わたしは魔女だ
誰かを殴りたいなんて思ったことはなかった。ましてやそれが気持ちいいなんて、考えたことさえなかった。
なのに、胸が高鳴り笑みがこぼれる。
この感情が月菜のものなのかルナステラのものなのか、もうわからない。もしかしたらわたしの魂は、だんだんとルナステラに変質していくのかもしれない。
魂が肉体に引きずられる。
ああ、わたしが魔女になっていく。
だって、もう……。
ゴッと音がして右の拳に衝撃が走った。全身鎧の騎士が吹っ飛んで、壁に叩きつけられる。むろん手加減はしている。殺さないようにかろうじて自分を律しながら。
楽しくて、楽しくて、高揚しすぎないように。
それでも騎士はブリキ人形のように鎧をへこませ、ぐったりと手足を伸ばす。その手の中から剣がごろりと地面に転がった。
「ク、クソ、魔女め!」
側方から薙ぎ払われた剣をかいくぐりながら踏み込んでいき、肩から胸鎧にぶつかける。金属にぶつかったはずなのに痛くも痒くもない。
なんとなく、ヴィルの気持ちがわかった気がする。自分のカラダを信じられる。何でもできる。あの頃――ベッドで寝ていた頃の自分とはもう違う。
「げぁ……」
騎士のヘルムから霧状の血が散った。
もう一段、肩を押し込むと――。
「あははは!」
その騎士は十数歩ほどの距離を勢いよく吹っ飛んでいった。味方を数名巻き込んで、せっかく整えた陣形が崩れる。
もう倒した数を数えるのも馬鹿馬鹿しい。いちいち覚えていない。
少し前に駆けつけてきた騎士団は、気絶して泡を噴いたレニアの体たらくに驚愕していた。だからその心の隙があるうちに、わたしは彼らの集団の中へと身を躍り込ませた。
彼らは慌てて陣形を戻すべく、前列と後列を入れ替えている。ぶつかり合って尻餅をつく人もいる。
ああ、蟻の行列以下だ、などと思ってしまうと、またおかしくて笑えた。
「あ、悪魔め……でたらめすぎるだろう!」
「違うよ。魔女だよ」
薄く嗤って見せると、ヘルムの奥からおびえが伝わってきた。
そんな彼らを眺めているうちに、全身が唐突に炎に包まれた。
「わっ!?」
魔術師隊だ。騎士隊に交じって混成部隊になっている。
でもそれは、わたしには通用しない。処刑の日に学ばなかったのかな。
「……懲りないね」
どれだけ大きな炎も、どれだけ強い雷撃も、すべて体表――ううん、服の表層を滑るだけ。わたしが気を払うべきは質量攻撃である氷やレニアの扱う土、そして騎士たちの振るう鋭い刃を持った武器だ。
それ以外なら当たるに任せて問題ない。魔術師隊なんて、騎士隊以上にやりやすいくらいだ。
炎や雷撃の中を平気で突き進み、阻む大盾の騎士たちを綿のように撥ね除けながら飛び上がり、わたしは降下と同時に魔術師隊の足下を拳で穿った。
「うううう、やあ!」
大地が割れて陥没して周囲がめくれ上がり、騎士も魔術師も一斉にバランスを崩す。
肩口にいくつか氷塊が命中したけれど、この程度の大きさなら当たるに任せて問題ない。それに大地を穿つと同時にそれらの攻撃も止まった。
放つのに詠唱や儀式を必要とする魔術と、生まれつき備え持つ魔法の違いだ。魔術は詠唱儀式を邪魔してあげればすぐに止まる。
「ふぅん……」
弱いんだ、魔術って。
おっかしいの! あんなに一生懸命ひねり出しているのに! 全部無駄! ほら、頑張れっ、頑張れっ!
「ぷ……っ」
わたしは嗤う。顔に手をあて悪辣な表情を隠し、月を仰いでけたたましく。
スカートを踊らせながら回転して剣を避け、魔術は避けずに騎士のヘルムをつかみ、そのままぶん投げる。結果を見届ける暇もなく突き出された槍を半身を引いて躱し、手刀で胸鎧を撲つ。
負ける気がしない。
「大丈夫……」
ここがこの程度なら、ヴィルはきっと生きてる。待っててね。すぐ助けに行くから。
すぐに聖城から離脱しなかったのは、レニアの撃破直後に騎士たちに囲まれたからだ。いまヴィルのもとへと走れば、殺気立った彼らを引き連れていくことになる。
ヴィルが深い傷を負っていた場合、それは致命傷となってしまう。
「異端の魔女め!」
「退け、悪魔!」
足を狙って振られた剣を蹴り上げて、わたしは自ら踏み込む。
ヴィルを斬ったロノの存在が気がかりだけど、名の知れた魔女や魔法使いの処理には、おそらくその場での私刑でなく、公的な処刑の執行が望まれるはずだ。理由は政治的喧伝や、あるいは民への安寧、他の魔女らへの見せしめだ。
だから彼がすぐにとどめを刺されることはない。きっと。たぶん。
わたしにできることは、ここでひとりでも多くの敵を引きつけておくこと。派手に暴れて、ヴィルから意識をそらすこと。
まだわかってる。自分が何のために戦っているか。でも、この胸の高鳴りや高揚も本物だ。
この魔女のカラダに呑まれるのは、月菜なのか、それともルナステラなのか。意識はゆっくりと重なり合っていく。
口角が上がる。
わたしは魔女だ。自覚した。
楽しんでいただけましたなら、ブクマや評価、ご意見、ご感想などをいただけると幸いです。
今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。




