45話「王国騎士団 団長の息子、ロイ③」
屋敷裏手の訓練場に出ると、昼下がりの陽が赤土を照らし、地面からじわりと熱気が立ちのぼっていた。
広い場内の周囲には、俺たちを取り囲むように見物人が集まっている。視察団の役人たち、屋敷の使用人、そしてフレデリカとエルミアの姿もあった。
向けられる視線のほとんどは、俺ではなく、向かいに立つ長身の男へ注がれている。
ロイ・アーデン。
身長は軽く一九〇は超えている。手には金細工が施された豪奢な剣、腕には魔道具らしき腕輪。体格と装備、そして余裕たっぷりの笑みが相まって、威圧感は十分だ。
対する俺は素手。武器は持たない。――持つ必要がないからだ。
「おいおい、剣を買う金もないのか? 素手で立ち向かってくるとか正気の沙汰じゃねえな。……悪いが手加減はしてやらねえぞ」
無手の俺を見下ろし、ロイが鼻で笑う。まあ、普通はそう思うだろう。
「ああ、むしろ手加減したなんて言われるほうが困る。全力で来い」
挑発気味に返すと、ロイの目尻がわずかに吊り上がった。……単純だ。
その時、フレデリカが一歩前へ出て、小声で言う。
「無茶はしないで」
すぐ横でエルミアも、鋭い眼差しを向けながら続ける。
「ノエル様なら問題ないと思いますが……油断はなさらず」
俺は二人を一瞥し、「任せろ」と短く返した。余計な説明は不要だ。俺は勝つ――それだけだ。
互いに間合いを測りながら、俺は口を開く。
「ひとつ確認したいんだが、これはお前と俺の“私的な決闘”ということでいいな?」
ロイが眉をひそめる。
「は? どういう意味だ」
「お前が負けた後、嫌がらせで、事実無根の報告を王都にされても困る。だから今回は視察団の立場じゃなく、“ロイ・アーデン個人”として受けてもらう。……まあ、お前が勝てば済む話だ」
一瞬、ロイの口元がぴくりと動く。次の瞬間には、あからさまな嘲笑へ変わった。
「てめえ、辺境の田舎者ごときが俺に勝てると思ってんのか? ……上等だ、それでいい。お前を女どもの目の前でボコボコにしてやる。泣いて許しを請うまでな」
ゲラゲラと下品な笑いが訓練場に響く。取り巻きの役人たちも同調し、俺の勝利など微塵も考えていない顔をしている。
……好きに笑っていろ。
その笑いが消えるまで、そう時間はかからない。
* * *
「始めッ!」
取り巻きの一人が高らかに声を張り上げた瞬間、俺は静かに息を整え、体内に魔力を巡らせる。――まずは三割程度。皮膚の表面で魔力が揺らめく程度に抑えた。
対するロイは、にやりと笑いながら腕輪に触れる。淡い橙色の光が走り、魔道具が低く唸りを上げて起動する。
「派手にいくぜ! 地裂走ッ!」
剣先が赤土の地面を叩く音と同時に、大地が爆ぜ、蛇のようにうねる亀裂が俺の足元へ向かって走る。土煙と振動が足裏を揺らし、踏み込みのバランスを崩そうとしてくる。
――遅い。俺は一拍置き、亀裂の進路を見切って軽くステップする。
その瞬間、ロイの口角が上がった。狙っていた動きだったようだ。
「岩槍突!」
ロイが地面に拳を叩きつけると、避けた先の足元から鋭い岩槍が三本、矢のような速度で突き上がる。最小限の動きでかわす。背後で岩槍が砕け散り、破片が地面を叩く乾いた音が響く。
「ほう、避けるかよ。勘だけは良いようだな。じゃあ、これはどうだ! 砕土衝!」
ロイの剣が横薙ぎに振り抜かれ、その軌跡から拳大の土塊が弾丸のように飛び散った。盾もない人間に直撃すれば骨が砕ける威力だ。体をひねり、土塊の群れをすり抜ける。だが、ひとつが頬をかすめた。
「おおっ、ロイ様やっぱり強ぇ……!」
「やっぱ辺境の領主なんざ相手にならねえな!」
観衆のざわめきが耳をかすめる。ロイはその反応に気を良くしたのか、さらに距離を詰めてきた。
「今度は剣で行くぜ! 身体強化!」
ロイの体表が淡く赤く光り、膨れ上がった筋肉が服越しにも分かるほど張り詰める。振るうたびに大剣が空気を裂き、地面が抉れ、衝撃が土を伝って足裏を揺らす。
剣速は確かに速い。力も重い。俺は紙一重で刃を避け続け、魔力で筋肉の反応を補助し、最短距離で軌道をずらす――だが攻撃には転じない。
観衆の視線は完全にロイへ向き、俺はただ逃げ回っているようにしか見えていないはずだ。
「ははっ! 逃げ回るだけかよ、腰抜けが!」
嘲笑混じりの声が訓練場に響く。……まだだ。こいつの呼吸、足運び、剣の振りの癖――全部、頭に叩き込むまでは動かない。
* * *
ロイの剣が横を掠め、耳元で風が鋭く唸った。……見えてきた。
腕の振りは完全に力任せ。重さはあるが、その分だけ軌道の修正が遅れる。肩から先が大きく開くせいで、攻撃の直後には必ず半歩の隙が生まれる。
さらに、感情が昂ぶると間合いの詰め方が乱雑になる。足運びも粗くなり、剣速こそ上がるが制御は効いていない。呼吸も徐々に荒く、胸板が大きく上下しているのが見て取れた。
(……力に振り回されている)
確信に変わった瞬間、自然と口の端がわずかに上がる。ここからは、仕掛けるための準備だ。
あえて半歩下がり、視線を逸らさずに挑発を投げつける。
「その程度か? やっぱり見た目だけの張りぼてじゃないか」
わずかな間の後、ロイの顔がみるみる真っ赤に染まる。こめかみの血管が浮き出し、歯ぎしりの音が聞こえそうなほどだ。
「こそこそ逃げやがって……それでも男かよ!」
怒声とともに、大振りの連撃が襲いかかる。その一撃一撃が地面をえぐり、土煙が舞い上がる。
観衆の中からも「やばいぞ……」という小さな声が漏れた。フレデリカは息を呑み、エルミアは眉を寄せて成り行きを見つめている。
――狙い通りだ。
* * *
(まあ、力に振り回されてるのは俺も同じか)
そう自嘲しつつ、意識を一点に研ぎ澄ます。
筋肉、神経、感覚器……全身を細胞単位で強化するイメージを描き、体内の魔力を一気に解放した。
瞬間、視界が鮮やかに切り替わる。飛び散る地面の粒、ロイの呼吸の間合い、踏み込む足の角度――すべてが手に取るように見えた。
淡く揺れるだけだった魔力が、意志に呼応して黒く染まる。あふれ出す熱が、全身の筋肉を一気に満たした。
「そろそろ終わらせてもいいか?」
軽く言ってみせると、ロイが鼻で笑い、目を細めた。
「何言ってやがる。まだ一発も食らってないぞ」
「ああ、そうだ――なっ!」
言葉と同時に地を蹴る。赤土が弾け、間合いが一気に詰まった。ロイが反射的に剣を振るう――だが、もうそこに俺はいない。
「……っ、チョロチョロしやがって!」
横薙ぎを紙一重でかわし、懐へ潜り込む。軽く拳を打ち込み、すぐ離脱。その一瞬の無力感に、ロイの眉間の皺が深くなる。
剣が再び唸るが、その下をくぐり抜けて背後へ回る。観衆がざわめき、何人かが「あれ……」と声を漏らした。
「くそっ……!」
苛立ちが声色ににじむ。剣をさらに振り回すが、すべて空振り。
「こんなもんか?」
背を向けたまま吐き捨てると、ロイの耳が真っ赤になる。
「この野郎……!」
怒りに任せ、ロイが地面へ剣を突き立てる。
「土壁生成!」
詠唱と同時に、剣先から土色の魔力が走り、彼の周囲に岩壁が勢いよくせり上がった。観衆から「おおっ」と声が上がるが、その隙間を一歩で抜け、再び正面に現れた俺にロイが息を呑む。
呼吸は荒く、踏み込みは雑になり、剣速だけが空回りしている。――限界だ。
ロイが最後の力を振り絞り、全力の上段斬りを繰り出す。大きく、重く、単調で――避ける必要すらない。
「力比べといこうか」
俺は踏み込み、強化した片手でその剣を正面から掴み止めた。衝撃が腕を走るが、びくともしない。
「……なっ」
目を見開いたロイの表情を、真っ向から見据える。まさか素手で剣を止められるとは思っていなかったのだろう。
「隙だらけだ」
そのまま胴へ渾身の回し蹴りを叩き込む。
鈍い衝撃音とともに、ロイの巨体が数メートル吹き飛び、背中から地面へ叩きつけられた。白目を剥き、完全に沈黙する。
訓練場が水を打ったように静まり返る。俺は一歩前へ出て、低く言い放った。
「これで……白黒はついたか?」
その言葉に、誰一人として反論する者はいなかった。
* * *
俺は深く息を吐き、体内の魔力を収束させる。身体強化が解け、筋肉の熱もゆっくりと冷めていった。
赤土に倒れたままのロイが、低く呻き声を漏らす。やがて重たいまぶたを開け、真上から見下ろす俺と目が合った。
「どうした、もう終わりか?」
わざと淡々と告げる。ロイは悔しげに顔を歪めるが、痛みで立ち上がれず、取り巻き二人に肩を支えられながらよろよろと起き上がる。
「……畜生、覚えてやがれ!」
吐き捨てるように言い残し、ふらつきながら背を向ける。
「――約束、忘れるなよ」
その声にロイの肩が一瞬だけ揺れた。フレデリカとエルミアの前で完全に面目を潰された形になったのは、本人が一番分かっているだろう。
視察団の役人たちは誰一人として声を上げず、気まずそうに視線をそらしていた。つい先ほどまでロイに同調して笑っていた者たちも、今は何も言えずに立ち尽くしている。
俺はその沈黙を背中で受け止めながら、フレデリカとエルミアのもとへ歩み寄った。
「まったく、男って血の気が多いわね」
フレデリカが肩をすくめる。
「ノエル様は、わたくしたちのために戦ってくれたのです。……私は嬉しいです」
エルミアが柔らかく微笑んだ。
「……まあ、悪い気はしないわね」
そう言いながら、フレデリカはほんの少し視線を逸らす。
「……ありがと」
照れながら、それでもはっきりとした声。
訓練場の張り詰めた空気が、ゆっくりとほどけていった。
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