筋肉に不可能はないらしい
振り返ればロノという少年の姿はなかったけれど、レニアはとにかくしつこかった。刑場を出て街道に飛び出してからも、彼女は追ってきていた。
「ねえッ、待ってよォォ!」
ヴィルはわたしを抱えたまま踵で地面を強く蹴りつけながら、とんでもない速さで走るのだけれど、レニアはそれ以上の速さだ。
それがとても不自然に見える。
足の回転力はヴィルの方が圧倒的に勝っているのに、一歩あたりの移動距離が違いすぎる。数十メートルはあったはずの距離が、みるみるうちに縮まってくる。
大地が彼女に力を貸しているんだ。動く歩道のように。
「ねえっ、ねえねえねえぇーーッ、逃げないで遊ぼうよォ、ヴィル!」
「ええい、ロノウェからもう少し距離を取りたかったが――」
ロノウェというのはさっきの風使いのことか。おそらく彼も七賢なのだろう。いくらヴィルでも、七賢をふたり同時に相手にするのは厳しいんだ。
「ヴィル、追いつかれちゃう!」
「ああ!」
併走すると同時に、彼女はヴィルへと飛びかかった。
「ねえねえねえねえぇぇぇってば! そんな女よりもあたしを見てよ、ヴィル!!」
岩石で覆った肉感的な長い足を鎌のように振り上げて、高速で移動をし続ける中でも正確にヴィルの頸部を、刈り取る――!
「――!」
ヴィルは右腕でわたしを抱えながら、左腕でそれを受け止めた。走りながらだ。彼の全身を伝って重々しい衝撃が走る。ヴィルの肉や血管が破裂したのがわかった。
「どう、イイ脚でしょォ!?」
けれどもヴィルは眉ひとつ動かすことなく、自身から爆ぜた血煙を置き去りにしながらも左腕を強引に振り上げて、レニアを後方へと振り払った。
「ぬん!」
「わ、嘘、ちょ……!」
ものすごい勢いで後方に吹っ飛んでいく。遠くの方で着地した。
きっちりと両足でだ。ダメージはなさそう。
依然逃げ続けるこっちを見てニヤリと笑い、右の拳を前に突き出す。肘に左手を添えて。
瞬間、背筋がざわつく。
何かする気だ!
「あいっかわらずつれないんだからァ。――でぇもォ、これならどうかなァァァァ!?」
その直後、彼女の足下――街道が迫り上がった。街道の石畳も何十、何百と巻き込み、土がまるで生きているかのように大地から湧き出して形を形成していく。長い、長い、大蛇だ。
その胴回りは街道をも遙かにしのぎ、もたげた鎌首は空をも貫くようで。
わたしは見上げる。大地が生んだ禍々しき巨大な蛇を。
「急いで、ヴィル!」
けれどもそれまで高速で走り続けていたヴィルは、この瞬間、急速に足を止めた。
「むう、まずいぞ!」
その言葉に前方を振り返ると、馬車が複数台こちらへと向かってやってきていた。
レニアは自身が発生させた大蛇の背後にいるせいで、そのことに気づいていない。
やがて大蛇の頭部が空で口をガパリと開けた。
来る――!
ヴィルが叫ぶ。
「よせ、レニア! 七賢ともあろう者が、民を巻き込む気か!?」
けれども、大きく鳴動し続ける大地の悲鳴のせいで、ヴィルの声は届かない。
大蛇の縦長の瞳がこちらを向いた。鎌首が下がる。捕捉されたのがわかった。
「どうするの、ヴィル!?」
「ぐ、やむを得ん!」
ヴィルがわたしのカラダを下ろして、両手を持ち上げながら掌を広げる。一気に全身がパンプアップした。
受け止める気だ。でも、あんな大きくて重いもの、いくらヴィルでも。
だからといってわたしたちが避けたら、馬車の隊列が全滅する。巻き込まれればひとたまりもないだろう。
馬車の車列は前方に突如として現れた大蛇に驚き、慌てて馬首を街道脇の草原へと向けたが、到底間に合うものじゃない。
だって岩の大蛇はもう――!
「ヴィル、受け止められるの!?」
「筋肉に不可能はない! おまえは逃げていろ!」
「……!」
その瞬間にはすでに大地を滑って削りながら、わたしたちを街道ごとすべて丸呑みするように襲いかかってきていたのだから。
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