人間をやめます
ああ、なんだか……。
わたしは薄く笑う。
「魔王はさておき、人間は彼女を恐れるあまり話し合いを持ちかけることもせず、彼女の仲間になりそうな罪なき他の魔女たちを殺し続け、彼女が一番弱る瞬間を何十年も待ち続けて殺害を試みるんですね。卑怯だなあ。わたしたちは魔王じゃないのに」
「痛いとこをつくね。だが魔王ではないのはいまだけだ。現に歴代のルナステラはみな人間に牙を剥いた。おまえもそうなる」
飄々と、ナラクはそうつぶやくだけ。
この世界に転生してから、人間には失望ばかりさせられる。
気が変わった。
だから嗤う。ニタリと。
そうして外連味を込めて尋ねてみた。
「わたしは呑まれないと言ったら見逃してくれる?」
「若え娘さんの願いだ。是非もなく叶えてやりてえのはやまやまだが――……そうもいかん。人間ってのは臆病でね」
わかってないな。
だからわたしたちはみんなルナステラになっていくんだ。おまえたちの在り方に失望したから。
「あなたも?」
「俺もさ。臆病で、矮小で、見ての通り、卑怯者だ」
こつん、と音がした。
ナラクの持つ剣の鞘尻だ。それが地面にあたって音が鳴った。
剣を杖に、ナラクが立ち上がる。そうして剣を抜いて鞘だけを捨てた。
「ルナ、無関係なおまえさんには同情する。だが、人間族の未来のために消えてくれや」
「ううん、気にしないで。もう諦めたから」
人間という種を。
そうこたえると、彼はきょとんとした顔をした。
「諦めた?」
「うん」
もういい。すっきりした。爽快な気分。なんでしがみついてたんだろう。まともでいようだなんて。
わたしは魔女になる。人間でいることはもうやめだ。
「……そうかい。他に聞きてえことはあるか?」
「ない。もう話したくない。あなたは、あなたたちは、とっっっっても不愉快だから」
よく、わかった。わかっちゃった。
人間がそんなだから、わたしたちはルナステラを名乗るんだってことが。
ルナステラ・アストラルベインとは、このカラダそのものだ。たぶん初代魔王の魂なんて、もう欠片も遺っていない。それでもあえて言うなら、わたしを含めて代々このカラダを引き継いできた者の総称が、魔王の魂だ。
きっと本当の魔王も、そこにいる。そして見ている。
魔王が自らの不滅だか長寿だかわからないこの肉体を遺したことは、臆病な人間族すべてに対する終わることのない呪いだったのだろう。
魂が寿命を迎える前に、星を落とせたらよかったのにね。残念だよ、ルナステラ。
「じゃあ、始めようか。魔女」
「うふふ。やってみろ、人間」
と、イキってはみたものの――。
ナラクが地を蹴った。鋭く光る剣。
うわ、思ってたよりだいぶ怖い!
殺気を纏って素早く斬り込んできたナラクの恐怖に、わたしは悲鳴を上げて背中を向け、謁見の間を逃げ出した。
「きゃああああああああぁぁぁ!」
「ええ……?」
振り切られた刃がスカートの後ろを掠めて、必死の思いで右脚で赤絨毯を蹴る。跳躍でびゅんと景色が歪み、王座を踏んで跳び越え――壁に自分から激突した。
「ィグ……ッ!? う、ううう……鼻打ったぁ……」
そんなわたしを見て、ナラクが眉間にしわを寄せる。
「やりづれぇ~……。今代は町娘かよ……。なあ、頼むからちったぁ抵抗するとか諦めて首を差し出すとかしてくれよぅ……」
「するかバカァ! だったら見逃せバァカ! アホ! トンマ! 腹を切れ!」
「雰囲気出しといてコレかよ」
でも、いまの一瞬でわかった。わたし、想像通りに完璧に動けてる。ううん、想像以上に。
魔法は願いを叶える力だ。頭で思い描け。
まずは、見ろ。見えるはずだ。見えて当然。
ああもう、胸の裡の声がいつの間にか自分の声になってしまっている。これがナラクの言う迎合だろうか。自分の意思とルナステラの意思が融合していくのがわかる。
見る――!
ナラクが身を低くして地を滑るように迫った。
速い。けど見えてる。ヴィルの言った外眼筋だろうか。や、これは違うか。でもちゃんと追えている。
玉座を挟んで左右に二度三度揺れて――右! 回り込んで後ろ!
わたしは跳躍し、玉座の背もたれを逆さになってつかみながら跳び越える。一回転して両足をつけると同時、斬り込んできたナラクの剣を宝石だらけの玉座で受け止めた。
ギィンと音が鳴り響き、衝撃が両腕に走る。
「ああ、クソ、成長早えなッ!」
無駄に埋め込まれていた宝石が役立った。これがなかったら、玉座ごと真っ二つだったかもしれない。
「お褒めにあずかりぃぃ!」
「~~ッ」
わたしは玉座を振り回してナラクを強引に下がらせた。
「どーもですっ」
心臓がバクバク鳴っている。
でもなんだか、テンションが上がってきた。楽しくなってきた。すごいな、このカラダ。完全に受け容れたいまなら何でもできそう。そう、何でも。
例えばこういうのはどう?
わたしは右手の中指と親指をくっつけて、パチンと音を鳴らした。火花が散って瞬く間に大火となり、ナラクの前身を呑み込む。
「ぐぉ――っ」
ナラクが怯んだ。
すかさず地を蹴って、わたしは左手に持ったままだった玉座を振り上げる。
頭をかち割るために。この人を殺せば、わたしはもう戻れないだろう。戻る必要性もないけれど。
迷いなく振り下ろした――はずのわたしの左腕が、玉座をつかんだまま宙を舞っていた。真っ赤な血液を撒き散らしながら。
その向こう側でナラクが嗤う。
「悪ィな、ブラフだ。俺ぁ世界唯一の対魔術師だ。その手の魔法は通じねえ」
そっか。わたしと同じ。火や雷は通用しないタイプなんだ。
一瞬の後に、失われた左腕に激痛が走った。
でも、彼女は思う。いつものように。
――それがどうした?
腕を失った? それで?
何も問題ない。
ニィと口角が上がった。嗤う。ナラクに負けないくらい凄惨な笑みで。
「あはっ、あはははっ、きゃははははははっ!!」
上腕から下を失った腕を、噴水のように血を噴出させたままの腕を持ち上げて。宙を舞っていた左腕と、上腕部の切り口が血液で繋がり、そして。
「ああ!? おいおい……マジかよ……」
時間を巻き戻すように勢いよく引き寄せて、血を弾けさせながらくっつけた。
傷がみるみるうちに消えていく。左手はもう指先まで動く。痛みもほとんどない。
さあ、振り出しだ。
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