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7話

 昼下がりの研究室は、サーバーの低いうなりだけが満ちていた。

「……やっぱり、違うな」

 俺は自席で肘をつき、モニターに並ぶ波形とスペクトログラムを交互に睨みつける。


 卒業前の星屑みさきの音声と、復帰後の音声。

 どちらも何十回も聞き、何百回も分析にかけてきた。

 それでも、どうしても埋まらない“溝”がある。


 フォルマントの揺れ幅、持続母音の癖、息の抜けるポイントの周期。

 全て“似ているようで似ていない”。

 原因はわからない。

 けれど──“何かによって”確かに変わっている。


「一旦、原因は置いとこう。まずは復帰後データを全部外す」

 自分に言い聞かせるように呟き、手元のキーボードで条件をガチャガチャと切り替える。


 復帰後の音声を除外し、卒業前のデータだけでモデルを再構築する。

 噂されている三人の“転生候補VTuber”との比較を再度行う。


 ――数十分後、モニターの端に結果が並んだ。

【花守あいり】52%

【白霧ゆりあ】44%

【音坂オウカ】46%


 指標を順に追っていくが、三人のVTuberと星屑みさきの一致率はどれも振るわない。

 これなら“別人”と判断して差し支えない水準だ。


 念のため追加検証も回す。

 結果はすべて誤差の範囲に収まり、想定通りの値に落ち着いていた。


「……やっぱり別人、か」

 胸の中で溜め込んでいた息が、ふっと抜けた。


「ふぅ……やっぱりそうか。復帰後のデータが混じるとおかしくなるんだ」

 思わず椅子を回し、背もたれへ仰け反る。


 ようやく掴んだ、一本の“正しさ”の手応え。

 解析のノイズでも、気のせいでもない。

 ただの願望でも、陰謀論でもない。

 俺は、正しく辿り着いたのだ。


「……これで、悪質な噂を流すやつらに一泡吹かせられる」

 もっと簡単に辿り着けるはずの結果だったのに、予想以上に手間を食った。

 それでも、最終的には“自分の考えが正しかった”と結果が示している。


 当初の目的は果たした。

 これで終わり──そのはずだった。


「……じゃあ、なんで復帰後は、こんなに違うんだ?」

 一つの結論が出て、代わりに新しい疑問が湧き上がってくる。


 二年。

 たったそれだけで、人間の声がここまで変わるのだろうか?

 マイク環境やコンプレッサーの設定程度では説明しきれない、断絶が起こっている。


 短い期間で声の特徴がここまで大きく変わる理由、それはなんだ?

 ──事故で半身不随。

 ネットで目にした軽いゴシップが頭をかすめる。


 たしかに、大きな事故や手術で声帯に影響が出れば説明はつく。

 だが、それを裏付ける確かな証拠はどこにもない。


 ◆ ◆ ◆


「ちっ……ダメか……」

 一応の結論が出た後も俺は実験を続けていた。


 ゴシップを否定するために始めた実験で、別の話とは言え、ゴシップを肯定する結果になったのが気に入らないのだ。


 偶然の一致。

 そう結論付けてもいいが、何か負けた感じがして受け入れがたい。


(何か見落としがあるのか……まさか、本当に……)

 しっかりと論理的に説明できる理由がほしい。

 そうでなければ、根拠のないゴシップを否定した意味がない。


「あれ?先輩。その実験、この前結果が出たって言ってませんでした?」

 姫島が身を乗り出して口を挟む。


「結局“転生先”って言われてるVTuber、全員別人だったって話でしたよね」

 西田も軽い調子で被せてくる。


「……まぁ、そうなんだけどな」

 言ってはみたものの、胸の奥に残った違和感は拭えない。

 新しく浮かんだ疑問を放置しておくのは、どうにも座りが悪い。


「それにしてもVTuberって変な文化ですよね」

 まだVTuberに馴染の無い姫島は素朴な疑問を口にする。


「本人の姿を出したくないからキャラクターを挟むのはわかるんですけど……

 なんで“転生”なんてするんですか?

 キャラクターまで変えちゃったら、もう本人かどうかなんて判別できないじゃないですか」


「まぁ、転生ってのは、一言でいうと“著作権の都合”だな」

 俺はなるべく専門用語を噛み砕きながらゆっくり説明する。


「企業所属のVTuberの場合、そのキャラクターの著作権は企業側にある。

 だから所属をやめた瞬間、そのキャラはもう使えない。

 続けたくても、前の姿には戻れない」


 姫島はぱちぱちと瞬きをする。

 理解はしているが、まだ腑に落ちていない顔だ。


「へ、へぇ~……」


「あ、そうなんすね~、ということはキャラクターの著作権ってのは、ラノベで言うとトラック(異世界転生装置)だったんスね」


「西田、わかってないな~。VTuberならトラック転生よりも過労……」


「やめろ森下!それは洒落になってない……」


 俺が肩を落としたのを見て、西田と森下は何かを察したのか、同情をにじませた目を向けてくる。事情の分からない姫島だけが、ぽつんと首を傾げていた。


「つまり、いろんな“大人の事情”でその姿では活動が続けられないとき、“転生”って形で別キャラクターに移って活動を継続するんだ」


 姫島は説明になっとくしたが、また新たな疑問が湧いたようだ。

「でも、キャラクターが変わったら今までファンだった人が離れていっちゃうんじゃないですか?」


「分かってないなぁ~」

 西田が椅子をきしませながら身を乗り出す。


「ファンはキャラクターを通して“中にいる人”のファンになってるんだよ。

 だからキャラが変わっても、中の人が同じならファンは続けるの。

 むしろ“新衣装”くらいのノリで受け入れるやつも多いんだぜ」


 西田の小馬鹿にした物言いに姫島はジト目でにらむ。


「あぁ、まぁ大体そうだな。無論、全員がそうってわけでもないけどな」


 姫島は眉を寄せる。一方で西田は何でもない顔だ。


「でも逆パターンもありましたよね」

 森下がぽつりと言う。


「ほら、同じキャラクターが分裂して、それぞれに“別の人”が入って炎上したやつ」


「あぁ、あったあった。すごい批判されてた」


「え、それって……人が同じでキャラが変わるのはアリなのに、キャラが同じで人が変わるのはナシってこと?」


 姫島は混乱し、こめかみを押さえる。


「んー、そこはまあ、いろんなファン心理があるんだよ。複雑なんだよ」


「そう考えるとVTuberって大分特殊な世界だよね」


「うーん……やっぱりよくわかんない」


 ……?


 《人が同じでキャラクターが変わる》

 《キャラクターが同じで人が変わる》


 言葉が頭の中でゆっくり並び替わる。


 二年後に演じる人が、"同じ人"なのに声が変わった、ではない。

 二年後に演じる人が、“別の人”だから声が変わった──?


「はあああぁぁぁ?」


 思わず声が漏れ、手で口を塞ぐ。


 突如浮かんだ不吉な着想に、心臓が跳ねる。

 ドクン、ドクンと早鐘のように胸を叩き、その音が内側に響く。


(卒業前の星屑みさきと、復帰後の星屑みさきは別人──?)


 冷汗が背中をつたう。

 椅子の背もたれがひやりと肌に貼りつく。


 そんなはずはない──そう思いたい。

 だが、この結論は解析結果と矛盾していない。


 今の星屑みさきは偽者……?

 俺は……ずっと……騙されていたのか……?


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