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白石柚葉の旅先推理帖 #02「優しすぎるカプセル」— 富山・路面電車篇

プロローグ:乾杯の前に


 富山市内にある製薬会社「薬師寺製薬」の応接室。窓の外には、鉛色の冬空が広がっていた。


 次期社長の座を約束されている専務、薬師寺健(やくしじ けん・37)は、苦渋の表情を浮かべていた。対面のソファには、幼馴染であり、地元のタウン誌記者をしている高田慎吾(たかだ しんご・37)が座っている。


「健、やっぱり見過ごせないよ。お前の会社が、認可を急ぐために政治家に裏金を渡しているなんて……」


 高田の声は震えていた。正義感の強い彼らしい告発だ。だが、薬師寺にも譲れないものがあった。


「……慎吾、頼む。今、認可が下りなければ会社は倒れる。親父の代から続く社員たちを路頭に迷わせるわけにはいかないんだ」


「だからって、不正をしていい理由にはならないだろう! 俺は記事にするつもりだ。それがお前のためでもあると思うから」


 高田の目は真っ直ぐだった。昔からそうだ。彼は間違ったことが許せない。



 薬師寺は深く息を吐き、静かに覚悟を決めた。

 慎吾を止めるには、消すしかない。


 薬師寺は表情を柔らかく変えた。


「……分かった。少し考えさせてくれ。記事にするのは、日曜の岩瀬浜での商工会議所の忘年会が終わってからまた話そう。それでもいいだろう?」


「ああ、分かったよ」

「それと、これ」


 薬師寺はポケットから、小さなピルケースを取り出した。中には青と白のカプセルが一錠入っている。


「うちで開発中の特製二日酔い止めだ。最近、お前、肝臓の数値が悪いって言ってただろ? 忘年会の乾杯の30分前に飲んでくれ。劇的に効くから」


 高田は少し驚いた顔をしたが、すぐに破顔した。


「お前……こんな時まで俺の体を気遣うのか。やっぱり、お前は優しい奴なんだよな」


「ありがとう」

 高田は疑いもせず、カプセルをポケットにしまった。


「……じゃあ、日曜にな」

 薬師寺は、去りゆく友の背中を見つめながら、拳を強く握りしめた。




第一章:逆走のポートラム




 ぐっと寒くなってきた師走の日曜日、12時59分。

 北陸新幹線「かがやき525号」が富山駅に滑り込んだ。


 ホームに降り立ったのは、警視庁生活安全局の特任警視、白石柚葉。


28歳、警察庁生活安全局のキャリア官僚。若くして「警視」の肩書を持つが、本人の雰囲気はその堅苦しい響きからはほど遠い。


 ふわりと柔らかな表情、旅行好きの普通のOLにしか見えない佇まい――それが彼女の“外見の武器”でもあった。


 今回の出張は、全国の警察本部で導入が進む「防犯アプリ」の運用視察のためだ。本来は月曜からの業務だが、前回の金沢出張で北陸の魅力に取り憑かれた柚葉は、自費で前泊することにしたのだ。


「わぁ……立山連峰、空気が美味しい!」



目の前には、近未来的なLRTの停留所。高架化された駅の南北を、真新しいトラムが貫いている。


「明日は県警本部に行くから、下見をしておこうかな。地図だと……駅から南にまっすぐ、2駅くらいだね」


柚葉は駅前のホテルに荷物を預け、今日の夜は回転寿司かなと楽しみにしながら駅前を散策したのち、路面電車に乗る事にした。

 ホームに停車していたスタイリッシュな車両に乗り込み富山駅13時47分発。


「可愛い電車! これに乗って行けば、迷子にならずに着けるはず」

 意気揚々と窓際の席に座り、景色を楽しむ。


 しかし、電車が走り出して数分。

 窓の外には、ビル街ではなく、住宅街が見え隠れし始めた。


「……あれ? 県警って、もっと街中じゃなかったっけ?」


 不安になった柚葉は、向かいの席に座っていた男性に声をかけた。


 黒縁眼鏡をかけ、無精髭を生やした少し強面の男性だ。膝の上には、銀色のごついジュラルミンケースを大事そうに抱えている。


「あ、あの、すみません。富山県警本部に行きたいんですけど、どこで降りれば良いのでしょうか?」


 男はスマホから顔を上げ、きょとんとした顔で柚葉を見た。

「県警本部? ……あんた、これ逆だよ」


「えっ」


「県警本部は南側。この電車は北に向かう『富山港線』だ。終点は海の方の『岩瀬浜』だよ」


「う、嘘ぉ……!」


 柚葉の声が車内に響いた。


その男性は、やれやれといった様子でため息をつき、再びスマホに視線を戻してしまった。

(うぅ、やっちゃった……)


 柚葉は肩を落としたが、すぐに窓の外の景色を見つめ直した。


(でも待てよ? ガイドブックに『岩瀬浜の古い町並みが素敵』って書いてあったような……。海も近いし、せっかくここまで来たんだから、行ってみちゃおうかな!)


 柚葉は瞬時に気持ちを切り替えた。このポジティブさが彼女の長所だ。

 その様子を、少し離れた席から見ている男がいた。


 薬師寺健だ。彼は帽子を目深にかぶり、じっと腕時計を見つめていた。

 時刻は14時00分を示している。


 (……時間だ。今頃、会場では乾杯が行われているはずだ)


 普段、移動はすべて車だ。だが今日はあえて路面電車を選んだ。

 駅には防犯カメラがあり、ICカードの記録も残る。商工会議所で騒ぎが起こるその瞬間、自分は確実にこの電車の中にいた。


 完璧なアリバイだ。薬師寺は小さく息を吐き、窓の外へ視線をやった。




第二章:衝突とサイレン




 14時12分。終点、岩瀬浜駅に電車が到着した。


 薬師寺健は一番にホームに降り立った。

 冷たい海風が頬を打つ。彼は帽子を目深にかぶり直し、改札へと向かった。

 その時だった。


 ウゥゥゥゥ――!

 カンカンカンカン!


 静かな港町に、けたたましいサイレン音が響き渡っている。


 音の出処は、駅から歩いて数分の「岩瀬浜商工会議所」


 薬師寺の足が、ピタリと止まった。

 (……始まったか)


 救急車とパトカーの音。それは、計画通りに事が進んだことを告げる合図だった。


 慎吾に渡したカプセル。そして14時の乾杯。そして友人の心臓が止まった。


 (終わったんだ。これで、会社は守られた)


 胸の奥から湧き上がるのは、安堵感。


 しかし同時に、鉛のように重い塊が胃の底に落ちていくのを感じた。

 (すまない、慎吾……)


 友を自らの手で葬った事実が、薬師寺の足取りを重くさせた。



 薬師寺はポケットに手を突っ込んだまま、噛み締めるように、一歩、また一歩と、とぼとぼと歩き出した。


 一方、同じ電車から少し遅れて降りてきた柚葉も、その異様なサイレンの音に反応していた。

「えっ、何? 事故?」


 柚葉が目を丸くする。


 先ほど柚葉が話しかけた強面の男性が、その音に鋭く反応した。彼はジュラルミンケースを持ち直すと、険しい表情でサイレンの鳴る方角へと走り出した。


(さっきの人だ、すごい勢いで走ってく。……ただ事じゃないみたい)


 パトカーの数と言い、尋常ではない雰囲気だ。柚葉も野次馬根性が騒いだのか、あるいは何かに引かれるように、放ってはおけなかった。


「私も行ってみよう!」


 柚葉もその男性の後を追うように駆け出すと、


 ドンッ!


 前を歩いていた人物の背中に、勢いよくぶつかってしまった。


 相手はよろめき、柚葉も体勢を崩す。

ぶつかった相手は、薬師寺だった。


「ああっ、ごめんなさい! 急いでいたもので!」


 柚葉は慌てて頭を下げる。

 薬師寺はゆっくりと振り返り、穏やかな、しかしどこか虚ろな目で柚葉を見た。


「……いえ、大丈夫ですよ。気をつけて」


「すみません! 失礼します!」


 柚葉は再度頭を下げると、それ以上彼を気にすることもなく、再び駆け出した。




第三章:静かなる幕切れ



 岩瀬浜商工会議所の大広間は、忘年会の華やかな空気から一転、重苦しい沈黙と混乱に包まれていた。


 駆けつけた救急隊員による蘇生措置も虚しく、被害者・高田慎吾の死亡が確認されたのだ。


 現場にはすでに所轄の富山北署の刑事が到着し、規制線が張られている。

 立山は慣れた手つきでジュラルミンケースを提げ、規制線をくぐろうとした。


「おい、鑑識はまだか!」

 怒号を飛ばしていた強面の刑事が、ある男性を見て表情を緩めた。


「おお、県警科捜研の立山さんじゃないか! ちょうどよかった、連絡しようとしてたんだ」


「どうも。近くで別件の調査がありましてね、サイレンを聞いて来ました」

 立山は短く挨拶し、そのまま中へ入っていく。


柚葉が路面電車の中で道を尋ねたのは、県警科捜研の立山徹(たてやま とおる・52)元刑事のベテランだった。


柚葉も忘年会参加者の群衆に隠れるようにして、現場の様子を覗き込んだ。


「こらこら! そこのお姉さん、ここは関係者以外立ち入り禁止だよ」

 立山が振り返り、呆れたように柚葉を制止した。


「観光客は海の方へ行きなさい。危ないから」


 柚葉は縮こまるように「すみません……」と頭を下げたが、懐から黒革の手帳を取り出し、遠慮がちに差し出した。


「あの……お仕事のお邪魔をするつもりはないんですが、もしよろしければ、少しだけ状況を拝見させていただけませんか? 実は、こういう者でして……」


 警察手帳の記章が光る。

 立山と所轄の刑事がのぞき込み、その階級を見て絶句した。


「け、警視庁……警視!?」


 所轄の刑事が直立不動になり、慌てて敬礼する。


「し、失礼いたしました! 本庁の方とは存じ上げず!」


 立山は口をあんぐりと開けていた。

「はぁ!? あんた、さっき電車逆方向に乗ってた……あのドジな観光客だよな!?」


「あはは……ドジなのは否定できません」


 柚葉は恥ずかしそうに微笑み、ペコリと頭を下げた。


「明日から富山で仕事がありまして、たまたま通りかかったんです。ご迷惑でなければ、ご協力させてください」


 「は、はい! もちろんです!」と恐縮する刑事たちに招き入れられ、柚葉は現場へと足を踏み入れた。


 現場の状況は奇妙だった。

 目撃者の証言によると、高田は14時の乾杯でビールを一口飲んだ直後、胸を押さえることもなく、すっと意識を失ったという。


「苦しまなかったんですか?」

 柚葉が尋ねると、目撃者の男性は青ざめた顔で頷いた。


「ええ……。まるで電池が切れたみたいに、コトッと机に突っ伏して、そのまま……」


立山がジュラルミンケースを開き、簡易検査キットを取り出した。

「……妙だな」


 彼は被害者の飲食物や唾液などの残留物を採取し、試薬に浸すが、立山は眉をひそめた。

「反応がおかしい。毒物反応が出ない。……いや、何か反応はあるんだが、成分が多すぎて特定できない。サプリメントか何かか? まるでビタミン剤のジュースみたいだ」


「死因は毒ではないということですか?」


「いや、無味無臭の毒なら検査キットをすり抜ける場合もある。だが、この手の急死なら青酸カリやヒ素が疑われるが、それらの反応はない。それに、こんなに安らかな死に顔にはならんぞ」


 立山は首を捻った。


「詳しいことは解剖に回して、ラボで精密検査をしないと分からんな」


 一方、会場の隅では、重要参考人への事情聴取が行われていた。

 被害者の親友であり、この会に参加予定だった薬師寺健だ。彼はハンカチで顔を覆い、肩を震わせて泣き崩れていた。


「……信じられない。慎吾が死ぬなんて……」


「薬師寺さん、お辛いでしょうが確認させてください。こちらへは?」


「はい……電車で向かっていたんですが、少し遅れてしまって……。着いたらサイレンが聞こえて……」


 そこへ、柚葉がそっと歩み寄った。

「失礼します」


 涙目の薬師寺が顔を上げ、柚葉を見てわずかに目を見開いた。

「あ……あなたは、さっき駅でぶつかった」


 柚葉は穏やかに一礼した。

「ええ。すみません、先ほどは急いでいて。……警察庁の白石と申します」


「警察の方……だったんですか」


 薬師寺は驚いた表情を見せたが、すぐにまた悲痛な顔に戻り、深くため息をついた。


「……僕がもっと早く着いていれば。慎吾の異変にすぐ気づけたかもしれないのに……」


 その悲しみに暮れる姿は、誰が見ても「親友を失った男」そのものだった。


 周囲の刑事たちも、同情的な視線を送っている。

 だが、柚葉だけは違った。


 彼女は静かに薬師寺の横顔を見つめながら、胸の奥で小さな棘のような違和感を感じていた。


 (……おかしい)


 この人は、今こんなに悲しんでいる。親友の死を誰よりも悔やんでいる。


 駅に着いてサイレンを聞いた時、自分の目的地である会場で何かあったのかと、普通は不安になるはずだ。


 (だったら、どうしてあんなにゆっくり歩いていたの?)


 駅の外でサイレンが鳴り響いていた時、彼はポケットに手を入れて、とぼとぼと歩いていた。


 普通なら、走る。あるいは早歩きになる。


 まるで「急いでも意味がない」ことを知っているような、あの足取り。

 柚葉は口元を引き締め、悲嘆に暮れる薬師寺の姿を、静かに、じっと見つめ続けた。




第四章:サプリメントのマリアージュ




 翌朝、月曜日。

 富山県警察本部、刑事部捜査第一課の会議室。

 窓の外には立山連峰がくっきりと見えていたが、室内の空気は澱んでいた。


 円卓を囲むのは、強面の刑事たちと、白衣姿の立山。そして、場違いなほど柔らかな雰囲気を纏った白石柚葉だ。


 捜査一課長が、恐縮しきった様子で柚葉に頭を下げた。


「あの……白石警視。本日は『防犯アプリ導入』の視察予定では? このような殺人事件の捜査会議に、本庁の幹部の方を同席させてしまい恐縮です……」


 柚葉は手元の資料を見つめたまま、ふんわりと微笑んだ。


「お気になさらないでください。アプリの件は午後から調整しましたので。それに、私も第一発見者に近い立場ですから、どうしても気になってしまって」


「は、はぁ……警視がそうおっしゃるなら」


 課長は冷や汗を拭い、会議を再開させた。

「では、立山。解剖と検査の結果を報告しろ」


 立山がホワイトボードの前に立ち、資料を掲げた。

「……結論から言うと、死因となる毒物は特定できていない」


「特定できない? だったら死因は?」

 刑事が身を乗り出すと、立山は首を振った。


「いや、そう簡単じゃないんだ。被害者の血液は、まさに『成分のカクテル』状態だ。彼は極度の健康オタクで、ビタミン、ミネラル、アミノ酸、さらには海外製のハーブエキスまで……日常的に大量のサプリメントを摂取していたらしい」


 立山は資料を指で弾いた。


「これらの大量の成分が化学反応を起こし、分析の邪魔をしている。何らかの毒物が混入されていたとしても、今の段階ではサプリの成分に埋もれてしまって、特定に時間がかかっているんだ」


 課長が腕を組んで唸る。

「だが、乾杯の一口で倒れたんだぞ? 状況から見て急性の中毒死だろう」


「ああ、その可能性は高い。だが、科学的な『毒』の証拠がまだ出ない以上、断定はできん。……厄介なヤマだ」


捜査は難航していた。


 「毒殺の疑いは濃厚だが、証拠がない」という宙ぶらりんな状態だ。


 話題は当日の被害者の行動に移る。


「目撃証言によると、被害者は乾杯の30分前、13時30分頃に自らピルケースからカプセルを取り出し、飲んでいる姿が見られています」


「そのカプセルが毒だった可能性は?」


「分かりません。被害者は隙あればサプリを飲む習慣があったそうで、周囲も『いつものビタミン剤だろう』程度にしか思っていませんでした。その一粒が毒だったのか、ただの健康食品だったのか……」


「自殺の線はないか? 苦しまずに死ぬために、自分で毒でも調合したとか」


 課長が首を振る。

「遺書もなければ、動機も見当たらん。それにわざわざ忘年会の席で死ぬ必要がない。やはり他殺だ」


現場の状況から自殺説は否定され、捜査は「誰が毒を盛ったか」に移る。

ここで、容疑者の名前が挙がる。

「被害者に頻繁にサプリメントを提供していた人物がいます。今回の忘年会にも参加している薬師寺製薬の専務、薬師寺健です」


「薬師寺専務と被害者は、地元でも有名な兄弟以上に仲が良い大親友です。殺す動機が見当たりません」


「それに、彼が現場に到着したのは被害者が倒れた後です。物理的に毒を飲ませるのは不可能でしょう」


 一人の刑事が首を傾げた。

「そういえば、薬師寺専務はなんで昨日は電車で遅れて来たんだ?普段は高級車か社用車だろう。帰りは運転代行を呼べばいいのに」


「ああ、それについては本人から聴取済みです。『忘年会で深酒するつもりだったし、たまには路面電車に揺られていくのも風情があるかと思った』と言っていました。まあ、あのクラスの金持ちの気まぐれでしょう」


「なるほどな」

 刑事たちは納得した様子で頷いた。


 ここで立山が口を開いた。

「彼のアリバイについては、駅の防犯カメラとICカードの記録で裏が取れている。犯行時刻、彼が電車内にいたのは間違いない。そして実は昨日、俺と白石警視は、薬師寺と同じ電車に乗っていたんだ。俺たちが岩瀬浜駅で降りた時、彼が前を歩いているのを確認している。犯行時刻、彼が現場にいなかったのは間違いない」


 その発言に、一人の刑事がニヤリと笑って茶々を入れた。

「へぇ? 立山さん、白石警視と日曜に同じ電車って……まさかデートですか?」


 ドッと会議室が沸く。

 立山は顔を赤くして「ち、違う! たまたまだ!」と声を荒げた。


 柚葉も慌てて手を振り、苦笑いで弁明した。

「ち、違いますよぉ! 私、今日から県警本部に来る予定だったんですけど、極度の方向音痴なもので……。迷わないように昨日予行演習をしておこうと思ったら、見事に逆方向の電車に乗ってしまったんです。そこで偶然、立山さんに助けていただいただけで……」


 「警視ともあろうお方が!」と、会議室は再び大きな笑いに包まれた。


 張り詰めていた空気が緩み、刑事たちの柚葉を見る目も、「偉い本庁の人」から「愛すべきドジっ子」へと変わったようだ。


 課長が笑い涙を拭きながらまとめた。

「まあ、そういうわけで薬師寺のアリバイは完璧だ。やはり飲み物に毒が盛られた線を洗おう」


 捜査方針が決まり、会議は散会となった。

 刑事たちが慌ただしく部屋を出ていく中、柚葉は一人、資料を見つめていた。


 (……大親友。そして、完璧なアリバイ)

 (毒物反応は出ないけれど、状況はなんとなく不自然……)


薬師寺はシロなのかもしれない。

 だが、柚葉の頭の片隅には、昨日の「あの光景」がこびりついて離れなかった。


 救急車とパトカーがサイレンを鳴らす中、ポケットに手を入れ、とぼとぼと歩いていた薬師寺の姿。


 (これから向かう場所で騒ぎが起きているのに、どうしてあんなにゆっくり歩けたんだろう……)


 (まるで、何が起こったのか知っていたような……あるいは、もう終わったと安心しているような……)


 得体の知れないモヤモヤだけが、柚葉の胸に残っていた。




第五章:納得の寿司と納得できない事実



 その日の午後、柚葉は本来の業務である「防犯アプリ導入」の視察を真面目にこなした。県警本部の担当者からは「警視庁の方はもっと堅物かと思っていましたが、話しやすいですね」と好評だったが、方向音痴でトイレから戻るのに20分かかり、みんなに体調を心配されている。


 そして、夜。 柚葉は、富山駅前の路地裏にある一軒の寿司屋の前に立っていた。

 昼間、立山に「富山の魚が食いたいならここに行け」と教えてもらった店だ。


「ここですね。いい雰囲気……」

 暖簾をくぐり、引き戸を開ける。


「こんばんは〜」


 こぢんまりとした店内を見渡すと、カウンターの隅で手酌酒を楽しんでいる背中があった。


 白衣から私服に着替えているが、そのボサボサ頭は見間違えようがない。

「あ、立山さん! いらっしゃったんですね!」


 立山が驚いて振り返り、持っていた猪口を取り落としそうになった。

「げっ……白石警視!? なんでここに」


「『なんで』って、立山さんが教えてくれたお店じゃないですか。早速来ちゃいました」


 柚葉はニコニコと笑いながら、当然のように立山の隣の席に座った。


「いやぁ、奇遇ですねえ。こうして会えたのも何かの縁ですし……今日はご馳走になっちゃおうかな?」


 立山は呆れたように天を仰いだ。

「……なんで安月給の俺が、キャリア組の警視殿に奢らなきゃいけないんだ」


「まあまあ、昨日からのご縁ですし、割り勘じゃあ年上の立山さんのプライドを傷つけてしまうと思います」


「ぐっ……口が達者な人だ」


 立山は渋々といった様子で、大将に声をかけた。


「大将、この人に適当に握ってやってくれ。……ツケでな」


 カウンターの中にいた大将は、立山とは古くからの馴染みのようだ。ニヤリと笑って包丁を動かす。


「へいよ。立山の旦那が女性連れとは珍しいねえ。今日はとびきりの寒ブリが入ってるよ」


「わぁ、ありがとうございます! いただきます!」





 出された寒ブリを口に運び、柚葉は「ん〜!」と至福の表情を浮かべた。その屈託のない笑顔に、立山も毒気を抜かれたのか、まんざらでもなさそうに自分の杯を傾けた。


「……で、どうだった? 午後からのアプリ視察は」


「バッチリです。でも、やっぱり頭の片隅には事件のことがあって」

 柚葉が箸を置くと、立山の表情が少し真面目なものに戻った。


「……俺の方でも、少し情報を洗ってみた。被害者の高田が、最近何を調べていたかについてだ」


 立山は声を潜める。

「薬師寺製薬の経営はかなり危ないらしい。社運を賭けた新薬の認可が遅れていて、資金繰りがショート寸前だそうだ」


「それで、経営難なんですか……?」


「ああ。認可を急がせるために、地元の有力議員に多額の現金を渡しているという噂がある。正義感の強い高田は、それを止めるために証拠を掴んでいた可能性も高い」


「もしそれが本当なら大親友であったとしても動機になりますよね……」

 柚葉は悲しげに呟いた。


 すると、会話を聞いていた大将が、手を動かしながら口を挟んだ。

「へえ、立山の旦那、昨日の商工会議所の件かい? 大変だったねえ」


「ああ。大将も聞いたか?」


「富山は狭いからね、噂はすぐ広まるよ。なんでも、亡くなった高田さんって人は、ノイローゼで自殺したんだろ? 薬を自分で飲んだって、もっぱらの噂だよ」


 柚葉と立山は顔を見合わせた。

「自殺……街ではそういう話になってるんですか?」

柚葉は尋ねた。


「ああ。最近は少しふさぎ込んでたらしいし、健康オタクってのも、裏を返せば自分の体に不安があったんだろうってね。可哀想になあ」


 大将はそう言って、サービスだと言って白エビの軍艦を二人の前に置いた。


「……なるほどな」

 立山が白エビを頬張りながら呟く。


「まだ警察発表前なのに、もう『自殺説』が定着しつつある。犯人にとっては好都合な展開ですね。もし薬師寺さんが犯人なら、このまま自殺として処理されるのを待つだけでいい……」

柚葉は白エビの甘みを噛み締めながら、考えを巡らせた。


(自殺説が広まっているなら、彼は安心しているはず。……その油断が、隙になるかもしれない)


 その時、店の引き戸がガララと開いた。

「おっ、大将! やってる?」


 入ってきたのは、昼間の捜査会議にいた刑事たち三人組だった。

「あれっ? 立山さんに……白石警視!?」


 刑事たちが目を丸くする。そして、ニヤニヤと視線を交わした。

「なんだなんだ、捜査の話かと思ったら、やっぱりお二人、デートだったんですか?」


「お熱いですねえ! 本庁と県警のロマンスだ!」


「ぶっ!」


 立山が酒を吹き出しそうになる。

「ち、違う! これはだな、たまたま店で会っただけで……!」


「ふふふ、立山さんに富山の美味しいものを教えていただいてたんです。ご馳走になっちゃいました」

 柚葉はニコニコと笑ってかわした。


「はは、失礼しました。……ところで立山さん、実は緊急でお耳に入れたいことが」


刑事は急に真顔になると、店の隅の方を目で示した。

立山と柚葉は顔を見合わせ、箸を置いて席を立った。


刑事は声を極限まで潜め、二人にだけ聞こえるように早口で告げた。

「実は例の件で……」


その内容は衝撃的なものだった。

「なっ……!?」

「本当ですか、それは」


 立山と柚葉は同時に声を上げ、驚愕の表情で刑事を見つめた。


 刑事は深く頷き、「間違いありません」とだけ答えた。

 立山は腕を組み、しばらく天井を仰いでいたが、やがて大きく息を吐き出した。


「そうか……よくわからないが、となると事件としてはこれで解決ってことだな」


その声には、どこか拍子抜けしたような響きがあった。立山は横にいる柚葉に視線を向けた。


柚葉は胸の奥に、拭い去れない違和感を感じていた。

(本当にこれで終わり? 何かが……何かが決定的に違う気がする)


彼女の中の直感が、警鐘を鳴らし続けていた。




第六章:毒と優しさ




 翌火曜日。


 白石柚葉は、富山市内にある「薬師寺製薬」の本社ビルを訪れていた。

 受付で名刺を提示し、専務室へと通される。


 部屋には、背広姿の薬師寺健がいた。やつれた表情は演技ではないだろう。親友を失った悲しみは本物に見えた。


「お忙しいところ申し訳ありません、薬師寺さん」

 柚葉は申し訳なさそうに眉を下げた。


「いえ……今日はどんなご用件で?」


「実は、捜査が行き詰まってしまいまして……。専門家である薬師寺さんに、個人的にアドバイスを頂けないかと」


「アドバイス、ですか」

 薬師寺は少し警戒する素振りを見せたが、柚葉の頼りなさげな態度を見て、椅子を勧めた。


「警察としては、高田さんが多量のサプリなどを飲んでいた為に病理解剖をしてもなにかの毒物を飲んだのか特定が難しいようです。なので病死や自殺の可能性も視野に入れ始めています」


柚葉がそう告げると、薬師寺の表情がわずかに和らいだ。


「……自殺、ですか。信じたくはありませんが、彼ならあり得るかもしれません」


「えっ、そうなんですか?」


「ええ。慎吾は正義感が強かったが、繊細でもありました。それに……昔から体が弱く、健康に対して過剰なほど神経質だった。自分の健康不安を苦に、発作的に……ということは考えられます」


 薬師寺は、親友が「殺された」のではなく「事件性はない」というストーリーを補強し始めた。


柚葉は手帳を開き、声を潜めた。


「実は、ここだけの話なんですが……高田さんのご自宅にあったピルケースからアコニチン誘導体が検出されました」


「アコニチン……トリカブトの成分ですね」

 薬師寺は即座に反応した。


柚葉は首を傾げてみせた。

「はい。でも、そこが不可解なんです。科捜研の方に聞いたんですが、アコニチン中毒というのは、内臓を雑巾絞りにされるような激痛を伴うそうですね? 七転八倒の苦しみだと」


「……ええ、一般的にはそう言われています」


「でも、高田さんの最期はとても安らかでした。目撃者の方々も『眠るように倒れた』と言っています。苦悶の表情一つなかったと。これって矛盾していませんか? アコニチンでそんな死に方ができるんでしょうか?」


 柚葉は「分からない」という顔で薬師寺を見つめた。


薬師寺の中で、スイッチが入った。

「……いえ、理論的には可能です」


薬師寺は静かに、しかし熱を込めて語り始めた。

「もし彼が自殺を選んだのなら、彼は苦痛を避けるために徹底的に計算したはずだ」


「計算、ですか?」


「ええ。例えば腸溶性のカプセルを使うんです。胃で溶けず、腸で溶けるタイプなら、飲んでから効果が出るまでタイムラグを作れる」


 薬師寺は指を立てて説明する。


「彼が乾杯の30分前にその毒入りカプセルを飲む。そして定刻にビールを飲む。するとアルコールが吸収を早め、カプセルが溶けるタイミングと重なる」


「はぁ……なるほど」


「さらに、彼は痛みを消すために『強力な鎮静剤』を一緒にカプセルに詰めたはずです。そうすれば、発作が起きると同時に意識が落ち、苦しみを感じる間もなく逝ける。……彼なら、そこまで計算して『安楽死』のような方法を選んだんでしょう」


「……すごい」


 柚葉は感嘆の声を上げた。


「乾杯の30分前にカプセルを飲んで、鎮静剤も混ぜておく……。そうすれば、みんなの前で安らかに逝けるわけですね。辻褄が合います!」


「ええ。きっと慎吾は、そうやって最期を迎えたんでしょう。……苦しまずに逝けたのなら、それだけが救いです」


それがこのカプセルですね。


柚葉は、ポケットから一つの写真を取り出した。


 写真に写っているのは、青と白のカプセルが一錠。


 それを見た瞬間、薬師寺の目が点になった。


「な……それは……なんですか?」


「高田さんのお薬入れから見つかったものです」


薬師寺の思考が停止する。


柚葉は静かに告げた。

「病死です。……解剖の結果の病死だったんです。高田さんの心臓は限界を迎えていました」


薬師寺はよろめきつつも冷静を装った。

「そうか慎吾は病死だったのですね…。とても残念です。製薬会社の人間としても親友としても助けてあげれなくて」


「ええ。直接の死因は病気です」


 薬師寺の顔に、安堵とも絶望ともつかない複雑な色が浮かぶ。


 しかし、柚葉は畳み掛けた。


「ですが、このカプセルからはアコニチン誘導体と、先ほどあなたが言われた強力な鎮静剤が検出されました」


薬師寺が凍りつく。


「このカプセルの指紋や製造元を徹底的に調べます。高田さんが飲んでしまったら成分の特定は難しくなったでしょう。当然、指紋も検出されないです」


「でも飲まれていないカプセルがそのままあります。もしここから、あなたの指紋や、あなたの会社が社運をかけて認可の為に動いている鎮静剤と同じ成分が出れば、薬師寺さん、言い逃れはできません」

薬師寺はガクリと膝をついた。


「……信じていたんだ。彼がこれを飲んで、安らかに逝ったんだと……」


「飲まなかったのか……俺を信用してなかったのかな」


「だから、あんなにゆっくり歩いていたんですね」

柚葉は、ずっと抱えていた違和感の正体を突きつけた。


「なんのことですか?」薬師寺はうなだれて呟く。


「あの日、岩瀬浜の駅でサイレンを聞いた時、あなたはのんびりと歩いていた。これから向かう商工会議所が騒ぎになっているのに…」


「あなたは計画通りだと確信していたから、急ぐ必要がなかった」


薬師寺は顔を覆い、嗚咽を漏らした。

「……止めたかったんだ。会社の不正を暴こうとする高田を。でも、苦しませたくなくて……鎮静剤を……」


柚葉は、床にうずくまる薬師寺を見下ろし、悲しげに、しかし凛とした声で告げた。


「その鎮静剤が、あなたの殺意を証明してしまいました」


「薬師寺さん。あなたの優しさが、あなた自身を捕まえてしまったんですよ」


薬師寺は崩れ落ちるようにソファに座り込んだ。その目からは、言い逃れようとする意志が消え失せていた。


エピローグ:環状線の迷宮



 薬師寺の自供により、事件は解決した。彼は殺人を犯してはいなかったが、親友を殺そうとした罪を背負い、償うことになった。


 翌日の午後、富山駅前。

 仕事を終えた柚葉は、立山に見送られていた。


意外な結末に立山は頭をかきながら

「いやぁ、まさか毒薬を飲んでいなかった病死とはな」


「でも高田さんがなんで飲まなかったのか、なにか危険を感じていたのか、それとも単に忘れていたのか、それはわからないままですね」柚葉は遠くを見つめる。


「ただ確信を持ったのは富山のお寿司は美味しかったです。立山さんご馳走様でした!」

柚葉は笑顔で手を振り、駅の改札へと向かった。


 しかし、彼女の足はなぜか新幹線改札ではなく、再び路面電車の乗り場へと向かっていく。

「おい? 警視、新幹線はあっちだぞ?」


 立山が声をかけようとした時には、柚葉はすでに路面電車に乗り込んでいた。


「ふふっ、新幹線と路面電車を間違えるほど方向音痴じゃありませんよ!富山駅周辺をぐるっと回る環状線に乗って、最後にお土産を買って帰るんです!」


 自信満々に電車の中から手を振る柚葉。


 しかし、立山はその電車の行き先表示を見て、顔面蒼白になった。

「おい……それは環状線じゃなくて、また岩瀬浜行きだ!」


プシュー、と無情にもドアが閉まる。


走り出した電車の中で、「えっ?」と固まる柚葉の姿が見えた。


「……どんだけ岩瀬浜が好きなんだ」


立山は大きなため息をつき、スマホを取り出した。


 白石柚葉の旅は、まだまだ終わりそうにない。


(第二話 完)


次回予告 【第3話:福井・東尋坊篇】 1月10日(土) 21:00 公開予定 可愛い後輩と行く、あわら温泉&東尋坊の女子旅! しかし、断崖絶壁で見つかった遺体のそばには、 奇妙なほど「丁寧に揃えられた靴」が残されていた。 「自殺する人が、自分の靴をこんなふうに置くかな……?」 女将の優しさと、消えたブランドバッグの謎。 恐竜の街で、柚葉の推理が再び冴え渡る! 次回もお楽しみに!

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