優しい暴力
だいぶ前に書いたもの
あの時ああしてしまったのがいけなかったんだわ。私があんなことをしなければ、彼女だってああはしなかったのだろうから。
「ルフィメール嬢は神託の女神の名において聖女と認められた。近日中に王太子の婚約者となるだろう。神殿からの輿入れの際にはお前を侍女として連れていきたいそうだ。彼女はお前を可愛がっていたから、致し方ないだろう。準備しておきなさい」
首都からさほど離れていない都市の神殿に、もう三十年は勤めているという司教の柔和な顔は、私が断ることを想定してはいなかったし、断ることを承知しないような風格も備え持っていた。周囲からはルフィメールのおこぼれに与る浅ましい女として見られていた私の居場所は、ルフィメールのそばにしかなかったのだ。私の言えることは一つしかなかった。
「承知いたしました」
先日、この国の国教・マクラム教の教皇が神託を授かったらしい。曰く、「ルフィメールは正しく聖女である、第一皇子と子を成せば今後百年平和な治世を敷くだろう」とのことだ。国は飲めや歌えのお祭り騒ぎ。常なら実りが少なく貧しい北部も、知らせと共に祭事用の物資が国庫より贈られたと聞く。普段は厳格な装いの神殿も、そこら中に花やリボンが飾られ、貧しい人への炊き出しでは、特別に甘い焼き菓子を共に提供した。国中が活気づいている。みんなが笑っている。そこかしこから音楽や笑い声が聞こえる。おいしそうなにおいがあちこちから漂ってくる。世界は美しく、素晴らしいのだと、万物が語り掛けてくるような気さえした。
だが私は知っている。彼女は聖女ではない。否、聖女だったとて、彼女の能力は既に失われ始めている。そんな彼女が女神により聖女だと認められる?そんなことがあるのだろうか。私は、神の信徒でありながら、その神の代理人たる教皇よりもたらされた神託を疑っている。教皇の狂言か、女神の過ちか。——あるいは皇室の介入か。
ルフィメールは領土の大きい辺境伯の娘らしい。二代前の皇女が降嫁した家門で、貴族の中の貴族だ。幼いころから皇室へ訪れることを許され、王太子とも親しい間柄だったという。彼女は優れた淑女として育てられたが、強力な魔力を持っていたため神殿へ奉公に来たと言っていた。
本来なら領土で令嬢として傅かれていた身分の少女が、神殿へやってきたのだ。神殿側も気を使ったのだろう。通常四人部屋の寮室を、彼女一人に使わせようとした。だが高潔な彼女はそれを是とはせず、皆と同じように扱うよう所望し、折衷案として彼女ともう一人、——彼女には言わなかったが、彼女の世話係として——私を同室にして収拾をつけたのだった。彼女は貴族でありながら、自分のことは自分で何でもできたため、私が世話を焼く必要は全くなかったのだけれど。そのころ私たちは十と十二を数える年で、彼女が二歳年上だった。私は、年の近い素敵なお姉さんができたような気がして、身の程知らずだとわかっていながらも嬉しかった。
彼女は神殿の修道女として奉公する少女たちの中でもとびぬけて器量がよかった。礼儀正しく、楚々として動き、よく笑った。淑女というのは何でもできる人間なのだろうと、勝手に思った。彼女を嫌う奉公人など一人もいなかった。私も、彼女が大好きだった。
神殿で奉公する者にも昼休憩はある。とはいっても比較的栄えている都市の神殿には開門中ひっきりなしに来訪者が来るため、数人ずつ交代して休憩するようになっている。私はお昼の休憩中、いつも神殿の裏庭で休んでいた。裏庭とは言うけれど、庭というほど大したものではなく、そこに生えている植物だってほとんどが名の知られていない雑草だ。けれど、野趣あふれるその庭は仕切りも花壇もなく自然独特の調和を顕すので、私にとってとても好ましいものだった。申し訳程度のウッドデッキにベンチが置いてあり、そこに腰掛け何を見るとはなしに茫としていると、季節の風が私の身体にすうと入り込み、私を何者でもなくさせるように思えた。
その日私はルフィメールと一緒にお昼の休憩をとることになった。同室のよしみで、他の奉公人より仲良くさせてもらっていた私は、彼女と裏庭のベンチで並んで座り昼食を摂った後、彼女の秘密を教えてもらった。
私の水仕事でボロボロになった手を彼女はそのあたたかな両の手で包み込み、彼女の秀でた額へ当て、祈りを捧げるように目を瞑り、何事かを口ずさんだ。するとどうだろう、慢性的にピリピリと痛んだ指先から、痛みがスッと立ち消えたのだ。彼女が私の手を放し、こちらをいたずらっ子の様な瞳で見て、秘密だよと笑った。
私の手は、しばらく見ていなかった、まるで傷のない白魚の様な手に変わっていた。
私は、彼女にどうやったのかを聞き、すごい、すごいと無邪気に喜んだ。彼女の強大な魔力は、治癒魔法という聖女の資格とともにあることによって神殿での奉公を彼女に決意させたのだと話してくれた。掃除や洗い物、ミサの準備などしている最中、彼女だけ呼ばれることがあったのはそのためだという。私はその時初めて『聖女』というものと、その『資格』について知った。だが、私はその時聖女にも資格にも興味は持たず、その『便利な能力』についてとても知りたがった。こんなに簡単に怪我が治るのならできるようになりたい、否、なるべきだと思うのは、普通の人間として当たり前のことだろう。彼女は教えることを大層渋ったが、私の懇願を断り切れず、気の進まない様子で引き受けた。
私はこの時断らなければならなかった。不可能なことは不可能なことだと教えなければならなかった。
翌日、彼女はお昼の休憩時に楕円形の取っ手がない手鏡の様な機器を持ってきた。木の縁で丸く囲まれた手鏡における鏡の部分は雫のような形になっていて、魔力を当てる量で色が変わる特殊な石でできているという。先細った端が、縁から少し飛び出る形状になっていた。その先端を人の体に当てるとその人の魔力量を色の違いで示してくれるという。彼女が手本として自分の手の平に当て、石の色が変わるのを見せてくれた。あっというまに鮮やかな赤色に染まったのを見て気がはやり、私にも早く当ててくれとせがんだ。
手のひらに当てられた先端は少し冷たかった。石の色はゆっくり、ほんのりと色づく程しか変わらなかった。誰が見ても分かるだろう、私の魔力は少ししかなかった。途方もなく落胆した。私が魔法を使うことなんて、土台無理な話だったのだろうか。私は彼女に縋りついた。魔力を上げる方法はないのか、この魔力量で何ができるというのか、泣きそうになる私に、彼女は困ったような顔をして、言い辛そうに魔力量は努力で上がることもあると言った。私はたちまちやる気になった。どうすれば増えるのか、それまでにできることはないかと矢継ぎ早に彼女に問うた。彼女は、魔力を使っていれば増えることもあるらしいと答え、私に魔力量が少なくともできることを——主に魔力を身体に巡らせる練習だとか、そも魔力の存在を認識する練習だとかを——手ずから教えてくれた。私の身体の中で彼女の魔力を循環させたり、手をつないで彼女が魔力を出しているかあてっこしたりした。
右手から胸、胸から腹、腹からまた胸に戻り、左手へと彼女が巡らせたあたたかな気配を感じられるようになる頃には季節が二つ過ぎていた。その間、お昼の休憩時はいつも二人、神殿の裏庭で過ごした。
魔力の動きがわかるようになって、自分の力でも少しだけ魔力循環できるようになったころに、ようやっと治癒魔法を教えてもらえた。といっても、自分の手にできた細かなささくれだとか、書類整理の時に紙で擦った細かな傷とか、そういったものを対象としていたけれど。彼女が私の手にできた傷を見つける度、彼女が両の手で私の手を包み込み、やってみて、と言った。そう言われる度、私は彼女の巡らせた魔力を使って自分の怪我を治す練習をした。回を重ねる度、治りは早く上手になっていった。ルフィメールも、上手になったねと笑ってくれた。彼女の笑顔はいつでも美しかったが、この時の笑顔が、私は一等好きだった。
夏が終わり、少しずつ涼しくなる頃、いつもと同じようにルフィメールと昼の休憩を過ごそうと神殿の裏庭へ向かった私は、裏庭へ至る道の端に野ねずみが怪我をしているのを見つけた。おおかた猫にでも遊ばれて命からがらここまで逃げてきたのだろうが、いよいよ命の灯は消えかかっているような風体だった。腹から細く血を流しながら横たわり、薄く目を開くその姿は、先月司祭による慰問に同行した時見た貧民窟の子どものようで、なんだか放ってはおけなかった。
地面に臥す野ネズミの身体をハンカチで包み、持ち上げて、途方に暮れた。ハンカチに包まれた野ネズミは生きているようには見えなかったが、よく見ると髭がもぞもぞ動いていて、頑張って生きようとしているのが見て取れた。間もなくルフィメールが裏庭に到着したようで、後ろから声をかけられた。振り返りながらも立ちすくむ私のことを、不思議そうに見て、そして私の掌の上の白い塊を覗く。薄い布に包まれた死に体の野ネズミを認めたのだろう彼女は戸惑ったような顔をして私に問う。
「死んでいるの?」
「いいえ、まだ。でもすぐ死んでしまうと思う。ルフィメール、私この子を助けたい」
彼女は表情を曇らせて、でもすぐ困ったように微笑んで、やってみる?と私に問うた。
「ネズミを片手で支えて、その上から手を当ててみて。ハンカチの上からでいいから、包み込むみたいにね。ネズミが生きているのを感じて。それで、両の掌に魔力を集めるの。やってみて」
わたしは言われた通り、ハンカチの上から野ネズミの生暖かさに触れ、柔らかく包み込み、練習通り掌に魔力を集めた。ルフィメールはその上から私の手を包み、野ネズミは二人の人間の掌の中で静かに息を引き取ろうとしているのだろう。身体中の魔力を、自身の身体の一部に流すことに慣れたという自負はあるが、自身の身体から掌へ伝わせ放出することは初めてで、勝手がわからず不安だったが、ルフィメールの言う通りに意識を集中させた。
「それで、祈るの。治りますように、神さまお願いします、って」
私は固く目を瞑り、祈った。何なら口にも出したと思う。神さま、お願いします。この子を治してください。助けてあげてください。そうすると、いつもより暖かく、強い勢いで魔力が集まるのを感じた。すると間もなく、掌でできた繭の中であたたかくてやわらかいものが動いた。ハンカチ越しに、野ネズミの痩せた背骨が私の掌を押すのを感じた時、言いようのない感情を抱いた。それは喜びであったり、感動であったり、達成感であったり、——他の奉公人に対する優越感なんてものであったり。そういうものだった。
私の様子を見てルフィメールも気づいたのだろう。彼女は私の手を包んでいた両の手を放し、掌の繭は一枚薄くなった。野ネズミを上から包んでいた右手をゆっくりとすこしだけ持ち上げ、その隙間から様子を覗く。
動いている。四つ足で私の左手に立ち、さっきまで閉じかけていたその目は、私を通り越してすべての物事に警戒しているようだった。私にもできた。他者の怪我を治すことが。それが、どうしようもなく嬉しかった。
「できた———っ!!できたよ!ルフィメール!教えられた通りに!」
私はうれしくて、野ネズミを両の手で支え、彼女の目の前に突き出した。彼女はいつもより数段優しい目で私を見ていた。
それから私は尚更精進した。暇を見つけては魔力の循環を意識した。もっと魔力を強くしたい。もっと魔力があったら、もっとたくさんの人や動物を元気にできる。そう思うと、いつでもやる気がわいてきた。
でも、あの時ほど強くは集まらないのだった。
何か嬉しいことがあった時、彼女の顔は華が開いたように明るくなった。私はきっとその時————
何を対価にしたのかは知らないが、ルフィメールは魔法での治療時に私を付き人として同行させるよう司教と交渉したという。神殿の別棟にある治療院には、被術者の他は司教や大司祭など、限られた人間しか入室できない戒律だ。諸用を済ませる修道女だって司教より長くこの神殿にいる、信用のおける老女だ。それほどまでに秘匿性の高い治療院への入室を、彼女と連れ立ってならと限定的に許可された。おかげで私は彼女が治癒魔法を施すのを間近で見られたし、軽い怪我なら内緒で私にも治させてくれた。患者が治療院への入室をする際、施術者の匿名性を保つため目隠しをしなければならないという規則が私にとって幸いした。なんでも、治癒魔法の珍しさから誘拐された修道女が過去にいたらしい。誘拐されてどうなったかは、伝えられていない。
ルフィメールに連れられ初めて治療院の一室へ入った時、目隠しをして部屋の中央にある寝台に横たわっている人間がいた。私は何だか不気味に思ったがルフィメールは気にしていないようで、しずしずと寝台に近寄り、その人に自身の症状を説明させ二、三何かを問うた。服を捲り露出させている右二の腕が患部のようで、私も近寄りその腕を見るとなるほどケロイド状になっていた。彼女はそこに手を当て、祈るように目を瞑った。しばらくして、彼女が手を下ろすと、そこにはケロイドなどなかったかのような玉のような肌があった。静かに横たわっていた人間は左手の指先でそっと患部だった場所に触れる。そして確かめるかのように撫ぜて、泣いた。喜びの涙なのだろう。私は勝手に感動して、決意を新たにした。治癒魔法を早く習熟させて、もっとたくさんの困っている人たちをルフィメールと共に救いたい。そう思うと、いてもたってもいられず、ルフィメールに宣言した。彼女はほほえましいものを見るような顔で笑い、ありがとうと言った。
ルフィメールの治療に付き添い始めてしばらくした頃、奉公人たちからの視線に、何かいやなものを感じた。気のせいかとも思ったが、悲しいかなそれは事実だった。
考えれば当たり前のことなのだ。治療院へは毎日のように患者が来る。神殿が厳選しているとはいえ、日に何人も治療することだってあるのだ。その分今まで私のやっていた仕事をほかの人がしているのだから、なにか一言あるべきだった。その上皆に好かれているルフィメールを私が独占しているようになっている。お昼の休憩は治癒魔法の練習とかこつけて毎日一緒に過ごしているし、終業時刻になった後でも、夕食は私と共に摂り、食後同じ部屋に向かうので、他の奉公人が私を介入させず彼女と過ごす時間はゼロに等しかった。やっかみを受けるのも致し方ない。私がもっと世渡りが上手ならよかったけれど、生憎とそんな器用な性質でもなかった。彼女は皆に好かれていたが、それに比例するように私は嫌われた。
彼女が治療院で治した患者から差し入れをもらうと奉公人で分け合うのだが、ルフィメールと共に私にも優先的に回ってきた。私は辞退しようとしたが、私が断るとルフィメールも遠慮するので、断ることもできなかった。そういうところも嫌われる一因となっていたのだと思う。それでも彼女は私から離れなかったし、私も彼女が居ればそれでいいような気にもなっていた。何より、ルフィメールに治癒魔法を教えてもらうのがとても楽しかったのだ。
治療の際、患部に手を当てるとき、彼女の手が上から添えられると、魔力が早く、強く集まるのを感じ、頬まで暖かくなった。
彼女が私のことを好いているだろうことはわかっていたが、それにつられてか私まで、彼女のことを好いてしまったようだった。彼女が私を見る顔が好きだった。
私が治癒魔法を使えるようになっていくにつれ、ルフィメールは治癒魔法を使わなくなっていった。治療院にはルフィメールと共に入室していたが、私が治療するのをあの優しい目で見ているだけのことが増えた。ルフィメールが私を信頼してくれているのだと思うとなお精進しようと思った。
そんな時だった。神託の女神がルフィメールを聖女と認めた、という知らせが届いたのは。夢枕に立ち、女神が神託を授ける様は何用にも言い難き麗しき光景だったと、ルフィメールに会いに来た教皇は語ったという。私はそれを、修道女の噂話で聞いた。
そんな話を聞いた日にも治療院への来客はある。ルフィメールに連れられて入室し、目隠しをした人の前に立つ。ルフィメールはやはり微笑みながら立っているだけだ。なんだかその表情に心がざわついた。
無事治療を終え外に出た時、丁度お昼の休憩時間になったのでそのままいつも通り一緒に休憩をとることにした。さっきから、胸のざわめきが収まらない。
「ルフィメール、最近治療しないよね」
裏庭のベンチは一つしかなく並んで座るので、普通にしていれば目が合わない。いつもは口惜しいその距離が、今はありがたかった。
「なんで最近治療しないの?」
彼女の方を見ず質問を重ねる。彼女がどんな顔をしているのか、見るのが何だか嫌だった。
「あなたが治療しているのを見るのが好きっていうのもあるんだけど、」
彼女は言いにくそうに、それでも笑い交じりに言う
「実は私、最近魔力不足気味なの。だからあなたが治療してくれてとてもありがたいわ」
驚愕だった。顔を見たくなかったはずなのに、振り向いてしまったくらいには。彼女は笑っていた。いつもとは違う笑顔だったが、その笑みがどんな意味を持つのかはわからなかった。
「——えっと、それって、大丈夫なの??」
何を言えばいいのかわからず、とても大雑把に聞いてしまったが、私の気持ちはとても漠然としていたので、こう聞くほかなかった。
「大丈夫、大丈夫。いつも本当にありがとう。感謝しているわ。」
彼女は本心からそう思っているように見えた。
「なんで魔力足りないかとか、聞いていい?」
「——ええと、たぶん、魔力量が減ってきているのかも」
そんな。そんなことが、あるのだろうか。否、あるのだろう。魔法について最近になって勉強し始めた私が知らないことなんて、無限にあるに決まっているのだ。彼女が言うのだから、あるのだろう。でも、じゃあ、聖女だという話は?そう思ったが、彼女が私に話してくれない以上、私から聞くことはできなかった。だって、誰より近くにいたという自負があるのに、そんな大切なことを話してくれてないなんて、彼女から聞く前に噂話で聞くなんて、そんなこと、あってはいけないのではないだろうか。きっと嘘だ。噂は噂。そう思って、このことを考えるのをやめた。
後日、司教に呼び出され、彼女が聖女であり、皇太子のもとへ嫁ぐ際私を侍女として連れていきたいと言っていると聞かされた。彼女が何を考えているのか私にはわからなかった。
司教の部屋から出ると、そこにはルフィメールが立っていた。
「少し、歩かない?」
私は彼女の後姿を追った。
「あなたが治療院へ入れるように頼んだ時、教皇様と約束したことがあるの。実はもうその時には私が聖女だとわかっていたけれど、皇子の準備が整うまでそのことは伏せられていた。そのころはまだ立太子していなかったから。神託では第一皇子になっているのもそのせい。神託で私と皇子が結婚すれば国が安泰だというけれど、私の家はそれを断ることもできたから、神殿側はやきもきしていたのでしょう。私が皇子との結婚を快く引き受ければ、あなたを限定的に治療院へ入室させてもいいと、そういう約束をしたの」
「あなたに治癒魔法を見せたのは、あなたの両の手を握ったのを誤魔化すためだったの。あなたが楽しそうに手ぶりを交えてお話をするから、そのかわいい手を握ってみたくなったのが、始まり」
「あなたを愛しているのは本当よ。愛しているから私の目の届くところにいてほしくて。司教様には侍女と言ったけれど、なんでもいいの。王宮に連れていくのにちょうどよかったのが侍女ってだけで。あなたに使用人の真似事なんてさせないわ。私の近くにずっと一緒にいてほしい。お願い、ついてきてくれないかしら。」
ルフィメールは裏庭までの道中、そんな話を私に聞かせた。私を愛しているといったその口で、王太子に嫁ぐと言う。なんだかよくわからなかった。でも、よくわからないなりに、ずっと考えていたことを彼女に聞いてみた。
「ルフィメール、あなた、魔力が落ちてきているって。それなのに聖女って。ほんとうなの?聖女でも魔力が落ちることがあるの?」
彼女は裏庭のベンチに私を座らせ、その向かいの地面に片膝を立ててしゃがみこみ、私と目を合わせた。
「私ね、あなたのことが本当に好きだったの」
ルフィメールは懺悔するように愛を語る。
「あなたに治癒魔法を初めてかけた時、とても喜んでくれて、それがとてもうれしくて。魔法を教えたらもっと喜んでくれるかなって。それが、魔法を教え始めた動機」
彼女の目にはその時のことが鮮明に映っているのだろう。ここではない場所を見ながら幸せそうに笑っている。
「魔法を教えるようになってから、ずうっと一緒にいられるようになって、嬉しかった。だから、もっと一緒にいられるように、皇子との結婚を決めたの。いずれ誰かと結婚しなくてはならないのなら、自分にとって最も大きな利益を得られる相手を選ぶべきよ。私が一番欲しいのはあなただった。」
愛していると言いながら、彼女は私と目を合わせない。
「愛ゆえに許される行動ではないのはわかっているけれど、もう引き返せなかった。あなたが私を許せなくなることをしてしまった。この時が来なければと何度願ったかも分からない」
「でも、言わなければならないときが来てしまった」
彼女は決心したかのように私の目を見た
「治癒魔法は聖女にしか使えない」
「あなたの動きに合わせて、私が治癒魔法をかけていたの」
「あなたに魔法は使えない」
目の前の人が何かを言っているけれど、ひどい耳鳴りで何も聞こえない。座っているのに、なんだか地面がぐらぐらしているような気がする。指先が冷たくなっていく。
現実ではないような、浮世離れした感覚。
ああそうか。
長い、長い、夢を見ていたんだわ。
国中が喪に服していた。聖女が殺された。
犯人は神殿の修道女で、聖女の項を嚙み切ったという。何とも痛ましい事件ということで、緘口令が敷かれた。
第一発見者の老女だけが知っている。
殺された聖女は、誰よりも幸せそうな顔をしていたと。




