剥がす
嘘、嘘、何これ!?
肌が粟立っていく。少し遅れて全身に冷たい汗が浮いた。
怖い、この生き物が。こんなカイブツは見たことがない。大きく翼を広げれば十五メートルくらいはある。この世界にはこんなのがいるのか。
なんとか逃げないと!
足下に視線を向ければ、ヴィルが草原をものすごい速さで走っている。草原に彼が走った跡が残るくらい。地面を蹴るたびに草原が掘り起こされている。まともじゃない速さ。連れ去られそうなわたしを追ってきてくれているんだ。
「ヴィルゥゥーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
それでも。ああ、それでも。
徐々に離されていく。当然だ。このカイブツは空を飛んでいるのだから。
「放し――て!」
わたしはわたしの胴体をがっしりとつかんだカイブツの脚を何度も叩く。堅い鱗に覆われているからか、まるで気にした様子すらない。
だったら仕方がない。あまり生き物を相手に使いたくはなかったけれど。
殺す気で!
「この――!」
魔力を拳に込めて、カイブツの脚に全力で叩きつける。ガンっ、と分厚いゴムの上に堅い金属をのせた物体を叩くような音が響き、カイブツが空で身をよじった。
……けれど、それだけだ。ううん、むしろ。
「あく……っ」
放すどころか、カイブツはわたしを逃がすまいとして、さらに強くつかんできた。
肺の中の空気が強制的に押し出され、骨が軋む。締め付けられ、内臓が潰されそうなほどに痛い。
わたしは何度もカイブツを拳で叩く。
けれど空で微かに揺らぐばかりで、ダメージを与えられている気がしない。
「~~っ」
魔法がまるで通用しない。騎士を押したときよりも、レニアの頬を張ったときよりも、もっともっと魔力を込めて強く叩いているのに。
なんで? なんで!? なんで!?
何度も、何度も。けれどカイブツは平然と飛び続けているだけだ。
捕らえた獲物を逃がすまいとして、さらにわたしのカラダを締め付けて。鬱血し、頭から破裂しそうな痛みが襲う。熱い液体がこみ上げてきて、口から流れ落ちた。
腕から力が抜けていく。
嫌だ、嫌だ、嫌だ! 本当に死ぬ!
間違っていた。勘違いだった。
いくら魔女といっても、人間の中でだけ恐れられる存在に過ぎないんだ。この世界にはカイブツがいて、そういうのには勝てないんだ。
ああ、ヴィルの姿ももう見えない。
視界の端が黒くなってきた。意識が朦朧としてくる。生きたまま、意識を持ったまま食べられるよりは、気を失った方が……まだ。
全身から力が抜けて、ぐったりと手足が下がるのがわかった。
なのに不思議。細く長く、そして白い右手だけがすぅっと動き、カイブツの爪をつかんだ。黒く染まった視界の中央に残る微かな光景に、わたしは意識を向ける。
胸の裡で誰かが囁く。悪意と愉悦に満ちた声で。
――剥がせ。
「――!」
ルナステラ!?
ああ、そうか。そうだ。せっかく動けるカラダをもらっておいて、こんなところで死ねるわけがない。死んでたまるか。
歯を食いしばり、意識を戻す。このままでは数秒と経たず、気絶するのはわかっている。けれども、まだ。まだだ。数秒あれば十分。
爪をつかむ指。五指と右腕、すべてにありったけの魔力を通す。
「……っ……」
そうしてわたしは最後の力を振り絞り、つかんだ爪を思いっきり引いた。メリメリと嫌な感触が伝わり、唐突にカイブツの巨体が暴れ出す。
左腕にも魔力を通し、左手で足先を、右手で爪をつかんで強引に剥がしていく。
繊維のように繋がる肉を、引きちぎりながら。
「うううう!」
――アアアアァァァァァーーーーーーーーーーッ!?
悲鳴。首が下がった。羽ばたきと滑空を定期的に繰り返していた翼のリズムが狂い、カイブツが錐揉み状態となって急速に降下していく。
墜落する――!
カイブツの全身がこわばるのがわかった。どうにか空でバランスを戻そうとバタついた拍子に、わたしをつかんでいた脚が開かれる。
空に投げ出された。落下していく。大丈夫、着地はできるはずだ。意識さえあるのなら。でも視界が黒い。
視界、早く戻って。早く。早く。
間に合わない。
わたしは全身に魔力を巡らせ、歯を食いしばった。
大丈夫、きっと耐えられる。
「~~っ」
直後、すさまじい勢いで大地に全身を叩きつけられていた。けれども、痛みはさほどでもない。
そのわたしを飛び越えて、カイブツが大地に墜落する。地面をえぐった巨体を草原で引きずるように転がし、跳ね上がって叩きつけられ、ようやく停止した。
はぁ、はぁ、はぁ……。
視界が徐々に戻り始める。
気づけばわたしは大の字になって、草原から空を見上げていた。
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