不可視の刃
しばらく後、わたしたちは聖城の前にいた。正確には聖城近くに建つ大きな館の屋根の上だ。そこで膝を曲げて屈み、様子を見ている。
ここからは聖城がよく見えるから。
「音を立てるなよ。先ほどから巡回騎士の姿が多い」
「うん」
聖城。城というより、煌びやかな教会だ。
縦にも横にも大きな教会。ルネサンスというよりはゴシック様式に近く見える。光を多く取り込むために窓は大きくて非常に多く、考えられた位置に設置されているのがわかる。いまは取り込むというより、ほとんどの窓から光が漏れているけれど。
厄介なのは教会を取り囲む尖塔だ。数十本もある鋭い形状の尖塔が城壁のように繋がり、中央にある巨大な教会を守っている。
高い、本当に高い尖塔だ。ぱっと見で数十メートルはある。
城への入り口は、中央にあるアーチ状の城門くらいか。忍び込むのはちょっと難しそう。
「……!」
尖塔上部にはそれぞれ両手で小さな十字架を持つ、女性の石像が設置されている。
あれが女神エ・レなのだろうか。裏側だから確かではないけれど、背中には翼があるように見える。ふくよかな胸に華奢な腰部。表情は慈愛に満ちていて、目は閉じているけれど、視線の先はわたしたち、ううん、地を行くすべての人々を見ているかのようだ。
ああ、何だろう。月を背負ってこんなにも美しい建物だというのに、ぞわぞわする。未知の建造物に対する感動ではない。
これは、嫌悪だ。鳥肌が立つほどの。産毛が逆立つ。
胸がざわつく。わけもわからず苛立つ。これはわたしじゃない。ルナステラだ。
「ルナ。……おい、ルナ」
肩に手を乗せられ、名前を呼ばれて初めて、わたしは吸い込まれるように聖城を見ていたことにようやく気づいた。
わたしは弾かれるようにヴィルを見上げる。
「はぇ? なに?」
「あまり気負うな。萎縮すれば肉体は本領を発揮できん」
「え、気負う? そりゃ緊張はしてるけど……」
ヴィルが眉をひそめた。
「そうではない。濃度の高い殺気がダダ漏れだった。鋭い感覚を持った騎士が近くを通れば、それだけで発見されるほどだ」
嘘ぉ……。自分自身、殺気とかよくわかんないのにぃ……。
う~ん、このルナステラのカラダは扱いが難しいな。ま、いいや。カラダが動くだけでもラッキーラッキーってね。
あとはキャロンダイトを説得するだけ。
「気をつけるよ。それで、どこから入るの? そもそもキャロンダイトはどこにいるの? 結構広いよ、このお城」
「知らんぞ。城攻めなど今日まで考えたこともなかったからなあ」
「だよね」
お尋ね者のヴィルが聖城内の間取りとか知ってるわけないもんね。
城門は当然のように閉ざされてるし、門衛の詰め所からも明かりは漏れている。窓に動いている影も見えるし、詰め所は割と広い。
説得して通してもらう……のは、多人数が相手だと難しそう。キャロンダイトだけならちょっとだけ脅せばわかってもらえるかもだけど、説得相手は少ない方がいいし。
ヴィルがふいに夜空を指さした。
「ルナステラに倣うか」
「へ?」
「尖塔を跳び越える」
あ、ああ~。
確かに、あまりに常識外れすぎて忘れていたけれど、わたし、跳躍するだけで聖城のてっぺんくらいまでなら跳べたんだった。
「ルナステラもそうやって城に侵入してたの?」
「いや、あいつは空を飛ぶ。跳ねるのではなく飛ぶんだ。あとは空から降下せずに魔法を撒き散らすだけで、大抵の城は反撃すらできず一方的に陥落させられる。ま、古竜災害のようなものだな。ああ、ルナの世界に古竜はいないのだったか」
うわ~、もうほんと、このカラダぁ……。どんだけ罪を背負っているの……。
すっごい数の人に恨まれてるんだろうな~……。
「てか、そんなカイブツをよく殴ってやろうなんて思えるね。恨んではなかったんでしょ?」
ヴィルが小さくうなって、指先で頬を掻いた。
そうしてわたしを正面から見据えて、一言だけ。
「彼女はカイブツなどではない」
それだけ。理由は以前聞いたように、筋肉が魔法より優れてる証明、だけなのかな。
本当に?
ヴィルは誤魔化すように聖城を指さす。
「よし、まずは中庭に降りる」
「その後すぐ見つかるかも」
「そのときはそのときだ。諦めて暴れろ。こうして夜明けを待つよりはいい」
「わかった。――行こう!」
うなずき合い、同時に膝を曲げる。
たぶん、この館の屋根は崩れちゃうんだろうなー、なんてことを考えながら。
ヴィルが三本、指を立てる。二本に減り、一本。それが折れるタイミングで同時に屋根を蹴った。
「――っ」
「――ッ」
ワイバーンにさらわれたときと同じ感覚で、わたしたちは空を舞う。聖城の尖塔を遙かに凌駕する高さの、中央塔の高度まで。
ほら、月があんなにも近い。キレイ。
そんなのんきなことを考えた瞬間、隣を飛ぶヴィルが珍しく焦ったように叫んだ。
「まずいぞ!」
「え?」
視線を月から慌てて下ろしたわたしの視界――それもすぐ近くに、灰色髪のその少年は浮いていた。跳ねるのではなく、その子もまた飛んでいたの。そうして人差し指と中指を揃え、灰色の瞳でわたしたちを見ながら。
背筋に悪寒が走る。見覚えがあった。
七賢ロノ!?
轟々と鳴り響く風の中で、不自然に彼の声だけが聞こえた。
「……く、空気が、震えていたから……」
次の瞬間、ロノは空中で身動きのできないヴィルへと指先を束ねた右手を振り抜いた。ずっと遠い距離。かすりもしない位置で。なのに。
「ぐ……があああぁぁッ!?」
肉の弾ける乾いた音がした直後、ヴィルは左の肩口から右の腰までを裂かれて血を噴出させ、後方へと吹っ飛ばされていた。
上昇を終えて降下するだけとなったわたしには、何もできない。
ヴィルは勢いで尖塔の外まで押し戻され、轟音とともに館を突き崩して叩きつけられる。
「ヴィルーーーーーーーーーーっ!!」
う、嘘……。生きてる……よね……?
そんな絶望的な光景を見ながら、わたしはひとり、聖城の中庭へと降下していった。
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