これがパワーだ
かつてないくらい心臓がバクバクと脈打っていた。
押し止められていた血流が、すさまじい勢いで全身に行き渡っていく。同時に黒く染まっていた視界が、徐々に空の青を取り戻し始めた。
カイブツから剥がれた鱗が、いくつか草原に転がっているのがわかった。
「死……ぬかと……」
思った。けれど、生きてる。
でもそう思えたのもつかの間だった。
じわと涙がしみ出すと同時、近くでカイブツが起き上がる音がしたから。あいつはあの巨体で大地に叩きつけられたにもかかわらず、のそりと立ち上がったの。平然と。
心臓がきゅっと締め付けられる。
わたしは立ち上がろうとして力が入らず、再び地面に膝と両手をついた。
呼吸が荒い。まだ回復しきっていない。
「あは……冗談……」
カイブツは動物がそうするように大きく首をぶるぶると振ると、感情の読めない縦長の瞳孔でわたしを睥睨する。
ううん、感情がわかった。怒りだ。獲物ではなく、敵に対する怒り。敵意や殺意だ。
ぞわり、と再び背筋に悪寒が走った。
立って。立って。立って逃げなきゃ。
わたしの攻撃は通用しない。ほとんどダメージを与えられなかった。いまだって痛みで我を忘れさせ、墜落させただけだ。爪も剥がし切れなかった。
立って。足。お願い。
なのに膝は震えて、再び地面に落ちる。
――アアアアァァァァァーーーーーーーーーーッ!!
カイブツが翼を広げて跳躍した。鋭い爪でわたしを引き裂かんと襲いくる。
逃げ――だめだ。空を飛ぶ相手からは逃げられない。背中を見せるだけ無駄。
わたしはとっさに前転でかいくぐって、爪での急襲から逃れた。
「……っ」
うまく避けられたのは、カイブツが剥がれかけた爪のある方の右脚を庇って動いていたからだ。それでもカイブツは奇声を上げて狂ったように、わたしを執拗に狙う。
爪を再びかいくぐったわたしの頭へと、牙で喰らいついてきた。わたしはバランスを崩しながら草原を転がってどうにか逃れたけれど、立ち上がろうと見上げて絶望する。
カイブツはすでに跳躍し、再びわたしに爪を突き立てにきていたから。そして鋭い爪がわたしの胸を引き裂きかけたまさにその瞬間。
「あ……」
暴風のような何かが背後からわたしの頭上を飛び越えた。銀色の髪が風に煽られさらわれたと頭で理解した直後、暴風の主は迫り来ていたカイブツへと真正面から接触する。体当たりだ。
ドン、と鈍く重い音が響き、カイブツが後退した。
けれどもすぐさま喰らいついてきたカイブツの牙を、今度はすり抜け様につかんで踏ん張り――。
「おおおおおッ!!」
メキリ、と広背筋が膨れ上がる。
十五メートルはあろうかというカイブツを片腕で――高く、高く、逆さに持ち上げて。
「これが……ッ……パワーだッ!!」
無情にも頭部から大地へと叩きつけていた。一切の情け容赦なく。
およそ生物から発生する音とは別物の轟音が鳴り響く。
大地が割れてせり上がり、衝撃波にのって土煙が広がった。それらが風に流されたときに見えてきた景色。
開いた口が塞がらないとはこのことだと思った。
巨大なカイブツが頭から地面に突き刺さっている。逆さまに。
ううん、もしかしたらもう頭部は爆砕してなくなっているのかもしれない。鱗や肉片、血液がそこら中に散っているから。
「そしてパワーとは、すなわち筋力だ」
「……!」
ヴィルの妄言に感化されたわけじゃない。ボロボロになったカイブツが、自分で地面から首を引き抜いたから。
まだ生きてたの!?
そうして自身に背中を向けていたヴィルへと襲いかかった。
「ヴィ――!?」
声を上げかけたときにはもう、ヴィルはすでに動いていた。背後からの噛みつき攻撃を余裕でひらりと躱し、両足で跳躍して一旦距離を取る。カイブツを挟んで、わたしとは反対側の方へ。そうして右腕を立ててパンプアップさせ、ヴィルはニカッと笑った。
「挟むぞ、ルナ! 首狩りだ! 両親の得意技だが、おまえとならばできそうだ!」
「え? へ? 首狩――あ! そ、そゆこと?」
で、できるかなあ。
戸惑いながらもわたしはヴィルと同じように右腕を立て、パンプ――は無理だから魔力を通す。限界まで。振り絞るように。もっと、もっと。
「行くぞッ!」
「う、うん!」
そうして同時に地を蹴った。
互いの足下の大地が爆ぜる。カイブツはわたしかヴィルか、どちらを攻撃対象にするべきかで迷ったようだ。そのほんの一瞬が命取りになることも知らずに。
ヴィルは背後から、わたしは前方から、走る速度と腕力魔力を乗せた両腕を、カイブツの頸部を前後から挟み込むように叩きつけていた。
「んどりゃあああああっ!」
「わああああああああっ!」
轟音が鳴り響くと同時に、右腕にすさまじい衝撃が迸った。
肉が拉げて潰れ、骨が砕けて血管が破裂し、カイブツの太かった首が頑丈な鱗ごと圧迫されて薄くなり、ヴィルの右腕の感触さえ伝わってきた。
「いいぞ振り切れぇぇぇ!」
「はい!」
ん、ぐ、ううううう!
さらに互いに勢い止まらず、鎌のように腕でカイブツの首を狩りながら――互いに交叉し着地する。わたしはカイブツの背後に立ち、ヴィルは前方にいた。
それは、つまり――。
びゅうと風が吹く。
ちぎれ飛び、宙を舞っていたカイブツの巨大な首が、遅れてどさりと草原に落ちた。流れ出した血だまりがさぁと広がっていく。
「ふ、良きトレーニングであった」
……ひいい、グロいよぉ。
楽しんでいただけましたなら、ブクマや評価、ご意見、ご感想などをいただけると幸いです。
今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。
次話は夕方頃に投稿予定です。