9話「人の手で、土を起こす」
朝霧の残る村外れ。
露に濡れた草が足元をくすぐるなか、俺とエルミアは新しく整備した畑予定地に立っていた。
緩やかな斜面には、前日までに整地した跡が広がり、あちこちにスコップの痕と杭が残っている。
周囲には鍬や道具を持った村人たちが十数名。老若男女がまばらに集まっていたが、その表情にはまだ少し不安が混じっていた。
「……ここが、耕作地になるのですね」
エルミアが小さくつぶやく。
「うん。水の流れと陽当たり、土の感触を見て、ここが良さそうだと思った。まあ、正直やってみないと分からないけどな」
俺がそう返すと、彼女は空を仰ぎ、風の流れを肌で感じるように目を閉じる。
「今日は、開拓にはいい日ですね。風も穏やかで、陽もやさしい」
「……それ、エルフ的な感覚?」
「少しだけ。風は、肌や耳で読むもの、ですから」
俺にはまったく分からない世界の感覚だが、その言い方がなんだか面白くて、つい笑ってしまった。
朝の光が差し込み、畑予定地をほのかに照らし出す。俺はひとつ息を吐いて、村人たちのほうへと向き直った。
「皆さん、今日は集まってくれてありがとうございます。これから、この一帯を畑にしていきます」
返事の代わりに静かな空気が流れる。疑いと戸惑いが入り混じったような沈黙だったが、何人かの年長者がうなずくと、それに引きずられるように他の人たちも前を見るようになった。
「まずは水路を通します。ちょっと驚くかもしれませんが、見ていてください」
俺が合図を送ると、エルミアが一歩前へ出て、指輪にそっと触れた。
魔力が指先に集まり、淡い光が瞬いて──
「“地裂走”」
地面が低く唸り、次の瞬間、スーッと音もなく、土が割れていった。まるで鋭い刃で紙を裂いたような勢いで、一直線の溝が数十メートル先まで刻まれていく。
「お、おお……!」
「い、今のが……魔法か?」
「こんな簡単に……」
村人たちが一斉にざわついた。腰を浮かしかけた者もいたが、誰も逃げ出そうとはせず、むしろその場に釘付けになっている。
エルミアは魔法の余波を抑えながら、風を巻き起こして土くれや石を吹き飛ばし、溝の側面を綺麗に整えていく。
やがて水が流れ込み、しっとりと湿り気が宿る。
「これで水路は完成です。次は畝を……」
エルミアがこちらを見る。俺はうなずき、作業メモを確認した。
「じゃあ、いくよ。カジさん、ユーリさん、マルタさんは、こっちのラインを担当してください。畝と畝の間隔をしっかりとって、風通しを良くしましょう」
「はい、坊ちゃん!」
「俺たちは……道具で、ですよね?」
「もちろん。魔法は“きっかけ”です。仕上げは人の手じゃないとできませんから」
その言葉に、村人たちの動きが少しずつ前向きになるのが分かる。
「坊ちゃん、植えるのは何を?」
誰かが声を上げる。
「今日は試験的に、《ライ麦》と《ハーブ類》を植えます。どちらも、この土地に向いている作物です」
「ハーブって、薬草ですか?」
「そう。ローズマリー、タイム、セージ……料理にも保存にも、体調不良にも効く、便利な植物です」
おおっと、小さなどよめきが起きる。
「ライ麦は痩せた土地でも育ちやすい作物です。保存にも向いてますし、パンにもなります」
「俺たち、ずっと小麦ばっかでしたが……」
「小麦もいい作物ですが、土地が痩せると不作になるんです。ライ麦はその点で優秀ですし、植え付けも難しくない」
「でも、その種……どこから?」
「先週、隣領の街まで人を出して仕入れてきました。春蒔きの在庫を持っていた交易所があって、そこから買わせてもらいました」
「街まで……」
どこか感心したような声が漏れ、空気がやや和らいだ気がする。
「植え方は、ハーブは日当たりのいい畝へ。ライ麦は風通しのいい場所に。班ごとに分かれて、交互に作業していきます」
即興で小分け班、覆土班といった役割を決め、村人たちに割り振っていく。最初は戸惑っていたが、次第にスコップが動き出し、靴音が畝に沿って伸びていく。
「ノエルさま」
ふと隣で声がして振り向くと、エルミアが風に銀髪をなびかせながら立っていた。
「この土地……息をしています。とても静かで、あたたかい。きっと、良い作物が育ち、ます」
「そうか。エルフのお墨付きなら、きっと大丈夫だ。ありがとな」
エルミアはほんの少し笑って、畝を耕す村人たちに目を向ける。
「ここから、命が育ちます。皆さんの手で、それを育ててください」
森の民としての誇りと、どこか祈りに近い声だった。
村人たちは数秒だけ手を止めて、その言葉に耳を傾け──
「……坊ちゃん、なんか、ちょっとやる気出てきたわ」
「魔法には敵わんけど、畝づくりなら俺たちの方が上だな」
そんな声と共に、小さな笑いが場に広がった。
魔法は畏怖をもって距離を作るものだとばかり思っていたけど、案外、繋げる力もあるのかもしれない。
俺はひとつ息を吐いて、空を見上げた。
――まずは第一歩、だ。
* * *
作業がひと段落したのは、三日目の昼過ぎだった。
予定していた畑の整地と種蒔きが、驚くほどスムーズに終わってしまった。
エルミアの魔法の力も大きかったが、なにより村人たちが日を追うごとに手際よくなっていったのが大きい。
朝から黙々と鍬を振るい続けていたカジさんが、昼休憩のとき、ぽつりと呟いた。
「……坊ちゃん、これ、もう明日には全部終わっちまいそうですねぇ」
「うん、たぶんね。予想よりだいぶ早い」
俺は日陰で腰を下ろし、昼食のパンをかじりながらそう答えた。
この村を初めて訪れたときは、荒れ果てた土地と、どこか諦めたような人々の顔が印象的だった。
でも今は違う。作業を終えた村人たちは、土にまみれながらも、妙に生き生きした顔をしている。
「……さて、次はどうしようか」
ひとりごとのように呟いた俺の声に、近くにいたユーリおばさんが反応した。
「次、って……何をするんですか?」
「人手が空くなら、その手を“次の仕組み”に使うべきだと思って」
パンを口に運びながら、俺は頭の中の構想を整理していく。
「例えば、倉庫。あそこ、もともと何に使ってたんです?」
「ああ、干し草とか、農具とか、古い酒樽が積まれてたとこですかい?」
「うん。あそこを整理して、簡易工房にしたい。道具の修理とか、木工とか、布の補修なんかができるスペースに」
「……工房?」
少しピンと来ないという顔をした村人たちに、俺は言葉を補足する。
「たとえば壊れたスコップを直す人、薪をまとめる人、木の板を削る人……それぞれ分担してやれば、作業効率も上がるし、物の寿命も延びる。それに、新しく何かを“作る”こともできるようになる」
「ははあ……なるほど、そういうのも“仕事”になるんですねえ」
感心したように誰かが呟く。
「あと、もうひとつ考えてるのが、“読み書きの教室”。子どもたちに、基本的な文字や数を教える場をつくりたい」
「読み書き……ですか?」
「うん。領の記録や、取引の帳簿を見るにも必要だし……何より、文字が読めれば“情報”を使える。覚えた子どもたちが、大人になって村を引っ張っていく。そういう流れを作っておきたいんだ」
「ほぉ……なんか、坊ちゃんの言うこと、昔の領主さまとは違いますなあ」
カジさんが目を細めて笑い、木陰に寄りかかった。
「仕事があるって、なんか……いいもんですね。身体は疲れるけど、気持ちは軽くなるというか。今までは自分たちが生き残る事だけしか考えてなかったから、余計そう感じますわ」
「分かるわ。朝から動いて、昼にみんなでパンかじって、また午後から畑に出て……“生きてる”って感じがしますもんねぇ」
ユーリおばさんの言葉に、数人がうんうんと頷く。小さなことかもしれない。でも確かに、“変化”は始まっていた。
誰かの顔に、少しだけ誇りのようなものが宿る。それだけで、俺は少し報われた気がする。
工房も教室も、準備はこれからだ。道具や机も足りないし、教える人間も探さないといけない。正直、課題は山積みだ。
けれど。
(やれることがあるって、悪くないな)
俺はそう思いながら、パンの残りを口に放り込み、立ち上がった。
さて、次の準備に取りかかるとしようか。
* * *
畑に芽吹いたばかりのハーブの葉先が、昼の風にかすかに揺れていた。
整地を終えた耕作地には、人の気配が戻りつつある。
子どもたちは石を積んで「お店ごっこ」に興じ、年配の女性たちはベンチ代わりの切株に腰を下ろして針仕事。
若い男たちは倉庫の軒先で木材を削り、仮の棚や道具置き場をこしらえていた。
それぞれが、それぞれの手で、“何かを形にする”日々。
ほんのちょっと前までは、村にはこうした風景なんてなかった。
「……まさか、あの倉庫が“工房”になるとはなあ」
カジさんが、腰を伸ばしてぼそりとつぶやいた。彼の隣には、削り終えた木板が綺麗に積まれている。
「まだ仮組みだけど、次はちゃんとした作業台を作る予定。今のは強度がちょっと頼りないんで」
そう返すと、彼はニヤリと笑った。
「坊ちゃん、ほんとになんでも知ってるんですねえ。……正直、最初はただの甘やかされた坊ちゃんかと。すんません、見くびってました」
「うん、自覚してたから大丈夫。まあ、最初は実際そんなもんだったし」
冗談めかして返すと、彼は肩をすくめて笑った。そんなやりとりが、最近少しずつ増えてきた。
俺に対する“よそ者”扱いが、ようやくほどけ始めている。
たった数日間。でも、確かな変化だ。
──けれど。
(まだ、全然足りない)
心の中で、はっきりとそう思う。
畑を整え、作業を分担し、工房の枠組みを整えた。
読み書きの教室も、来週には机と板が揃う予定だ。先生役には、屋敷付きの家政婦を一人まわす手配もつけた。
けれど、それは“最低限の生活”の始まりにすぎない。本当に目指したいのは、“この村でちゃんと生きていける未来”だ。
今のままじゃ、まだこの村は閉じている。物も、人も、情報も、すべてがここだけで完結してしまっている。
風が吹いた。
ふと顔を上げると、村の東の細道が、地平線のかなたまで続いていた。
その先に、隣領の町がある。交易があって、人が行き交い、知識と文化が混ざり合う場所。
(あの町と、この村を……ちゃんと繋げることができたら)
まだ遠い。でも、道筋は見えてきている。
橋がいる。道を直す必要もある。
商人と交渉するための信用も築かないといけない。
やることは山ほどある。
「ノエルさま、そろそろ昼食です。戻りますか?」
エルミアの声が、日差しの向こうから届いた。畝の端に立つ彼女の髪が、風にふわりと揺れている。
「うん。行こう」
俺は腰を上げて、もう一度だけ村の全体を見渡した。
土の匂い、薪の音、笑い声。そのすべてが、“止まっていた村”に新しく芽吹いた音だった。
けれど、ここはまだ序章。ほんの入り口にすぎない。
次は商人。交易路。物流。
もっと広く、もっと遠く。
村を“繋げる”ための道は、ようやくこれから始まるんだ。
俺はひとつ深呼吸をして、エルミアの待つ方へ歩き出した。
村を変えるって、けっこう面白いかもしれない──
そんなことを、ふと思いながら。