる影をやっとの思いで巻けたところだ。

「袋小路のこの場でやり過ごすか迷うところだな」

 

 後ろに積まれた木箱や樽は寄りかかる木箱同様に所々が朽ちていて、登るのは不可能に近い。だが、ここは逃げるには不向きだが隠れるにはちょうどいいー-。

 

 季節外れの大きな雲が日の光を遮り、影がゆっくりと広がる。

『……ここで逃げ切ろう』

 

 決意を固め、先ほどの二股に視線を戻した。

 手に握っている懐中時計の針は止まらず、ただ時を刻む続けている。


 チッチッチッ……


 

 鼓動にも似た正確なリズムが握る手へと伝わってくる。針に目を向けると時計は五十九分に差し掛かろうとしていた。


『よし!俺の勝ちっ』


 カタンッ……


 背後で何かが動いた音が聞こえた気がする。

 高鳴る鼓動を抑え、慌てて後ろへと振り返った。

 その先には、塞がっていた積み重なりの前に先ほどまでは確実になかった小さな影が立ちあがろうしていた。

 胸を張り仁王立ちする姿勢、真っ直ぐに伸びた人差し指、眼光鋭く見つめる視線、そのすべてが俺を捉えている。

 


「エル君みっ――――けっ!」

 

 小さな影だったものに雲隠れしていた日の光が当たり、影は少女へと変わった。

 大きく開いた口で名前を呼ばれたエル――俺は驚きを隠せずに口をあわあわと動かす。


 なぜっ!焦りが頭をよぎり、初動が遅れている間に少女は駆けてきた。駆け出した少女と初動が遅れたエル、思考を巡らせ急い振り返って逃げることを考えたが、時すでに遅し。

 

 少女は飛び上がり、その小さな体が宙を舞った。全速力で駆け抜けたその力は俺へと向けて綺麗な放物線の弧を描いている。俺を捕まえようと伸ばした腕は惜しくも脇をかすめた。

 よしっと思ったのも束の間、代わりに少女の頭が脇腹へと突っ込んできた。

 

 隠れ蓑にしていた木箱は、その一部を大きく抉りとり無残な姿へと変貌を遂げた。勢いに負けた俺は少女に倒される形で路地裏へと倒れ込んだのだった。


 

 ゴ――ン ゴ――ン ゴ――ン……。


 

 街の中央にある教会の鐘。その重厚な音が三つ街中へと響きわたる。

 それは九時を知らせる時報であり俺の敗北を告げる鐘の音だった。



 俺が先程まで注意を向けていた裏路地に倒れ込んだ二人。

 倒れたまま天を見上げる俺と、俺の上にうつ伏せで倒れる少女。

 俺は苦悩の表情、 彼女は笑顔を浮かべる。

 

 

 遠くに流れる雲がぽつぽつと浮かび、わたあめが自由気ままに遊んでるみたいだ。

 少しだけ現実逃避を決めたが、押し倒された背中が痛い……なによりわき腹が痛い、そして重い。


 目線を下げると、そこには少女の頭がのしかかっているのが見えた。腹部に重くのしかかる少女の頭……いやその勝ち誇っている満面の笑みが目に入り、少しだけほんの少しだけイラっとした。

 圧し掛かかられた左手をなんとか振りほどき両手が自由になった俺はのしかかるこいつの肩に手を掛け、そのまま力をいれ突き飛ばしたのた。

 

 ゴンッと鈍い音が路地へと響き、抑えられていた苦しみから解放され呼吸が楽になる。仰向けに天を仰いだ少年はゆっくりと動く雲に目をやるのだった。先ほどの喧騒が嘘のように静まり還り、路地に横たわる二人。

 

「――――痛いよ、エル君」

 大きな瞳に涙を浮かべたて起き上がった少女。打ち付けた頭を押えて、立ち上がり少年に声をかけた。

 

 『いや、絶対俺の方が痛いから……』

 

 痛みが戻り脇腹を押さえながら俺は上半身だけを起こした。

 

「自業自得だろ!」

「何で、鬼かくれんぼしてるのに跳び込んでくるんだよ!ミーナ!」


 ミーナと呼ばれた少女は涙を浮かべた笑顔で「へへへへっ」と笑い答えた。

「驚くかなー?と思って」

「痛いよ!」

 鈍痛のする脇腹へと手を当て即座に言い返した。

 

 ゴメンゴメンと軽い口調で謝る少女ミーナに悪びれた感じはない。むしろ満足といわんばかりの笑顔で返してくる。


「ねーエル君、約束覚えてるよね!」

「……わかってるよ!一つだけだぞ?」

 納得いかないのものの答えたが、その胸中ではため息と後悔でいっぱいだ。

 

『ハァー、なんであんな約束したんだろう……』



最後まで読んでいただきありがとうございます。


エルが感じた違和感や、ミーナの動きにはいくつか意図があります。


それがどう繋がっていくのか、今後の展開で楽しんでもらえたら嬉しいです。


次回もよろしくお願いします。

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