50話「灯巫―アウリア―」
集会所は断崖に張り出すように組まれていた。樹脂灯の白い火が梁と吊り橋の影を浅く揺らし、松脂の甘い匂いが鼻に残る。壁の風穴が低く鳴り、外の冷気が足首を撫でた。翼人の代表に案内され、俺たちは中央の席へ通される。翼持ち用の高い腰掛けと、翼のない客人用の低椅子が並んでいた。
白い外套の女が、ひとつ前へ出る。
髪は腰に届く金色で、翼は白銀。顔立ちは整い、額には緑の紋――風紋というらしい――が刻まれている。見回すと、他の翼人たちの額にも大小の紋があり、種としての特徴だと知れた。
「私は灯巫のアウリア。この里の政と祭を預かる者です」
抑えの効いた、よく通る声だった。役名と装束、立ち位置から見て、司祭職に相当する役だ。先ほど先導していた代表よりも上位と分かる所作である。
こちら側の主が俺だと判断したのだろう、視線が集まる。
「ノエルだ。緊張を持ち込んだ。すまない」
「まずは私どもの非礼をお詫びします。……とはいえ、我らにも聖獣様をお守りする務めがありました」
「事情は理解できる。知らせもなく訪れたこちらの落ち度だ」
アウリアは短く頷き、表情をわずかに和らげた。少なくとも、形式上の謝意と理解は交わされた。
「それで――聖獣様は、どちらに」
「ん」
ミコトが俺の前から一歩進み出る。白い巡礼服に小さな角。金の瞳が灯心のように澄んでいた。
アウリアはその場で膝をつき、翼を畳んで胸の前で両掌を合わせる。先頭の膝が落ちると、後列まで連鎖した。会所に衣擦れだけが走る。これが彼らの最大礼なのだろう。樹脂灯の火がいっせいに揺らめき、張りつめていた空気が澄む。
「聖獣ミコト様にお目にかかれたこと、至上の喜びにございます」
俺は椅子に浅く腰を下ろし、正面のアウリアへ向き直る。
「ひとつ教えてほしい。聖獣っていうのは、何だ?」
「古伝の語りでは――聖女ルミナと共に闇を打ち払った御方。その後、翼座――聖獣様が封じられていた台座にて眠りについたと伝わっています」
「ルミナって、ルミナ教の“あの”聖女ルミナ? 聖獣の話は……儀礼の注記に一行触れていたくらいね。亜人とかかわる伝承は聞いたことがないわ」
フレデリカが首を傾げる。この中でいちばんルミナ教に通じている彼女がそう言うのなら、人間側では聖獣はわずかな言及にとどまり、亜人との結び付きは伝わっていないのだろう。
アウリアはフレデリカへちらりと視線を送り、続けた。
「永い年月が経っておりますので、地上の伝は削がれたのかもしれません。少なくとも、この里ではそのように伝わっています」
エルミアが小さく手を挙げる。
「その古伝は、文書で残っていますか?」
「口伝が主です。我らは聖獣様が目覚めるその日を、代々見守ってきました」
そこでアウリアが言葉を改める。
「それで……失礼ですが、あなたがたは聖獣様と何か関わりが? お目覚めと皆さまの来訪が重なったのは、偶然とは思えません」
「それが、こちらにもさっぱりでね。聖獣――ミコトに聞いても分からない」
「ミコトはミコト。ノエルはノエル」
ミコトが短く告げる。説明を重ねる意思はなさそうだが、少なくとも曖昧な嘘はない。
「……なるほど。古伝にも“時満ちて目覚める”とあります。きっと今がその時だったのでしょう」
アウリアが姿勢を正し、俺を見た。俺はうなずき、ふと思いついたことを口にする。
「そういえば、王都に“聖女”が現れたという話がある。それと関係があるのかもしれない」
フレデリカが苦い顔で目を伏せた。彼女が追放される遠因でもあるが、ここで言葉は挟まない。
アウリアは少し考え、素直に首を傾げる。
「王都……長くこの地から離れておりません。どのような場所なのですか?」
「主に人間族が暮らす大きな街。……ここより数百倍の人間族がいると思って。果てまで屋根が連なるほど、と言えば近い」
フレデリカが簡潔に答える。
「数百倍……想像が及びませんね」
周囲の翼人たちが小さくざわついた。
「とはいえ、我らも昔日に比べれば衰えました。そのせいもありましょう」
アウリアは一瞬、遠い目をする。すぐに切り替えて口を開いた。
「本日はもう遅い。今夜は客人として、よろしければここに滞在を。明朝、改めて話し合いの場を設けます。滞在と情報の交換、そして――聖獣様の安寧について」
「助かる」
そこでひと区切りがついた。
アウリアが合図すると、若い翼人が盆を運んでくる。薄い木杯に注がれた温い樹脂茶だ。
「翼人の伝統の飲み物です。よろしければ」
まずはセシリアが口をつける。彼女が視線で“問題なし”と伝えたのを確認してから、俺も一口含んだ。渋みの奥で、喉がすっと通る。
「ひとつ確認。外へは、自由に出てもいいか?」
一応の確認だ。出歩くつもりは薄いが、軟禁でないことは知っておきたい。
「翼座の奥以外でしたら。そこは明日、ご案内いたします。……警戒ではなく、古い定めです」
「了解した」
俺は杯を置き、ミコトを見る。どうやら退屈していたらしく、燃える樹脂灯に指先を向け、灯心へふっと息を吹いて遊んでいた。
「ミコト」
「おなか、すいた」
アウリアが小さく笑い、すぐ真顔に戻る。
「ささやかですが、軽い食事をご用意します」
そう告げて立ち上がり、他の翼人たちへ手短に指示を出し始めた。
「……なんとか話ができそうで良かったな」
俺はフレデリカたちに声をかける。
「そうね。理性的で、話の通じる相手。ミコトの件は気になるけど……」
フレデリカが答え、セシリアが続けた。
「そうですね。王都にいた当時、“聖獣”が話題に上ることは稀でした」
「聖獣の護りを亜人が担っていた――そこも引っかかります。聖女は人間族の繁栄の象徴と認識しているので」
エルミアも淡々と指摘した。
分からないことだらけで俺たちは首を傾げた。
「まあ何にせよ、一旦休もう。明日、詳しい話が聞けるらしいし」
今日は朝から出来事続きだ。夕食を済ませたら、早めに横になろう。




