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追放令嬢と異種族と、辺境領で理想の国づくりを始めました  作者: 宵宮ミレ
第3章「灯巫と白き一角」

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49話「聖獣―ミコト―」

 フレデリカの声が、断崖の空気を震わせた。


「ノエルっ!」


 その直後だ。


(――ノエル……?)


 胸の奥に、やわらかな声が落ちてきた。耳ではない。意識に、直接。


「……いまの、聞こえたか?」

 

「はい。頭の中に、直接……」

 

「なんだ、これ……」


 三人――フレデリカ、エルミア、セシリア――それから上段の桟道にいた翼人たちまで、同時にざわつく。


 そのときだ。居住区の奥、板屋根と桟道が折り重なる一帯の向こうから、淡い光の柱が立ち上がった。白だけではない。虹をひそませた光が、断崖の冷気を押し広げながら昇っていく。


「あの方角……翼座か!?」

「一体、何が――」


 翼人たちが顔を見合わせ、「翼座だ」と慌てて名を呼んだ。俺には聞き慣れない語だが、奥で“何かが動いた”ことだけははっきり分かる。


 光がふっと褪せ、白い影が跳ね上がる。屋根と屋根のあいだの空を、見えない段を踏むように駆けてくる。蹄は空を打っているはずなのに、乾いた等間隔の響きが返ってきた。額に短い一本角をもつ純白の馬――鬣には淡く虹が差し、目を奪われる。


 羽根はない。けれど落ちない。空気が支えているのか、あれ自身が足場を生むのかは分からない。ただ、一直線にこちらへ向かってくるのは確かだった。


「あれは、聖獣様――!? 封印が解けたのか!」


 上段で弓を構えていた翼人の一人が声を裏返す。矢先は下がり、弦は引かれない。「聖獣」という単語が、里にとって特別であることを一瞬で理解した。


 白馬は俺の前で止まり、鼻先をそっと寄せてくる。温い息が頬に触れた。角の根が、カシャンと小さく鳴る。金具を合わせたような、癖のない澄んだ音。短かった角が一節だけ伸びて止まり、俺の頬をやさしく押した。


 敵意はない。俺はゆっくり手を上げ、額に触れる。滑らかな毛並みの下で、角の根がわずかに脈打っていた。


「……」


 白馬の耳がぴくりと動き、こくりと頷くように首が揺れる。次の瞬間、輪郭が淡くほどけて形が入れ替わった。一拍。そこに立っていたのは白髪金眼の少女――角は飾りのように小さく残り、白の簡素な巡礼服。見た目は十歳前後だが、立ち姿は妙に整っている。


 目の前で馬が人へと変わった。思考が一瞬、空白になる。


 少女は鼻をすん、と鳴らし、俺の胸元に頬をすり寄せた。子どもの体温が、そのまま伝わる。支えるように手を添えると、袖口を小さくつままれた。


「ノエル! ノエル!」


 あまりにもまっすぐで、息がこぼれる。


「……君は?」


「ミコトだよ」


「俺のことを知っているのか?」


「知ってる。けど、知らない」


 それ以上は言わない。問い直すより早く、ミコトは顔を上げ、フレデリカの方へ向かった。フレデリカは姿勢を崩さない。ミコトは彼女の手の甲をくんと嗅ぎ、頬を軽く押し付ける。フレデリカの口元が、ほんの少しだけ和らいだ。


「……こ、こんにちは?」


「……ん」


 続けてエルミアにも頬を寄せる。エルミアは「問題ありません」と短く告げ、指先で一度だけ頭を撫でた。セシリアへは視線だけを送り、すぐ俺の隣へ戻ってくる。誰に、どこまで近づくか――距離の取り方がはっきりしている。


 上段の翼人たちは、音を立てずに矢を外した。肩が一斉に落ち、投槍が下がる。誰も次の矢を番えない。


「聖獣様……本当に……?」


「封が……いや、奴らはいったい……」


 ざわめきが広がる。戦意が抜けていくのが分かった。


 ミコトが俺の袖を軽く引く。そこで甘えた気配がすっと切れ、金の瞳が静かに細まった。幼い表情が引き、場を測る冷ややかな静けさが前に出る。空気が一段、締まる。


 彼女は上段の翼人たちを見回し、角をわずかに傾けた。言葉はない。あれは挨拶だと分かった。


 羽を畳んだ男が一人、上段から降りてくる。先ほどこちらに警告を発していた代表格だ。弓を地に置き、両手を胸の前で組む。膝を折りたい衝動をこらえているのが、遠目にも分かる。


「……聖獣様。どうか、お言葉を」


 ミコトは男を真っ直ぐに見た。さっき俺に頬を寄せたときと同じ距離なのに、印象はまるで違う。甘さは消え、きっぱりとした静けさだけがある。角の根が、もう一度だけカシャンと鳴る。そして俺の袖をつまんだ指に、小さく力がこもった。


「ノエル、話す」


 ミコトが対話の機会を示したのだと理解する。俺はうなずき、代表の翼人へ視線を合わせた。


「先ほども言ったが、争いに来たわけじゃない。ただこの地を調査に来ただけだ。――そして可能であれば、友誼を結びたい」


 翼人は目を伏せ、深く息を吐く。背後で、何人かが武器を下ろす音が続いた。桟道の板がきしみ、吊橋の綱がかすかに鳴る。飲み込まれた息が、すぐ静まる。


 フレデリカが肩越しに囁く。


「どうやら、戦いは避けられたようね」


 エルミアは頷き、前面の風の結界を弱めた。セシリアは斜め後方で退路と足場を見守り、緩みは作らない。


 代表の翼人が顔を上げる。目の色に決意が戻っていた。


「……分かった。我らは天羽の民。この里に住む翼人族だ。まずは事情を互いに確かめよう。――武器を下ろせ」


 号令に従い、周囲の翼人が次々と弓を地に置き、投槍を束ねる。敵意は消えていないが、話す準備は整った。


「案内する。広場のそばに集会所がある」


「ああ、助かる」


 ミコトはもう一度だけ俺に額を預け、すっと一歩下がった。甘えの名残をそこにしまい、金の瞳だけが前を見る。


 俺は呼吸を整え、うなずく。ここからは、言葉の仕事だ。


 翼人の代表が踵を返し、内へ戻る道を示す。俺たちは互いに目配せして、その背に続いた。

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