薄い味
食べ物を前にしただけで、ぽろぽろと涙がこぼれた。
ヴィルもイオニールさんも、そんなわたしを唖然とした顔で見ていた。
焼きたての香りも消えた、固いパンだった。水で薄めたようなスープには固くて小さなお肉と、根菜がほんの少しだけ。飲み物もやっぱり水で薄めたようなジュース。
ただそれだけ。ただそれだけの粗末な食事。
なのに――!
「おいしいよぉ……」
細胞のひとつまで震える。もっと、もっとと、カラダがほしがっているのがわかる。
ううん、違う。たぶんほしがっているのはカラダではなく魂だ。ああ、こんなにも。こんなにも自分の歯で噛みしめ舌で味わう料理がおいしいなんて。
記憶の中だけでも何年ぶりだろう。これだけでカラダをくれたルナステラには感謝したくなる。
「落ち着け。喉を詰めるぞ」
「ぅぅ、大丈夫ぅ……」
小麦の味を思い出した。少し焦げて香ばしくなっているところが好きだった。お肉の出汁が根菜にたっぷり染み込んだスープは、薄味だけれどとても優しく感じられた。
初めて食べる味なのに、不思議と前世の家族を思い出した。そうしたら、涙がとまらなくなってしまったんだ。
鼻をすすり、涙を袖で拭って、それでもわたしはスープ皿を両手で持って口元で傾けた。
ヴィルが呆れたように肩をすくめると、イオニールさんが嬉しそうに言ってくれた。
「気に入ってくれてよかった。カリゴールでは常に食料に限らずすべての物資が不足しているからね。舌の肥えた人には耐えられない食事だ」
「そんなことないです! だって味があるもの!」
イオニールさんが不思議そうな表情で首を傾げる。
「……? そりゃ味はあるよ。だいぶ薄いけれどね」
ヴィルと目を見合わせて、わたしは少し笑った。
お腹が満たされて、少し安堵したわたしは……先ほどイオニールさんが言った気になる言葉について尋ねてみることにした。
大丈夫よね。ヴィルもいるし。
「あの、物資って……その……」
でも、言いよどんでしまう。
あなたは盗賊なのかって。優しそうだし信じられないけれど。
何かを察したらしく、イオニールさんがヴィルに視線を向けた。ヴィルが力強くうなずく。
「僕が輸送物資を襲って奪っていることかな?」
「う……。さ、散々食べさせてもらっておいて申し訳なく思うのですけど、いま食べた食事も?」
「それは入っていないよ。あれらは僕には必要のないものだからね」
表情に変化はない。にこにこと微笑んだままだ。
ヴィルは食卓についたまま両腕を組んで押し黙り、目を閉じている。
「必要がないなら、どうして奪うの?」
「キャロンダイトの騎士たちはここの事情を知らない。少量の物資を施せば何が起こるか」
先ほどのヴィルの話を思い出した。
「奪い合い……」
「そう。だからこの街の長である僕が奪い、不平等に分配するんだ」
「不平等に?」
「どうせ足りない物資だからね。すでに生業のある者には与えず、外周で生きる働けない子供や老人、傷病者にだけ分配しているんだよ」
ああ、そういうことか。めっちゃ善人じゃん。この人。
ここに来るまでだいぶ失礼な誤解をしてたよ。
「あらかじめ、そういうふうに分けてってキャロンダイトさんにお願いできない?」
「何度か言ったんだけどね。エ・レの加護のない異教徒に興味はないらしい。僕の言葉が彼に伝えられることはないだろうね」
「でも支援物資はくれるんでしょ? 気にはしてくれてるのかも?」
イオニールさんがため息をついた。
「連盟へのご機嫌伺いのためさ。だから彼らは堂々と足りない量をよこすんだ。奪うために殺し合うくらいなら、ない方がマシな量をさ。本当は金食い虫の厄介な異教徒の街なんて消えてくれと願いながらね」
ヴィルが捕捉を入れる。
「討魔連盟のスタンスはあくまでも世界平和の維持だ。魔女狩りもそのための活動の一環ということになっている。ゆえに、どこの国も連盟の心証をよくするため、魔女を狩りと平和維持の実績作りに必死というわけだ。偽善だろうが強制だろうが、救われる者がいるからな。キャロンダイトはその制度をうまく利用している。このイオニールはその制度を利用しているキャロンダイトを、さらに利用する極悪人だ」
ニヤけながらヴィルがそう言うと、イオニールさんは半笑いで肩をすくめた。
「言い方がひどいな。まあ、合っているけれど」
「へえ……」
連盟ってそういう組織だったんだ。思ったよりまとも。統一政府みたいなものと思って間違いなさそうだ。キャロンダイトは最低だけど。
連盟、か。ヴィルのように叩き潰す気はないけど、ちゃんと話を聞いて魔女狩りをやめてくれるといいけど。
イオニールさんが苦い表情でつぶやいた。
「支援に頼らずとも生きられるようにカリゴールでは自給自足を目指して種を植えたり家畜を飼ったりするんだけど、そのたびに一部の住民の手で種芋は掘り起こされ家畜は盗まれる」
「自浄作用のない街だ」
ヴィルの言葉に、イオニールさんの表情がますます苦くなる。
「耳が痛いな。正直もう出稼ぎに頼るしかない状態だ。……と、そこらへんの事情はキミたちには関係なかったね」
ふいに。本当にふいにだ。ヴィルが不機嫌そうに鼻を鳴らした。
けれども、その口が開かれることはなかった。
イオニールさんが立ち上がる。
「さて、貸せる毛布もないけど、今夜はここに泊まっていくといい」
「あ、片付けも手伝います! 食べさせてもらったお礼にせめてこれくらいはさせてください」
お皿を重ねようとしたわたしの手を、イオニールさんが制した。
「いや、いいんだ。何人か子供を雇っているから。彼らの仕事を奪わないであげてくれ。まだ幼くとも、彼らには労働者の矜持がある。料理してくれたのもその子たちだ」
あ……。
わたしは小さくうなずく。
聖人だな、この人。気の回し方がすごいや。自分がいかに至らないかよくわかる。
「ルナから見たらうさんくさい輩のアジトだけど、屋根と壁があるだけ安全だよ。ヴィル、客室への案内はキミに任せたよ」
「ああ。感謝する」
そう言ってイオニールさんは席を立った。
「じゃあ、ルナ、ヴィル。今夜はゆっくり休むといい」
「ありがとうございます」
そうして彼は細い背中をわたしたちへと向けた。
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