44話「王国騎士団 団長の息子、ロイ②」
翌朝。冷たい空気が鼻を刺し、吐いた息が白く漂っては消える。
市場の通りには早くも屋台が並び、干し肉、焼きたてのパン、山盛りの根菜が籠に積まれている。金槌の音、包丁の小気味よいリズム、商人たちの呼び声──生活の音が折り重なり、辺境の朝はいつも通りの賑わいを見せていた。
俺は視察団を連れて通りの入口で足を止める。背後には、当然のように胸を張ったロイと、取り巻きの役人たちが控えていた。
「こちらが市場です。右手が加工品の区画、左手に生鮮。奥には職人の作業場があります」
案内の声に気づき、近くのパン屋の親父が大きく手を振る。
「ノエル様、おはようございます! 今朝の焼きたてですよ、ぜひ!」
俺が頷くより先に、ロイが鼻で笑った。
「ほう……辺境でもパンは焼けるのか。まあ、王都の物には程遠いだろうがな。どうせ飢えをしのぐ程度の貧相な味なんじゃないか?」
親父の笑顔が固まり、周囲の若い衆の顔から血の気が引く。ひとりが、堪えきれず前に踏み出した。
「なに言ってやがる。あんたが誰だか知らねぇが、うちの粉は――」
「やめろ」
短く制して手を上げ、若者の肩を押し戻す。力はごくわずかだが、視線だけは鋭く。
いま言い返しても、こいつの餌にしかならない──そう告げるつもりで目を合わせた。
若者は唇を噛み、悔しさを飲み込んで引き下がる。ロイはその様子を面白がるように口角を上げた。
「おいおい、事実を述べただけだぜ。お前ら、王都のパンを食ったことがあるか? ふわっふわで、口の中でとろけるんだぞ」
取り巻きの役人たちが、くすくす笑いを漏らす。俺は腹の底に沈んだ怒りを押し込み、言葉を飲み込んだ。
「こちらは王都からの視察団の方々だ」
短くそう告げ、職人たちを目で制す。楯突けば面倒になる──分かるだろう、と。
俺の意図を汲んでくれたのか、職人たちは悔しそうにしながらも引き下がった。
「次はこちらへ」
そう言ってから作業場へ移る。鍛冶場では若い職人が刃を研ぎ、染め場では女たちが布を絞っている。俺が説明を始めようとした、その瞬間──
「説明はいい。どうせ王都の規格には遠く及ばねぇだろ。……眺めるだけで十分だ」
ロイが手を振って遮った。
乾いた笑いが場に落ち、作業場の音が一つ、また一つと消える。
俺は振り返り、ロイの目だけを見据える。言葉は出さない。
ロイは肩をすくめ、「冗談だよ」と口にしたが、その声は冗談の温度ではなかった。
取り巻きの一人が鼻にかかった声で「王都では~」と自慢話を語り始める。
ロイはその合間に、昨日の続きのような軽い調子で口を開いた。
「そういや、フレデリカは第一王子に夢中で、婚約が発表されたときは天にも昇る気分だったらしいな。それがあんなふうに婚約破棄されて……挙げ句、辺境で見ず知らずの男に抱かれてる。……可哀想にな」
取り巻きが笑い、別の一人が耳打ちしてさらに笑いが広がる。
俺は一歩前に出て、低くよく通る声で告げた。
「……その話、やめてもらえますか」
ロイが振り返る。唇の笑みは崩れない。
「なんだ? お前、あの女に惚れてるのか? お前だって意図しない結婚だったろうに。……まあ、あんな上玉なら男としては大歓迎か」
下卑た笑い声が起きる。
俺は無言を貫いた。自分一人なら耐えられる。余計な騒動は起こさない。
何度も喉まで出かかった言葉を押し戻しながら、俺は視察を無理やり終わらせた。
* * *
昼過ぎ。市場や作業場の案内を終え、視察団を伴って屋敷へ戻ってきた。
本来ならここで本日の予定は終わり、解散するはずだった。
「さて、本日は――」
お疲れさまでした、そう切り出しかけた瞬間、ロイが鼻を鳴らす。
「終わりか? はぁ……辺境の領主ってのは随分楽な仕事だな。お前らが本当に働いてるか、この目で確かめてやるよ」
「いや、今日はもう――」
制止の言葉を最後まで言わせず、ロイは勝手に屋敷の奥へ踏み込んでいく。取り巻きの役人たちも面白がって後をついて行った。
舌打ちを堪え、俺も後を追う。
「お、ここか」
ノックもなく、政務室の扉が乱暴に開かれた。
そこではフレデリカが書類を広げ、エルミアと真剣な表情で相談していた。ランプの光に照らされ、二人の手元には未決の案件が積み上がっている。
突然の闖入に、二人の表情が固まった。
「……エルフ?」
ロイが目を細め、鼻で笑う。
「亜人じゃねぇか。おいおい、この屋敷はどうなってやがる」
部屋の空気が一気に張り詰める。エルミアは眉をひそめたが、言葉を返さなかった。
「やっぱ辺境は蛮族の住処だな……。フレデリカ、お前もすっかり染まっちまったか。部屋の中まで薄汚れた匂いがするぞ」
鼻をつまみながらロイが吐き捨てる。
「あなたっ――!」
フレデリカが鋭く声を上げかけたが、俺がそれを遮る。
「……ロイ殿、流石に言葉が過ぎます」
抑えていた気迫が無意識に滲み、ロイの動きが一瞬止まる。しかし、すぐに顔を赤くして言い返してきた。
「……テメェ、辺境領主ごときが俺に口答えするのか?」
「彼女は政務に協力してくれています。亜人ですが、能力は高く、信頼できる相手です」
「だから何だ? 亜人は亜人だろ。穢らわしいんだよ……ああ、そうか。わかったぞ」
口元がいやらしく歪む。
「フレデリカみたいに王都から追い出された恥さらしと、人間様に尻尾振って媚びる亜人のメス――そんな“はぐれ者”を二匹も囲ってるとはな。お前、よっぽどの好き者か」
ゲラゲラと下品な笑いが響く。取り巻きもそれに続き、部屋の空気をさらに濁らせた。
フレデリカは唇を結び、机の下で拳を握りしめている。
エルミアも表情を消して立っているが、耳の先がわずかに震えていた。
部屋の中の音がすべて遠のく。
笑い声だけが耳の奥で反響し、血が逆流するような感覚が走った。
――流石にラインを越えた。
喉の奥が焼けるように熱くなり、拳が勝手に固く握られる。
深く息を吸い、吐く。だが、怒りは消えなかった。
「……俺のことは好きに言え。だが、俺の大切な人たちを侮辱するなら――覚悟しろ」
声は低く、鋭い。視線は一切逸らさない。
「家族ぅ? 守る力もない辺境のお坊ちゃんが、粋がるなよ」
「……試して、みるか?」
「ノエル!」
「ノエル様!」
フレデリカとエルミアの声が同時に上がった。だが、もう止まらない。
「お前が見た目だけの張りぼてじゃないことを祈るよ」
取り巻きの何人かが「やばい」と呟き、後ずさる。
「……てめぇ、上等だ!」
ロイが怒声を上げ、指を突きつけた。
「舐めやがって……今すぐ決闘で白黒つけてやる!」
あえて間を置いて、俺はゆっくりと言い放った。
「……負けても、言い訳するなよ?」
「……っ!」
ロイの顔が怒りで真っ赤に染まる。緊張が限界まで張り詰め、部屋の空気が重く沈む。
「外に訓練場がある。そこでやろう」
互いから視線を外さぬまま、俺とロイは政務室を後にする。
廊下には二人の足音が荒々しく響いていた。
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