48話「翼人族」
「――裂きます」
エルミアの指先が空を縫った。張り詰めていた光の縫い目が、糸切りで摘まれたようにほどけていく。耳にまとわりついていた反響が消え、風の音が戻る。
「まず俺が確かめる。少し離れてついてきてくれ」
万が一に備えて魔力で身体を固める。境の内側へ一歩。足裏の沈み込みはない。
振り向いて合図すると、フレデリカが視線で周囲を掃きながら続いた。セシリアはすぐ背後で探知を厚くする。杖の石突で地面を軽くなぞり、土の振動を拾っているのが分かる。
「今のところは何もなさそうだ」
「こちらが入ったことは、おそらく伝わっています。慎重に」
エルミアが低く言う。
うなずいて前進。ここから森は密度が落ち、下草が薄い。踏み跡はないが、肩幅ほどの通り道が斜め右へ延びていた。意図して刈り払った獣道に近い。俺は歩幅を一定に保ち、退路の感覚を頭に刻む。フレデリカは時刻と方位を板札に記し、白布を枝に結んでいく。
低木帯を抜けた瞬間、視界が開けた。正面は深い断崖。目がすくむほどの落差がある。岩肌の中腹から上にかけて段々のテラスが穿たれ、人が二人並べるくらいの幅の桟道が水平に走っている。
テラスの縁には木と石で組まれた家々が棚に張り付くように建ち、さらに上には見張り小屋。桟道の途中には吊橋が一本、こちら側の岩棚と向こうの村をつないでいる。橋板は大人の足幅ほどで、ところどころ板の間から下の空がのぞく。
支索は麻縄を油で固めたもの。滑車柱、干された布、壺列、壁面の杭穴。上段の屋根からは細い煙。気配は濃いのに、姿は見えない。
「……誰かが住んでいる里だな。……亜人か?」
「見られています。ご注意を」
セシリアが短く告げる。
「上段に複数の反応。動きが揃っています」
「防御魔法、準備しておくわ」
フレデリカが指輪に触れ、いつでも魔法を発動できるように備える。
最寄りの桟道へ進路を取る。右は断崖、左は手を伸ばせば触れる岩壁。ここで襲われたら厄介だ。歩幅を狭め、一列で落下防止を優先する陣に切り替える。
桟道に足を乗せ、等間隔に据えられた木杭と継ぎ目を確かめる。古いが手入れは良い。釘ではなく木栓で留め、木目の流れを合わせてある。人が常に手を入れている強度だ。
突然、乾いた木笛が上で短く鳴った。見張り小屋から白銀の翼をもつ影が複数飛び立ち、俺たちの上空でホバリングする。
「翼人族!? また珍しい種族ね」
フレデリカが小さく息を呑む。流石、物知りだ。
翼人族の代表格が一歩進み、短く言い放つ。
「ここは天羽の民の里。外の者が来てよい地ではない!」
別の翼人が続けた。「人間族、立ち去れ!」
白銀の羽が光をはじく。顔の骨格は人に近いが、目は鋭い。反りの強い短弓、白灰の矢羽。矢束の様子から、まだ数度は撃てる。俺は両掌を見せ、距離を保ったまま声を返す。
「争いに来たわけじゃないんだ。話せるなら――」
「退け!」
被せてくる。対話の余地はない。
次の瞬間、桟道の俺の数歩先に矢が突き刺さった。板がはね、木片が散る。警告矢だ。足を止めさせるには十分。
「話を――!」
言い切る前に再度の弦音。今度は胸を正確に狙った射撃。一息で詰められるかどうかの間合いだ。回避だけでは捌ききれない。
「気をつけろ!」
エルミアが詠じる。
「受け流します、風壁!」
彼女の前に透明な弧が立ち、矢筋が上へ撥ねた。一本は俺の肩口で逸れ、一本は岩壁に刺さり、一本は足元で跳ねた。風の余波で木の足場がきしむ。
「セシリア、足場強化できるか?」
「承知しました」
杖の石突が鳴る。桟道の継ぎ目に補助結界が走り、きしみが止まった。踏み抜きの危険が減る。
上空の二人は弓をつがえ直し、手元で合図。投槍を構えた翼人が一つ前に出る。俺は一歩前へ。強化を厚くし、的を広げる。狙いを俺に集めるためだ。
「もう一度言う。俺たちは話に来ただけだ。敵意はない」
代表は目を細め、短く吐き捨てる。
「立ち去れ!」
聞く耳は持たない。俺は膝を柔らかくし、前傾で重心を置いた。フレデリカは俺の半歩後ろで魔法を維持。エルミアは風の弧を人二人分へ広げ、セシリアは足場補助を重ねる。
「人数は?」
と、俺。
「桟道に二、上段に三、上空に二。交代が早い。矢筒から見て、まだしばらくは撃てそうです」
セシリアが冷静に囁く。
「風、厚くできるか」
「できますが、長くは持ちません」
とエルミア。
「十分だ。――フレデリカ、エルミアが切れたら防御を交代できるか?」
「了解。準備はできてる」
口笛。桟道の端、こちら側の板に手が伸びる。切り落として孤立させるつもりだ。顎で合図。セシリアが板の根を硬化で固定。簡単には落ちない。
「相手の攻撃はいなす。反撃はまだしない。受けきったら退却も視野だ」
「承知しました」「分かりました」「任せて」
俺は右手を少し広げ、掌を見せる。武器を抜いていないことを、明確に。代表の視線が一瞬だけ揺れる。だが躊躇は短い。上空組が角度を変え、高度をわずかに下げた。次は足元狙いで落とすつもりだ。
「足を狙ってきます」
とセシリア。
「風、いけます」
とそれを聞いたエルミアが詠唱する。
短く息を吐き、肩を落とす。胸の前で手を広げたままわずかに踏み込む。間合いを詰め、狙いを狂わせる。もし風を貫かれても俺が受け止められる位置。
木笛が二度。空気が張る。影が動き、弦音が連続。矢羽の振動が耳に入った。
(来る!)
顎を引く。
足元を狙う矢は、エルミアの風で角度が跳ね、岩壁に刺さって軸が折れた。
「次、投槍、来ます」
セシリアが囁く。
「了解。次は俺が受ける」
投槍がまっすぐ胸へ。強化した視界なら軌道は読める速さだ。左手で柄の中ほどを掴み取り、右手で回転を殺す。衝撃が掌に抜け、金具が唸る。上段の翼人が、はっきり驚いた顔をした。
「最後の斉射、来ます」
「最後、フレデリカに任せる!」
「了解、いくわ!」
矢が放たれるのと同時に、フレデリカが詠じる。
「爆焔障壁!」
炎の膜が前面に立ち上がり、矢はことごとく燃え尽きて断崖の底へ落ちた。
代表が短く舌打ちする。俺は視線を逸らさず、声を張る。
「俺たちは話に来た。交渉の窓口がいるなら出してくれ。ここで矢を射ち合っても、双方に得はない」
「立ち去れ!」
同じ返答。だが、さっきより間があった。
上段の別の影が内側へ走る。報せに走ったか、誰かを呼びに行ったか。いずれにせよ、少し時間ができた。
「フレデリカ、持つか」
「まだ余裕」
「エルミアは」
「一息つけました。いくつかなら確実に」
「セシリア、足場は?」
「固定維持。負荷は許容内。落下の危険は低いです」
「よし。――じりじり後退する。ここは足場が悪すぎる」
俺たちは前を向いたまま少しずつ後退する。目を離さない。すると代表が痺れを切らしたのか、声を荒げた。
「コソ泥どもめ、簡単に帰れると思うな」
槍を構える。同時に魔力の気配。代表は槍を突き出すように構え、体を一直線にする。自分を一本の槍にする構えだ。次いで、光の粒が羽根の縁から走り、全身が淡く縁取られる。
「――光翼貫!」
羽ばたきが一度。圧縮された光が推進力に変わり、代表が一直線に俺の胸元めがけて突っ込んでくる。桟道の幅は人が二人すれ違えるかどうか。横逃げの余裕は少ない。
覚悟を決めるしかない。
「ノエル!!」
フレデリカの焦った声が背から飛ぶ。
俺は――




