51話「翼人族の里にて①」
夕食をすませ案内されたのは、集会所に隣接した客間だった。板張りの床に敷き布団が五つ、間を詰めて横一列。衝立もあるが、狭いため今は部屋の隅に畳んで寄せてある。樹脂灯のやわらかな明かりが、布の端をほんのり照らしている。
「客間はこちらです。どうぞごゆっくりと」アウリアがそう言い添えて一礼し、部屋を辞した。
残ったのは俺たち五人と、静かな灯だけだ。
「……同室、か」
思わず漏らすと、フレデリカがぴくっと肩を揺らした。
「も、問題ないわ。体裁上は夫婦だし」
言いながら頬が熱くなっている。咳払いでごまかしつつ、枕の位置をやたら丁寧に直す。いつも冷静な彼女では珍しい反応だ。
「私はノエル様の所有物ですので、何も問題ありません」
「言い方!」とフレデリカが即座に突っ込む。だがエルミアの口調はいつも通り淡々としていて、忠誠の表現に棘はない。毛布を軽く叩き、ふわりと空気を含ませた。
「安全上の理由からも固まっていた方が良いでしょう。まだ何があるとも限りません。……お嬢さまの隣はいただきます」
セシリアは相変わらずの調子で、窓と梁の影を確かめてから、入口側の布団を選ぶ。
「まあ、今日は疲れたし、好きに寝よう。俺の布団は少し離しておく」
端の布団をわずかにずらして腰を下ろすと、足元から小さな影がとことこ近づいてきた。ミコトだ。そのまま、ためらいゼロで俺の布団に潜り込む。
「おい、お前のはこっちだぞ」
隣の布団を指さすと、布の中から金の瞳だけが覗いた。こくり――だが出る気はないらしい。もぞ、と俺の腕に寄り、毛布を顎まで引き上げて満足そうに目を細める。
「……まあ、いいか」
聖獣とかいう大層な存在らしいが、こうしているとただの子どもだ。鼻先はひんやりして、体温は素直に高い。息づかいが近い。フィーネも昔、夜更けになるといつの間にか俺の寝床に潜り込んでいた――そんな記憶がふと浮かんだ。
「ミコト、本当にあなたに懐いてるわね。何でかしら」
それを見ていたフレデリカがぽつりとこぼす。
「ノエル様が子供に好かれやすいのも関係してるとは思いますが」
とエルミア。
「確かに、そうかも」
フレデリカがくすりと笑って同意した。
なぜ俺の名前を知っていたのか、なぜ俺にこんなに懐いているのか。まるで分からないが、今は一旦おいておこう。きっといずれ分かる――と心の隅に押しやり、呼吸を落とす。
「さて、明日もあることだし、早めに寝ましょう」フレデリカが言い、こちらをちらりと見てから、慌てて毛布を耳まで引き上げる。
「そうだな。消すぞ」
灯を落とすと、闇がやさしく沈んだ。目が慣れるまでのあいだ、並んだ寝息が順に重なっていくのが分かる。ミコトが「ん」と喉を鳴らし、俺の袖を指先でちょんとつまんだ。返事の代わりに、毛布を少し引き上げてやる。
同じ部屋、同じ布団の並び。気恥ずかしさはあるが、嫌ではない。俺の意識は、いつの間にか静かな暗がりに溶けていった。
* * *
朝の光が回廊から差し込み、集会所の卓に湯気が立った。素焼きの椀にはとろりとした粥、端に干し果実、薄めた甘茶。昨夜の張りつめた空気は引いて、食器が触れ合う小さな音だけが続く。
ミコトは粥をすっかり気に入ったらしい。小さくすくっては、俺の方を一度だけ見上げ、こくりと飲む。聖獣という呼び名からは想像できない、年相応のしぐさだ。フレデリカは干し果実をつまみ、エルミアは匙の重さを確かめるように一定の間隔で口へ運ぶ。セシリアは警戒を解かず、扉と梁上を一巡させてから短く一口。
配膳に立つ翼人たちの額には、それぞれ違う形の風紋があった。渦の線、細い羽根の並び、点を結んだ小さな輪。色は緑で統一されているが、大きさも位置もまちまちだ。彼らにとっては氏名と同じくらい当たり前の印なのだろう。
「昨晩は、よくお休みになれましたか」
甘茶の壺を持ったアウリアが、柔らかく声を掛ける。彼女の風紋は整ったひし形で、几帳面な気質に合っている気がした。
「ああ、おかげさまでゆっくり休めたよ」
「それは何よりです」
甘茶が椀に落ち、松脂の香りがわずかに濃くなる。アウリアは卓の端へ視線を移し、言葉を継いだ。
「雨がなかったのは幸いでした。今季は風が荒く、人手不足も相まって、修繕できていない箇所が多くて……」
「人手が足りない?」
俺が尋ねると、アウリアは小さくうなずく。
「ええ。食後に詳しくお話ししますが、若い者が外の暮らしを選ぶようになりまして。里の修繕も見回りも、手が回らないところが出ています」
「大変そうね。食糧は問題ないの? 頂いてしまっているけど」
とフレデリカが問う。
「足りなくはありません。ただ、やりくりが難しくなってきました。乾き物を増やして、冬までを持たせる計算です」
エルミアが匙を置く。いつもの“計算の顔”だ。ミコトは自分の椀を空にして、今度は俺の椀をのぞき込む。
「……もう少し食べるか?」
「うん」
無邪気な返事に、卓の空気がわずかに和らぐ。アウリアはその様子を見届け、壺を盆に戻した。
「食べ終えたら、席を改めて情報交換をいたしましょう」
湯気はまだ高く、静かな朝がそのまま続いていく。
* * *
食器を下げ終えると、卓は布巾で拭われ、円い水跡だけが残った。アウリアが椅子の向きを正し、俺たちもそれにならう。食事の場から、話す場へ。
「まずは俺たちのことだが、自己紹介から。俺はノエル。こっちの赤い髪がフレデリカ――俺の妻だ。そちらのエルフが俺の部下、エルミア。最後がセシリア。フレデリカの私付きの侍女だ」
順に紹介し、軽く頭を下げる。
「俺はここから北の街を治めている。……“村の長”と言えば伝わるか?」
アウリアが素直に頷いた。
「先日、この一帯の森で不審な出来事が起きたという報告があった。調べに入ったところ、知らず知らずのうちにそちらの領域に踏み込んでしまったらしい。すまなかった」
俺はあらためて頭を垂れる。
「いえ。問答無用で攻撃を仕掛けたのは、こちらの非です。昨日の見回りの代表は……少々血気にはやる性分でして。それが災いしました」
アウリアが苦虫を噛み潰したように言う。里の内情が垣間見える。
「こちらの事情は以上だ。何か聞きたいことはあるか?」
少し考えてから、アウリアは首を横に振った。
「では今度は、そちらのことを順に教えてくれ」
促すと、アウリアはうなずき、声を整える。
「昨日も申し上げましたが、あらためて。私は灯巫のアウリア。この里の“政と祭”を預かる者です」
「灯巫というのは、村長と巫女を兼ねる立場――そんな認識で合っているかしら? 聞き覚えのない役職名なの」
フレデリカが横からたずねる。
「はい、概ねその通りです。聖獣様の翼座を守る役目を担う者に与えられる称号、とお考えください」
アウリアは落ち着いた口調で答えた。俺がつづける。
「翼人族についても、もう少し教えてほしい。さっき“人手が足りない”と言っていたが、何かあったのか?」
「身内の恥ですが……三十年前、里はおよそ五十の家で成り立っていました。今は半分弱。若い者が外へ出て、そのまま戻らないことが増えています。そのため見張りの線に穴が生じています」
「戻らない、のか」
視線を巡らせれば、先ほど目に入った空き家のいくつかが思い当たる。
「はい。“古い決まりに縛られたくない”と」
短い返答に、重さが宿る。アウリアは事実を積み上げるように続けた。
「本来は六つの班で回す見回りを、今は四つでやり繰り。崖道の修繕も三日に一度の予定が一週間おきに。倉の見張りは交代を減らした分、目の届かない時間が増えました」
セシリアが小さくうなずく。
「無理な穴埋めは、事故の原因になりますね」
「空を飛べるなら崖道は不要にも思えますが、整備はしっかりしているのですね」
エルミアが問いかける。
「確かに我らは空を飛べますが、重いものを運ぶことや長距離の飛行は得意ではありません。子どもや年配もおります。ゆえに陸路も必要なのです」
穏やかな声色のまま、言葉ははっきりしていた。
「我ら天羽の民は守り人――ですが、恥ずかしながら、もう限界も見えていました」
樹脂灯が小さく揺れ、すぐに落ち着く。間を切らさぬよう、俺は次の問いを置いた。
「『守り人』というのは、聖獣を守護する者――そんな意味合いでいいか?」
「はい、合っています」
アウリアはうなずき、言葉を重ねる。
「守り人の役目は、“聖獣様が目覚めるその時”まで翼座を見守ること。代々、受け継いできました」
「なるほど」
納得の相槌を打ち、もう一つ確認する。
「翼座と聖獣について、改めて聞かせてほしい」
「翼座は里の奥、石造りの部屋にあります。台座はその中央。聖獣様が長く眠っておられた場所です。私たちの務めは、そこを汚さず、無断で踏み荒らされないよう見回ること。儀礼は簡素に保ち、飾り立てない――それが古くからの決まりです」
俺たちの顔を順に見渡し、アウリアは静かに結んだ。
「記録に残る限り、聖獣様は“時が満ちれば目覚める”と伝えられてきました。つまり――今がその時、なのでしょう」
フレデリカが小声でつぶやく。
「人間側の伝承は、その辺りが薄いのよね。アウリアの話が本当なら、もっと大々的に聖獣のことが書かれていてもおかしくないのに……」
俺はうなずき、視線を戻す。
「現状も役目も理解した。ありがとう」
「いえ。大したことでは。……聖獣様がお目覚めになって、本当に良かった。最近は“急進派”の動きで、役目を果たせずに朽ちる可能性すらありましたから」
「急進派?」
問い返すと、アウリアは背筋を正し、次の説明に移る準備を整えた。




