6話
「――よし、始めるか」
"推しを守るための音声解析"、大げさにいうとそういうことだ。
成算はある。同一人物だと証明するよりも、別人だと証明する方がはるかに簡単だ。
悪意ある噂をばらまく奴らに一泡吹かせられると思うと、指先が震えるほどワクワクしていた。
星屑みさきの“転生先”だと噂されている三人のVTuber。
【花守あいり】、【白霧ゆりあ】、【音坂オウカ】
「言ってみれば、このひとたちも噂の被害者なんだよな」
自分の知らないところで、勝手に“あの人の中身なんじゃ?”って仕立て上げられる理不尽さ。
本当はそれぞれが自分のフィールドで真面目に頑張ってるだけなのに、正体不明の噂に巻き込まれて、ありもしない影を背負わされる。そんなの本当に馬鹿げてる。
「……こんな噂、さっさと消して平穏を取り戻したいよな」
ひと息つき、マウスを握り直す。
手汗がひんやりと冷たく、逆に覚悟だけが強く根を張った。
「特徴量抽出……よし。クラスタリング回して……っと」
夜の自室でCPUファンが勢いよく回り始める。
だが、一時間後。
楽観しすぎていたことを痛感した。
「……ちっ、上手くいかないな」
【花守あいり】 80%
【白霧ゆりあ】 77%
【音坂オウカ】 84%
一番低くて七七パーセント、一番高くて八四パーセント。誤差みたいな違いしかない。
棒グラフはほとんど横一列に揃っていて、どれも星屑みさきと“同一人物の可能性が高い”と判定されていた。
「ふぅ……」
見落としがないか条件を洗い直し、再び計算を走らせる。
だがログが流れ始めた瞬間、数値の傾向が前回とほとんど変わらないことに気づき、結果が期待外れだと悟る。
「一旦止めて……じゃあこれはどうだ」
【花守あいり】 81%
【白霧ゆりあ】 72%
【音坂オウカ】 78%
条件を微調整して再実行してみても、返ってくるのは相変わらず“横並びの山”だった。
数値のばらつきは出ているが、グラフのシルエットだけはほとんど変わらない。
思うような結果が出ないことに苛立ちがこみ上げる。
「なんでだ……これじゃ、根拠もない“疑似科学動画”と同じ結果じゃないか……」
次の日。
日を置くことで頭を冷やし、再び研究室で同じ実験を淡々と繰り返した。
【花守あいり】 82%
【白霧ゆりあ】 84%
【音坂オウカ】 80%
「……また、これか」
肩の力が抜け、椅子にもたれたまま天井を仰ぐ。
(おかしい。絶対に何かがおかしい)
三人全員が“同一人物の可能性が高い”──その結論こそが不自然だ。
本来なら、条件を変えることで得点の高低がばらつき、誰かが突出し、誰かが落ちる。
統計していけば、もっとも一致しやすい人物と、逆に一致しにくい人物が浮かび上がるはずだった。
だが、現実は簡単ではなかった。
ばらつき自体はあるが、有意な差とまでは言えない程度の微差だった。
特定の条件を切り捨てれば誰か一人を“突出している”ように見せることはできる。
しかし、それでは恣意的なスコア操作にすぎず、結論ありきの疑似科学と同レベルになってしまう。
「……これじゃ、三人全員みさきって結論になるだろ」
いや、そんなわけない。どこか計算の前提を見落としてるはずだ……
「実験プログラムがバグってる……とか?」
試しに同一人物の別データを解析にかけてみる。
結果は当然、同一人物と判定される。
次にまったくの別人同士の比較をする。こちらも正常に別人判定が出される。
「……バグじゃない、か」
見えないなにかに引っかかり、そこから一歩も前に進めない感じがした。
次の日も、その次の日も、同じ手順で実験を繰り返す。
しかし、まったく進展しない。
そのとき、横からすっと影が伸び、姫島まりがひょこっと顔を覗かせてきた。
「先輩~、ちょっと分からないことがあるので教えてもらっていいですか?」
「ん、あぁ」
気乗りしない返事をしつつも、席を少しずらして彼女のPCを見る。
姫島の画面にはエラー文とログがびっしり表示され、彼女は眉をハの字にして困った顔をしていた。
「あー、この条件が衝突してるんだよ。こうを直せば──」
カタカタとキーを叩いて修正をすると、エラーはすぐに解決した。
「あっ……動きました!やった……先輩ありがとうございます!」
「ん、あぁ」
いつもよりワントーン低い、疲れの滲んだ返事だった。
姫島がその声に気づいたのか、じっとこちらを見つめてくる。
「先輩ここのところずっと根詰めて実験やってますけど……何やってるんですか?」
(あまり噂話を気にしていると思われたくはないなぁ)
かといって、隠すほど大げさなことでもない。
少しだけ間を置いて、簡潔に説明する。
「へぇ……」
姫島は一瞬だけ気の声を発した……が、すぐに興味を惹かれたように目を細めた。
「あ、先輩、私もやってみてもいいですか?」
「……まあ、いいけど」
しぶしぶ実験の手順を教えると、姫島はすぐにPCへ向き直り、真剣な目で打鍵し始めた。
「……できた!ちゃんと判定出ました!」
うまくいったことに喜び、ぱっと花が咲いたような笑みを浮かべる。
だが、すぐに姫島は首を傾げる。
「でも先輩……こういうのって、機材の影響を受けるんじゃないですか?」
「そうだな、かなり大きく影響される」
「それなのにこの判定って、ほんとに出来てるんですか?」
「その人物が持ってる“固有フォルマントの傾向”とか、“スペクトル包絡の癖”みたいに、マイクやオーディオインターフェースじゃほとんど再現できない特徴もある。
そういう生体由来の部分を加味して、総合的に判定してる」
「なるほど……」
姫島は目を丸くし、ほんの少し身を乗り出してきた。
「じゃあ、その人が年を取った場合はどうなんですか?昔の声と今の声って、けっこう変わっちゃう気がするんですけど……」
姫島は首をかしげながら、指先で自分の喉元を軽く押さえて声色を変えてみせた。
「声質の経年変化は確かにある。けど、その変化には一定の傾向がある。
だから判定では、経年変化をモデル化した補正係数を入れてる。
昔の音声データであっても、年齢差をならして比較できるようになってるんだよ」
「そうなんですね……」
姫島はピンときていない様子で、小首をかしげながらゆっくりと頷いた。
「例えば、この星屑みさきの初配信動画と、この前の配信動画の音声を比較すると……」
俺はスクロールし、比較対象を選び、クリックする。
……78%。
「……あれ?ちょっと悪いな」
表示された一致率は、期待したほど良好ではなかった。むしろ低い。
「データが悪かったか……?まぁ、多少のばらつきはあるものだし、他の動画で……」
言いながら別の動画を選ぶ。
……74%。
「……また悪い、か」
三つ目、四つ目、五つ目と動画を変えて試す。
……92%
ようやく、一つ、良好な値が出た。
「……出た。これくらいなら……いや、でも……」
……94%
……91%
……97%
さらに別の動画を試していくと、今度は良好な値が出続けた。
決定的な差がある。
良好な値が出たのは"卒業前"の動画ばかりだった。
"復帰後"の動画では、どれも基準を下回る。
(二年のブランクで補正係数で埋めきれないほどの変化があったのか……?)




