13話
知らされた現実の重さに気圧されながらも、ゆっくりと呼吸を整える。
散らかった思考を繋ぎなおすと、置き去りになっていた疑問が再び姿を現した。
(今、死の淵にいる彼女が星屑みさきだというなら……)
(じゃあ──)
(再び俺たちの前に現れた彼女は、いったい誰なんだ)
「二年前のことだ」
俺の疑問を察したのか、八十神さんは再び語り出した。
──まだ涼しさが残る晩春の夜。
『最近うまく踊れないし、なんか歩くのもしんどいんだよねぇ~』
あの子が最初に漏らしたのは、スタジオへ向かう途中だった。少し傾斜のきつい坂道で急に立ち止まり、息を整えながら、そう違和感を口にしていた。汗を拭う手つきひとつ取っても、無理をしているのが分かった。
いくつか病院を回ったけれど、体調不良の原因は分からなかった。
季節は進み、街路樹の緑が一段濃くなった頃には、もう誰かの助けなしには階段を上がることもできなくなっていた。平坦な道を歩いているだけでも、すぐに立ち止まってしまうんだ。
そして、何度目かの診察で……ALSと診断された。あの子は一言も発さず、ただ小さく頷いていた。私にはまるで、その瞬間だけ時間が止まったように見えた。
この病気は現代の医学では不治の病だ。命の残り時間を突きつけられたあの子は、自分の部屋に閉じこもり、カーテンを閉めたまま光の入らない日々を過ごした。好きで始めたVTuber活動も投げ出してしまった。
徐々に病状も悪化し、長く辛い入院生活が始まった。
病室のカーテンは、昼間でも閉じられたままだった。
呼びかけても返事はなく、視線だけが宙を彷徨い、やがて何もない空白へと落ち着く。もはや彼女には、生きる理由も、抗う力もなく、ただ時と共に朽ちていくのを待つ人形のように見えた。
しかし、それがある日、急に変わったんだ。
ある日の見舞いで、彼女の方からAI関連の研究について立て続けに質問を投げかけてきた。
『ねえ、AIって……人の代わりになれると思う?』
『声とか喋り方って、AIにちゃんと残せるもの?』
『AIが私を再現したら、それは“私”って言えるかな』
会社でAIに関する研究が進んでいるというニュースを目にして、そこに何かを見出したようだった。
ついには、『AIで星屑みさきの活動を再開する』と言い出した。今の自分では果たせなくなった夢を、AIとなった自分が実現する──そんなふうに、本気で信じているようだった。
私は最初、反対だった。どんなにAIが彼女を真似たとしても、AIと彼女は別の存在だ。自分の意識をAIに移すなんてことは不可能。そう思ったからだ。
しかし、病状が進み気持ちまで沈んでいく彼女を見ているうちに、せめて心の支えになればと考え、プロジェクトへの参加を許可した。
そして、あの子はやり切った──
八十神社長は缶を置き、ゆっくりと息を吐いた。
「星屑みさきが復活した、あの日。あの子も一緒にステージの配信を見ていたんだよ」
八十神さんは、言葉を選ぶように事実だけを話してくれた。
「『私が……ステージに……立っている』 それがあの子の最後の言葉だった」
八十神はそこで言葉を切り、わずかに息を詰めた。レンズの奥で、光が揺れる。
彼は何事もなかったかのように眼鏡を外し、ゆっくりと拭いた。視線は伏せられたまま、こちらを向くことはない。
「もはや声は出ない、指も動かない。唯一動かせる視線を使い、文字盤を前に置いて、一文字ずつ、時間をかけて拾っていく。あの子は、その最後に残された手段で……本当に、精一杯伝えてくれた」
八十神さんは、言い終えたあともしばらくその場に立ち尽くしていた。
そして短く息を吐くと、空になった缶をゴミ箱へ放り込んだ。軽い音がして、缶が底に当たる。?
「それ以降は、視線も定まらなくなってね。もう話すことは出来なくなったよ」
俺は言葉を失ったまま、八十神と向き合った。
病室で本物の星屑みさきを見たとき、復帰して戻ってきた存在は偽物なのだと思い込もうとしていた。だが、彼女自身は、そのAIが自分を模した姿を、「自分だ」と言っていたという。
俺が今見ている星屑みさきは何なのか。
本物なのか、偽物なのか。そんな問いさえ次第に意味を失い、答えの影すら掴めないまま、思考だけが宙に取り残された。
「今までの話を聞いて、君は……騙されたと思うかい?」
八十神さんの問いかけに、俺は何も答えることが出来なかった。




