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9話

(くそっ、こんなこと気づきたくなかった。あの准教授くそじじいめ……)

 星屑みさきはAIかもしれない。その不吉な発想を得てからの日々は、不確かで落ち着かない感覚が続いていた。

 復帰した星屑みさき本人なのか?別人なのか?それともAIなのか?


(もう推すのをやめてしまおうか……)

 彼女の卒業とともに一度終わった推し活だ。元に戻るだけ、と言えなくもない。


(いや、そんなのは無理だ)

 いなくなったときとは状況が違う。今は目の前に“推し”がいる。

 一度消えたはずの彼女が、再び目の前に戻ってきた。

 この“奇跡”を自分の手で手放すことなんてできるわけがない。


(はぁ……情報が圧倒的に足りない……)

 断片的な材料を積み上げても“真実”には届かない。迷路のど真ん中で袋小路に押し込められたようだった。


「あ、先輩~、この問題を教えてほしいんですけど」

 行き詰まり、思考がまとわりついたまま動かなくなっていた俺の背後から、姫島が声をかけてきた。振り向くと、彼女はプリントを胸に抱えたまま立っていた。


「これは……過去問か?」

「そうです、私も大学院行くことにしたんですよ」


 姫島は上目遣いでこちらを伺い、何かを訴えるような視線を送ってくる──が、俺の関心は一ミリもそちらへ向かなかった。


「そうか……」

「先輩も博士課程に行くんですよね?これでさらに2年、一緒にいられますよ」

「ああ……」


 姫島はその後も何かを楽しげに喋っていたが、すべて俺の意識を素通りして、言葉の一つも頭に入ってこなかった。


(姫島は大学院に進学か、西田と森下は就職って言ってたな)

「進路……進路か」


 呟いた瞬間、視界の端でスマホの画面がふっと光り、デジタル広告が目に留まった。


 ──ミラージュ新卒採用。

 その一文を目にした瞬間、自分の中で光が弾けたように感じられた。

 ミラージュに就職すれば内部の情報も得られる。

 その情報があれば、この停滞を終わらせることができるのではないか?


(星屑みさきの真相が分かるかもしれない……)

 ずっと霞がかかったように重たかった思考が、急激に晴れ渡っていくようだった。


 ◆    ◆    ◆


 梅雨の湿気がじっとりとまとわりつく夜、自宅のワンルーム。

 角に置かれた狭い机にはPCと、こじんまりと推しのアクスタが並んでいる。

 それ以外にはほとんど物がなく、整えられた余白が部屋の空気を静かに区切っていた。


 俺はミラージュのエントリーシートに向き合っていた。

「……ここは普通に無難にいくべきだろう」


 志望動機欄を見つめながら、自分のスペックを冷静に分析する。

 理系の大学院生という肩書きだけで“優秀枠”には入る。妙なオタク色を出せば逆効果になるのは目に見えていた。


 結果できあがったのは、参考書の見本にでも載っていそうな、毒にも薬にもならない志望動機だった。


(……まあ、就活なんてこんなものか)

 送信ボタンを押した瞬間、張り詰めていた肩の力がふっと抜けた。


 推しの正体を確かめたい。

 そんな理由で就職を選ぶなんて、自分でも笑えるほど突飛な動機だと思う。

 それでも、知りたいという思いは進路すらねじ曲げるほど強かった。


 一度踏み出した以上、もう引き返すわけにはいかない。あとは、前へ進むだけだ。


 ──翌日、オンライン筆記テストの案内メールが届く。

「SPIか……あまり勉強してないけど、大丈夫だろう」


 付け焼き刃で焦って詰め込むより、しっかり食べて寝て万全の状態で挑むほうがいい。

 そう判断して焦らず挑むと、問題は意外なほどあっさりと解き終わった。


(手ごたえは正直わからない。でも集中はできてたし……たぶん大丈夫だろ)

 そう思えた瞬間、集中の反動でどっと疲れが押し寄せ、そのまま布団に潜り込んだ。


 横になり目を閉じると、ふと“就職した後の未来像"が浮かぶ。

(実際に働くことになったら……推しがすぐ近くにいる職場で働くのか?)


 不純というほどではない。でも純粋とは言えない。そんな微妙な、期待。

 下心のようなものが芽生えるのを感じた。


(会えるわけじゃなくても……“近い距離にいる”ってだけでもやる気が出そうだ)


 ──そのまま一次、二次面接を順調に通過していった。


 採用試験を始めた頃とは違い、心に少しずつ余裕が生まれていく。

 この調子でいけば、推しの “すぐ近く” で働けるかもしれない。


 そう考えた途端、想像ばかりが勝手に暴走しはじめ、気づけば頬がゆるんでいた。


(もし直接話す機会があったら、何を言えばいい……?)

(距離感は大事だよな。厄介なファンだと思われたら即アウトだし)


 ……いや、待てよ?


 自宅のPCの前で椅子に深く背を預けて妄想に沈んでいた俺の背筋を、指先でつつかれたような嫌な予感がふっと走る。

 推しのVTuberに“社員として”会うということは、相手はキャラクターではなく中の人、つまり素の人間だということだ。


 そこに思い至った瞬間、背中をひやりと風がなでていくような感覚がした。


(じゃあ……どんな人なんだ?)


 俺の理想を具現化したような、容姿端麗な妙齢の女性……?

 世の中がそんな都合よく回るはずもない。むしろ最悪の可能性まで視野に入れておくべきだろう。


 まず脳裏に浮かんだのは、筋骨隆々のゴリラ系マッチョ女性が、あの繊細なビブラートを響かせている姿……

 吉○沙保里がアイドル衣装で歌姫……?いや……それはそれでギャップ萌えだと思えばなんとか……


 だが──脳内の片隅が“最悪の可能性”を拾ってくる。


(……小太りの中年おっさんだったら?)


 薄いカーテン越しの街灯がゆらりと滲み、部屋の影が揺れる。

 その揺れと同期するように脳内スクリーンが動き出した。


 推しの名乗り口上を、全力の裏声で叫ぶ小太り中年男性──

『夜空に煌めくスターダストッ! 一等星よりも──ッ!!』


 裏声がひび割れ、想像しただけで精神がごっそり持っていかれる。


「……やめよう」

 思わず声が漏れた。自分の想像なのにトラウマになりそうだ。

 これ以上深掘りすると何かの根幹が崩壊する気がする。俺はそっと思考のフォルダを閉じた。


 ──そして数日後、二次面接通過と最終選考の案内メールが届いた。


<最終選考のご案内(八十神社長面談)>


 画面を見て数秒遅れてその意味を理解したとき、胸の奥でドクンと強い鼓動が跳ねた。

 社長なら星屑みさきの“真相”を知っているはずだ


(思っていたよりもずっと早く“真相”にたどり着けるかもしれない)




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