男女の友情は果たしてありえるのか?その実態を検証してみた件~大和編
日曜日の昼下がり…
「映画、行ってくるね。友達と」
靴を履きながら、同棲する彼女―愛花が何気なく言った。
「……友達?」
その言葉に大和は思わず問い返す。
「うん。男の子だけど。ただの友達だから」とあっさりと返される返事。
ただ大和の心の中は穏やかではなかった。
男──?
ふざけんな。友情なんてありえるのか?
……いや、愛花ならありえるかもしれない。あの天然さだ。
けど、もし相手が惚れてたら?
胸の奥がざらつく。喉が焼けるように熱い。
それでも口から出たのは、たったひと言。
「……友達だろ?好きにしたらいい」
素っ気なく手にした新聞から顔を上げもしなかった。
言えば言うほど、余裕のなさを悟られそうで怖かった。
「じゃあ、行ってくるね」
そんな想いも知らずに軽やかに手を振り、愛花は出て行った。
──ドアが閉まる。
愛花が出かけた後のたった1時間が長く感じる……
リビングに残ったのは、時計の針の音だけ。
ソファに腰を下ろしても落ち着かない。
スマホを手に取っては置き、また取る。
「……ったく、電話くらい寄こせばいいのに」
舌打ちが零れた。
気づけば立ち上がっていて、玄関にかけてあったジャケットを乱暴に掴む。
扉を開けた瞬間、夕方の空気が頬を撫でた。
街はオレンジ色に染まり、陽は西に傾いている。
人影が長く伸び、ざわめきの中に笑い声が混じる。
商店街を抜け、駅前を覗き、交差点を渡る。
行き交う人の群れをキョロキョロと探しては、見つからずに胸が締めつけられる。
(……余裕なさすぎだろ、俺)
自嘲気味に笑う。
それでも足は止まらない。
どうしても確かめたかった。
どうしても、愛花を追わずにいられなかった。
――――――その頃
夕暮れのオレンジが差し込むカフェの窓際。
カップに注がれたカフェラテから湯気が立ちのぼり、静かな時間が流れていた。
「アンタさぁ、まだ猫かぶってんの?」
向かいに座った健が、ストローをくるくる回しながらじろりと愛花を見る。
「……ギクッ」
思わず肩が跳ねる。
「ほらね。やっぱり。“清楚で健気な彼女”を演じる愛花ちゃん。でも実態は──」
わざと声を潜めて、にやりと笑う。
「同人誌とコスプレ三昧の腐女子」
「ちょっ……! 声が大きいってば!」
慌てて両手で口元を押さえる愛花に、健は楽しそうにケラケラ笑った。
「まぁまぁ。いいじゃない、俺にはバレてんだから。だって従兄弟だし、昔からのオタ仲間でもあるんだから」
「……でも」
愛花はストローを見つめながら、小さな声で言った。
「大和には言えないよ。だってあの人、真面目だし……こういうの見たら、呆れちゃうかもしれない」
健は大げさにため息をつき、肩を竦める。
「はぁ〜……あんたってば、本当に臆病よね。でも、あの彼氏さんはさ、あんたが思ってるよりもずっと不器用で、ずっと真っ直ぐよ」
「……健」
「だから、素のアンタ見せたって逃げないわよ。むしろ“もっと見せろ”って言うんじゃない?」
にやりと笑う健の顔に、思わず頬が熱くなる。
愛花は自分の両頬を手で覆い、小さく息を吐いた。
――大和は愛花を捜して夕暮れの街を彷徨っていた。
朱に染まったビルの影が長く伸び、人の波に紛れるように俺も歩く。
──その時。
ガラス扉が開く軽やかな音がして、思わず顔を向けた。
カフェの入り口。
愛花が出てきた。隣には長身の俺とは正反対の優しそうな男がいて、何かを言いながら肩を揺らして笑っている。
愛花もつられて、声を上げて笑った。
頬を赤らめ、目を細め、楽しそうに。
その姿が夕日に照らされて、やけに眩しかった。
……あんな顔、見たことがなかった。
俺の胸がきゅっと縮む。
息が喉に引っかかって、うまく吐き出せない。
(……なんだよ、それ)
(なんで……俺の知らない顔を、あいつに見せてんだ)
一歩踏み出そうとした。
けど、足は重く、まるで地面に縫いつけられたみたいに動かなかった。
拳をポケットに押し込み、指先が白くなるまで握りしめる。
悔しい。
どうしようもなく、悔しい。
「……くそ」
誰にも聞こえない声が漏れた。
夕日が沈みかけ、街が少しずつ夜に飲み込まれていく。
光が消えていくように、俺の胸も静かに痛んでいた
笑い声が夕暮れに溶けていく。
俺の胸の奥をえぐるように響いて、もう耐えられなかった。
「……愛花」
気づけば声が出ていた。
二人が同時に振り返る。
驚いた顔の愛花と、目を細める男。
次の瞬間には、足が勝手に動いていた。
人混みをかき分け、愛花の前に立つ。
「大和……?」
戸惑う声。
俺は答える代わりに、彼女の腕を掴んでぐっと引き寄せた。
胸に収めるように抱きしめる。
「……っ!」
愛花の小さな息が耳元で震える。
夕陽が沈みかけ、街灯がひとつふたつ点り始める。
愛花を強く抱きしめたまま、俺は腕を緩められなかった。
胸の奥のざわつきも、まだ消えそうにない。
──その時。
わざとらしい咳払いが背後から響いた。
「……んんっ、んんっ。お熱いこと」
振り返れば、男が腕を組んで立っていた。
口元にはにやりとした笑み。
「ちょっと、道の真ん中で抱きしめ合うとか、映画のワンシーン気取り? こっちは目のやり場に困るんですけど」
「……っ」
俺は思わず腕を緩め、愛花が照れくさそうに離れる。
「た、健……!」
愛花が頬を真っ赤にして声を上げた。
健はわざとらしくため息をつき、俺に視線を向けてきた。
「ふぅん……アンタが噂の彼氏ね。初めまして。健っていうの。愛花の従兄弟で、腐女子の趣味仲間♡」
「従兄弟……?」
俺は思わず聞き返した。
「そうよ。従兄弟。それ以上でも以下でもなし。だからそんな鬼みたいな目で睨まなくても安心していいわよ」
健は肩をすくめ、わざと大げさに笑った。
愛花は気まずそうに小声で付け足す。
「……趣味が似てて、昔から仲良くて……でもほんとに、ただの従兄弟だから」
俺は胸の奥に溜まっていた息をゆっくり吐いた。
少しだけ、肩の力が抜ける。
だが──健のにやにや笑いが、逆に癪に障った。
「……ま、従兄弟ってわかったなら安心でしょ?それより──ほら、いい加減行くわよ。映画が始まるんだから」と俺の腕に腕を絡ませる。
「は?」
俺は思わず声を上げた。
「アンタも来るのよ。ここまで来て“じゃあ帰る”とか無しだから」
健が当然のように言い放った。
「いや、俺は別に……」
拒もうとした言葉を、愛花の手が塞いだ。
「……大和、行こうよ」
小さく袖を引かれる。
その仕草に、一気に立場が弱くなる。
「……っ、チッ」
舌打ちで誤魔化しながら視線を逸らした。
健は勝ち誇ったように笑い、俺を引きずるようにして歩き出す。
「はい決まり。過保護彼氏、オタク映画デビューね♡」
映画館へと歩く三人。
人混みの中で愛花は楽しそうに隣を歩き、健はずっとにやにや笑っている。
その間で俺は、深いため息をつくしかなかった。
(……なんで俺がこんな目に……)
館内が暗くなり、スクリーンが光を放つ。
流れるオープニングの主題歌。隣で愛花の目がきらきらと輝く。
──始まった。
けれど、俺には冒頭から意味が分からなかった。
専門用語みたいなセリフが飛び交い、キャラクターが次々と登場する。
観客席からは歓声が上がり、隣で健まで「きゃー!」と声を漏らしている。
(……なんだこれ)
ポカンと口を開けたまま、ただスクリーンを眺めるしかなかった。
だが。
俺の両隣の二人は、まるで呼吸を合わせたかのように反応していた。
ある場面では同時にくすっと笑い、
あるシーンでは同じタイミングで目元を押さえて涙ぐむ。
「……健、やっぱりここ泣くよね」
「でしょ〜! ここは涙腺崩壊よ!」
顔を見合わせて頷き合う二人。
……俺は完全に置いてけぼりだった。
(ていうか……こいつら、シンクロ率高すぎだろ)
スクリーンの眩しさが、余計に目に沁みる。
俺は暗がりの中で腕を組み、ひとり深いため息をついた。
―――帰り道
愛花がパンフレットを抱えて嬉しそうに語っている。
その隣で、健も同じように笑っている。
……やっぱり、俺の知らない顔を二人で共有している気がしてならなかった。
気づけば言葉が口をついて出ていた。
「……本当は、元カレじゃないのか?」
愛花が驚いたように目を見開く。
健は一瞬きょとんと俺を見た。
さっきの調子で茶化すかと思った。
けど──違った。
「……俺は、愛花を恋愛対象として見たことはない」
健の声は低く、落ち着いていて、オネエ口調じゃなかった。
「少なくても……こんな俺をちゃんとわかってくれて、同じ話ができる“友達”だ。信じろ」
その真っ直ぐな言葉に、胸の奥が少しだけ揺れた。
俺は小さく息を吐き、目を逸らした。
「……悪かった」
俺は初めて健のことを、少しだけ信じてもいいのかもしれないと思った。
―――マンションに着いて玄関の灯りを点けると同時に、俺は愛花を腕の中に引き寄せた。
扉が閉まる音と同時に、唇を重ねる。
「……っ」
驚いた声を漏らしかけた愛花が、すぐに目を閉じる。
「大和……」
囁いた瞬間、俺はもう一度その唇を塞いだ。
言葉なんて要らなかった。ただ確かめたかった。
やがて唇を離しても、抱きしめる腕は緩めなかった。
玄関先で、二人はただ黙ったまま。
静寂の中、互いの鼓動だけが響いている。
暫くして、俺はようやく低く言葉を落とした。
「……健の連絡先、教えてくれ」
愛花が驚いたように顔を上げる。
俺は視線を逸らさずに続けた。
「……行くなとは言えない。けど……俺もあいつと繋がっておきたい。そうじゃなきゃ落ち着かねぇんだ」
不器用で、我ながら情けない言葉だった。
けど、それが俺の本心だった。
愛花は一瞬きょとんとした後、ふっと笑みを浮かべた。
「……分かった。教える。大和が安心できるなら」
俺は小さく息を吐き、愛花をさらに抱き寄せた。
彼女の温もりが、ようやく胸の奥のざわつきを少しずつ静めていった。
―――その夜。
愛花が眠りについたあと、俺はベッド脇でスマホを開いた。
新しい連絡先に「健」の名前。
さっき交換したばかりだ。
通知音が鳴る。
画面を見た瞬間、俺は絶句した。
『バーカバーカバーカバーカ』
「……は?」
思わず声が漏れる。
続けてスタンプが送られてきた。
大笑いするキャラクターに、派手なエフェクト。
さらに一言。
『過保護彼氏、安心した〜? かわいいわね♡』
スマホを握りしめ、俺は布団の中で頭を抱えた。
「……このやろぉーーー」
隣で眠っている愛花が寝返りを打ち、小さく寝息を立てる。
俺は慌てて声を押し殺した。
――――数年後。
愛花と俺は夫婦になり、平穏な毎日を送っていた。
そして──あの頃は喉まで血が滲むほど警戒していた健とは今では時々飲みに行く仲になっていた。
「ただいま」
夜更け、玄関を開けると酒の匂いがわずかに纏わりついていた。
リビングで待っていた愛花が、頬を膨らませてこちらを睨む。
「……何よ。私が仲間はずれ。ずるい」
その声に思わず立ち尽くす。
かつて俺が抱いた嫉妬と同じように、今度は愛花が拗ねている。
「……別に。たまに飲んでるだけだ」
ジャケットを脱ぎながら素っ気なく答える。
けれど愛花は納得しない。
「二人で楽しそうにして……私だけ置いてけぼり」
小さな声でつぶやくその姿に、胸がくすぐったくなる。
俺はため息をつき、彼女の頭に手を置いた。
「……悪かった。次は一緒に行くか」
「ほんと?」
ぱっと顔を上げる愛花。
「……あぁ。仲間はずれにはしねぇ」
そう言って抱き寄せると、愛花は少し照れながらも腕を回してきた。
夜更け。
愛花の寝息を聞きながら、俺はスマホを開いた。
登録されている「健」の名前をタップし、短く送る。
『……今度は三人で飲むか』
数秒後、すぐに返事が返ってきた。
『いいわよ、来週の金曜は?次は俺のオススメの店ね♡』
続けてスタンプ。大笑いするキャラクター。
「……チッ」
舌打ちしながらも、口元が緩んでいる自分に気づく。
隣で眠る愛花が、無意識に俺の腕に寄り添ってきた。
その温もりを抱きしめるように腕を回す。
画面にはまだ健のメッセージが点滅していた。
茶化すようで、どこか真面目で、気楽にやり取りできる相手。
俺はスマホを伏せ、愛花の髪に顔を埋めた。
──奇妙で騒がしくて、けれど妙に居心地のいいこの友達関係は、きっとこれからも続いていく。