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追放令嬢と異種族と、辺境領で理想の国づくりを始めました  作者: 冷凍食品
第1章「白銀のエルフと辺境の坊ちゃん」
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7話「おかえりなさい、ませ」

 朝の屋敷に、ピンと張りつめた空気が漂っていた。


 俺は応接間の隅に腰を下ろし、湯気の立つ紅茶を片手に、目の前の光景を見守っていた。


 部屋の中央には、メイド長カルラと、その前に立つエルミア。彼女はカルラの指導のもと、背筋をぴんと伸ばして何度も同じ挨拶を繰り返していた。


「おはようございます、カルラ様」


「口元をもう少し柔らかく。目線は外さないように」


「……おはようございます、カルラ様」


 繰り返されるやり取りに、エルミアの表情は明らかに不満気だった。けれど、それを言葉にして反抗することはない。堪えて、ちゃんと続けている。


(逃げ出さないんだな……)


 俺にはそれが、彼女なりの“この場所に居ようとする覚悟”に見えた。


 しばらくして、カルラの厳しい声がふと途切れた。


「──今日の挨拶は、合格です。では次、敬語での自己紹介をお願いします」


 その言葉に、エルミアがぽつりと呟いた。


「……いま、合格って……?」


「ええ。さきほどの言葉には、しっかりと礼が宿っていました」


 エルミアは一瞬きょとんとしたあと、普段は無表情の口元をほんの少しだけ緩めて、ちょっとだけ得意げにうなずいた。


 ……なんか、かわいいなと思ってしまったのは秘密だ。


 * * *


 翌日。俺が村の視察を終えて屋敷に戻ると、玄関ホールの手前でエルミアが立っていた。


「……おかえりなさい、ませ、ノエルさま」


 一瞬、耳を疑った。


 その言葉は、どこかぎこちなく、まだ慣れない調子だった。けれど、たしかに――“歓迎”の意思が、そこには込められていた。


「お、おう……ただいま」


 不覚にも、返事の声がちょっと裏返ってしまった。くそ、悔しい。


 エルミアは平然を装っていたが、明らかに視線をそらしていた。その耳が少し赤かったのは、気のせいじゃないと思う。


 夕食はいつものパンとスープ、それに野菜のソテーだけど──今日の食卓は、どこかあたたかかった。二人で向かい合って、ぽつぽつと会話を交わしながら食べるその時間は、“家族”という言葉がほんのり頭をよぎるほど。


「なあ、カルラに何か言われたのか?」


 パンをかじりながら訊くと、エルミアは少し間を置いて答えた。


「“坊ちゃまの客人であれば、それ相応に扱います”……と、言われ、ました」


「カルラらしいな」


 エルミアはパンをちぎって皿に置いたまま、ぽつりと続けた。


「でも……不思議と、嫌じゃないんです。ちゃんと、“私”を見てくれてる気がするから、です」


 その言葉が、じんわりと胸に染みた。


 彼女はきっと、長い間“誰にも見てもらえなかった”んだ。名前も、存在も、気持ちも──誰にも触れられずに生きてきた。


 だから今、誰かに“何かを教わる”という経験が、少しだけ嬉しいのかもしれない。


 * * *


 カルラの礼儀作法特訓が終わった後、俺とエルミアは地下倉庫で“作戦会議”と称する勉強会を始めるようになった。


 机の上には、地図や羊皮紙、鉛筆や水差し──そして、俺の前世知識のすべてを詰め込んだメモの山がある。


 エルミアは、椅子に腰かけ、背筋を伸ばしてこちらを見ていた。表情は真剣そのもの。


「さて、今日は“塩”の話だ」


「し、塩……でございますか? その……食べる、塩……ですの?」


 妙に慎重な言い回しに、俺は思わず笑いそうになる。


「うん、合ってる。けど、食べるだけじゃない。塩っていうのは保存にも使えるし、消毒にもなる。冷蔵庫がないこの世界では、めちゃくちゃ大事な物資なんだ」


「ほ、保存と……殺菌、ですか。なるほど、勉強になり、ます」


 語尾の“ます”が不自然すぎて可笑しい。でもそのぎこちなさは、彼女が真剣に“馴染もうとしてる”証拠だった。


「あと、“塩田”っていうのがある。海水や塩湖の水を太陽で蒸発させて、塩を取り出すんだ。燃料いらずで、自然に任せて作れる」


「それは……風と熱をうまく使えば、再現できるかもしれませんね……」


「おっ、いい発想。さすが魔法使い」


 エルミアは小さくうなずき、羊皮紙に丁寧な文字でメモを取る。「塩=保存+消毒」「塩田→蒸発→残る塩」と図まで描き込むあたり、やはり吸収力がえげつない。


「次の話。“土を焼く”って知ってるか?」


「土を……焼く、のですか?」


「そう。土を焼いて、レンガとか陶器とかを作る。建材にも器にもなる。高温で焼き固めることで、形が崩れなくなるんだ」


 エルミアは少し考えたあと、小さく頷いた。


「それ、魔法で応用できそうです。“火”で加熱して、“土”で型をつくって、“風”で空気の流れを調整すれば……」


 もう完全に思考モード。彼女の手元では、すでに“魔法窯の設計図”らしきものが描き始められていた。


 驚くほどの理解力。そして、それをすぐに応用へと転換する応用力。


「……私、変なことを、言いましたでしょうか?」


「いや。すげぇなと思ってさ。スポンジみたいに吸収して、応用まで考えてる。尊敬するよ」


「ほ、ほんとうに……? そ、そんな……」


 耳がほんのり赤くなる。慣れない敬語と相まって、その反応がなんともいじらしい。


「でも、ありがたい、です。ノエルさまが教えてくださること、全部……楽しい、ですから」


 その“ですから”に、まだ拙さは残っている。でも、言葉の芯はまっすぐで、嘘じゃないとわかる。


 この子は、本気で“ここに生きようとしてる”。


「……よし。じゃあ次の講義は“紙の作り方”だ」


「紙まで……! この世界は、知ることが多くて……すこし、わくわくします」


 その目は、まるで新しい世界を見つけた子どものようだった。


 “作戦会議”は、その夜も熱を帯びたまま続いていく。


 俺たちの世界を、変えるために──二人で。

お読みいただき、本当にありがとうございます。

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