大昔の戦争のお話
しばらく草原で身を縮めながら移動をして、ヴィルはようやく足を止める。
抱えたままわたしのことは下ろしてくれないけど。肩に掛けるタオルみたいな担ぎ方はやめてほしい。荷物じゃないんだからさあ。
「もう大丈夫だろう。さすがにここまでは追ってこない。それに、曲がりなりにも七賢は連盟の魔術師だからな。少々苛烈な性格をしてはいるが、決して悪党ではない。目を覚ましたとしても、己の魔術が罪なき民に損害を与えたと知れば、必ず救助に手を貸すはずだ」
「そっか。信頼してるんだね」
ヴィルが珍しく苦笑いを浮かべる。
「やつらとも長い付き合いでなあ。俺は魔法使いではないと言うのに、まったく」
何にしても、よかった……。
わたしはようやく安堵の息を吐くことができた。
「そ、そうだ。ヴィル、怪我は? ひどい傷を負っていたよね!?」
「あの程度のかすり傷、すでに治っている」
「嘘でしょ!? 血管から破裂してなかった!?」
でも、体表の血をルナステラの服の袖で拭き取っても、確かに傷がない。
「服が汚れるぞ。毎日筋トレをしていれば、傷などすぐに治るものだ」
「そーかなー……」
「素晴らしいぞ、筋トレは。心まで前向きになれる」
よくわかんないや。
ヴィルは得意げに続ける。
「日々鍛錬。いまも重しを抱えてこうして歩いているだけで、よいトレーニングになっている。おまえの体重が全身の筋肉に効いているのがよくわかる」
「やめてよね!? わたしそんなに重く――」
あ。このカラダは月菜じゃなくてルナステラのだった。
「重くはない……と思う」
月菜よりは確実に重いけど。病人じゃないから。背は高いし、手足長いし、胸大きいし、腰は細いけどヒップもある。全部いいことなんだけどさあ、ヴィルの言い方がさあ。男の人ってこれだから。
それにしても、この人。自分の肉体というか筋肉以外に興味なさそうだな。前世から男性慣れしてなかったけど、あんまり緊張せずに話せてる気がする。
「なんだ?」
「別に。なんでもないですー」
こうしてわたしたちは、どうにか圧壊のレニアを振り切ることに成功した。
草原に入ってからもしばらく距離を取って、ヴィルは肩に担いでいたわたしをようやく地面へと下ろしてくれた。
街道からは大きく外れたところにある草原。地面に敷き詰められたかのような緑の短い草が、見渡す限り地平線まで続いている。裸足なのに痛くない。
わあ、雄大――!
せっかくの景色を楽しんでいる余裕はあまりないけれど。なぜなら。
「むう」
ヴィルは眉を八の字にして、困ったような表情でわたしを見ていたから。
不審者も同然だよね、いまのわたし。
せめて助けてもらったお礼を言わなければ。
「あの、ありがとう。助けてくれて」
「……」
「え~っと……」
気まずい。つぶらな瞳でわたしを見下ろしている。何か言ってほしい。
あまり緊張しない人といっても、知らない男性とふたりきりだなんてお医者さん以外じゃ初めてだし、見つめられるともじもじしちゃう。さっきまで平気だったのに。
「あ、あ、さっきの。レニア……さんって、あの人も魔女だよね? でも口ぶりからすると、魔女狩り連盟? みたいなのに所属してるみたいだけど……」
「あいつは魔女ではない。魔術師だ」
うん?
わたしは首を傾げる。長い銀髪がさらりと流れた。
「何が違うの?」
ヴィルの左右の眉の高さが変わる。怪訝な表情だ。
「おまえは本当にルナステラではないのだな」
「最初からそう言ってるのに、誰も信じてくれないの」
ぐぐと顔を近づけられた。
「ふぅむ。あいつの妹か娘か? いや、しかし親族がいるとは聞いていないが……」
わたしは逃げるように少し身体を反らせる。
筋肉怖いんだもん。熱量すごいし。
「わかんないけど、違うと思う。わたしの本当の名前は星野月菜――ツキナ・ホシノだよ」
いま気づいた。ルナは月、ステラとアストラルは星。わたしの名前はルナステラとあまり変わらない。実際に小学生の頃は、親しい友人からルナと呼ばれていた。そう考えると、何か運命的なものを感じる。
……ちなみにベインは災いだ。件の魔女をよく表している。名は体をなんとやらだ。
「変わった響きの名だな」
「ルナでいいよ。別の国の言葉に直せば意味合い的にはほとんど同じだから」
また怪訝な表情をしている。
少なくとも英語圏の国じゃないよね。英語圏での魔女狩りなんてとっくにないはず。やっぱり異世界だ。
言語体系が違うのか。わたしは日本語で話しているつもりだけれど、実際には変わってしまっているのかもしれない。
「まあいい。そうさせてもらう。ルナがわからんのは魔法と魔術の違いだったか」
「うん」
「魔法とは、かつて滅んだ種族、魔族の力のことだ。そして魔術は、魔法を操る魔族に対抗するため人間族が編み出したそれに近しい力だ。魔法は手足を動かすような先天的なものらしいが、魔術は勉学によって後天的に身につける術式だと思ってくれ」
魔族……。
そこからの説明は、わたしにとってはまるで別世界の話のように思えた。
かみ砕いて言えば、二百年ほど前まで人間族は魔族と戦争状態にあって、魔族の使う魔法に手も足も出なかったらしい。そんな折り、魔法を研究したひとりの賢者が劣化とはいえ魔術というものを作りだし、元々の個体数の差もあって人間族は魔族に打ち勝つことができたのだとか。
「魔族って数は少なかったんだ」
「そうだな。遙かに少なかった。だが魔族一体を仕留めるのに人間族は、数十もの騎士と数十もの魔術師の命を要したという。両種族にはそれほどの力の差があったのだ」
先ほど、火刑台で目覚めてからこの瞬間まで、自身がしでかしてきたことを思い出す。
騎士も、魔術師も、助けた民でさえ、誰もがわたしを見て怯えた顔をしていた。
ん~。まあ、それはいっか。
誰に何を思われようと、あまり気にしてないし。
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次話は日が変わる前には投稿予定です。