43話「王国騎士団 団長の息子、ロイ①」
秋も深まり、吐く息が白くなりはじめた頃、王都から「視察団が向かう」との知らせが届いた。
王都からの視察といえば、ろくな思い出がない。だが、領主として応じないわけにはいかない。
到着予定日の今日、先触れの報せを受けた俺は、フレデリカとともに屋敷の前で待ち受けていた。
やがて、きしむ車輪の音とともに視察団の馬車が敷地内に入ってきた。
停まった馬車の扉が開き、真っ先に降りてきたのは、大柄な青年だった。
短く刈り上げた金髪、百九十センチはありそうな長身。鍛え上げられた肩幅の広い体を、わざと見せつけるように胸を張っている。
視線は辺境の街や人々を上から下まで値踏みするように動き、領主を訪ねる者というより、まるで敵陣を睨む兵士のそれだった。
(……なんだ、この威圧感は)
立っているだけで場の空気が硬くなる。横に立つフレデリカが、その姿を目にした瞬間、小さく息を呑んだ。
「ロイ!? なんであなたがここに……」
「知り合いか?」
俺が小声で問うと、彼女は一瞬だけ視線を逸らし、短く答える。
「……同じ学園の生徒だったの」
ロイは、にやりと口角を上げながらこちらに歩み寄ってきた。歩幅は大きく、わざと足音を響かせて存在感を誇示している。
「レイフィールド領の視察があるって聞いてな。こんな辺境、普通は誰も来たがらないだろ? だから俺が志願してやったんだ。お前がどれだけ落ちぶれたか、直に確かめにな」
(……なるほど。筋肉で固めたような体に違わぬ、融通の利かない口と態度だ)
俺を完全に無視してフレデリカにだけ話しかける時点で礼儀知らずだが、口から出てくるのも救いがない言葉ばかりだ。
フレデリカは感情を見せず、ただまっすぐにロイを見返していた。
このままでは場が凍りつく。俺は一歩前に出て、努めて平静な声を出した。
「……遠路はるばる王都からようこそ。妻とは顔見知りのようですが、積もる話は後ほどゆっくりと。まずは視察の内容について、お話ししましょう」
口元だけに笑みを作り、視線は逸らさずに告げる。
――どうやら今日は、長くて面倒な一日になりそうだ。
* * *
視察団を屋敷に迎え入れたあと、簡単に予定を伝えた。
「本日は農地をご案内します。二日目は街の中を回っていただく予定です」
本来ならフレデリカも同行する予定だったが、俺はあえて外した。先ほどのやり取りからして、同席させれば不快な言葉を浴びせられるのは目に見えている。無駄な火種は最初から避けるべきだ。
屋敷を出ると、ロイは取り巻きの役人たちを数名引き連れ、当然のように先頭を歩いた。取り巻きと軽口を叩いていたが、ふいに俺の方へ顔を向けてきた。
「ノエル、って言ったか。……フレデリカ、どうだった?」
「どう、とは?」
「しらばっくれるなよ。あの女、抱いたんだろ?」
「…………」
「王都じゃ鼻につくくらいお高く留まってたんだがな。あんたにしちゃ、だいぶ“役得”だったんじゃねぇの? 学園じゃ憧れてる男子も大勢いたんだぜ」
ニタニタと歪んだ笑みを浮かべ、肩を小突いてくる。
(……下衆が)
胸の奥に冷たいものが流れ込む感覚を覚えながらも、無言で歩を進める。ここで感情をぶつけても意味はない。
やがて農地に着いた。視界いっぱいに広がる畑で、村人たちが収穫作業に励んでいた。誇らしげな笑顔を見せる彼らに、俺は今年の豊作の理由や作物の出来を簡潔に説明した。
だが――
「辺境の連中どもが、たまたま豊作? どうせ神の気まぐれだろ。来年はこうはいかねぇよな」
ロイは鼻で笑い、隣の役人と視線を交わしては薄笑いを浮かべる。村人たちの笑顔が消え、作業の手が止まった。
俺はゆっくりとロイへ視線を向ける。何も言わず、冷たい目で真っ直ぐに見返した。
「おお、そんな目で見るなよ。でも事実だろ?」
「……ええ。来年も豊作となるよう、全力で努めさせていただきます」
「そうそう、謙虚さは大事だぜ。まあせいぜい頑張れよ、辺境領主さん」
その口元に浮かぶ嘲笑は、空気よりもずっと冷たく感じられた。
* * *
夜。屋敷の広間に長テーブルが連なり、肉や魚、煮込み料理が皿を埋めていた。来客をもてなす宴だが、きっと王都ほどの豪華さはないだろう。
俺とフレデリカは視察団の面々の前に立ち、まずは挨拶を述べた。
「遠路はるばる、レイフィールド領へようこそ。質素なもてなしではありますが、どうぞ楽しんでいただければ幸いです」
挨拶を終えると、立食形式の宴が始まった。俺は料理の減り具合や給仕の動きに目を配りつつ、視察団の様子を観察する。
ロイは到着時と変わらず胸を張り、取り巻きと笑い合っている。やがてその視線が、会場の端に控えていたフレデリカに止まった。
「……久しぶりだな、フレデリカ」
わざとらしいほど大きな声が広間に響き、周囲の話声が一瞬途切れる。ロイはにやついたまま彼女へ歩み寄り、わざと周囲にも聞こえる声量で続けた。
「お前ほどの才女が、こんな地に埋もれるとはな。……聖女様に楯突くからだ」
フレデリカは表情を変えない。だがロイは、それを沈黙と取ったのか、さらに言葉を重ねた。
「王都で聞いたぞ。婚約破棄されて、泣きながら辺境に流されたってな。……可哀想になぁ?」
その瞬間、広間の視線が一斉に集まり、酒の香りが薄まったように感じた。ロイは骨付き肉にかぶりつき、脂を滴らせた手で杯をつかみ、酒を一息に煽る。
「住み心地はどうだ? 公爵令嬢がこんな辺鄙な土地で苦労してるんじゃないか? ……王都が恋しいだろ。俺で良ければ慰めてやるぜ」
フレデリカはわずかに口角を上げ、静かに言い返す。
「……相変わらず口が悪いわね。体だけじゃなく、頭まで筋肉になった?」
ロイの目が一瞬細まり、すぐに口の端を吊り上げて笑う。
「ははっ、減らず口は健在か。……まあ、女はそれくらいがちょうど良い」
その一言がさらに場の空気を悪化させた。
俺は二人の間に入るように歩み寄る。少しでも矛先をこちらに逸らせたかった。
「妻とは学園でご一緒だったと伺いました。……どんな生徒だったんでしょうか?」
「こいつは公爵令嬢の名に恥じない優秀さだったよ。“灰燼”なんて呼ばれてチヤホヤされてたしな。まあ、純粋な剣術なら俺の方が上だが」
「あなたの力任せの一撃でお互いの木刀が折れただけじゃない……。あれは引き分けよ。それに魔法ありなら負けたことはないわ」
「そうそう、こんな感じで気が強かったんだ。それが鼻についてな。……だが、まさか聖女――リュシアちゃんをいじめるとは、女の嫉妬って怖いよな」
「……」
「なるほど。妻は昔から優秀だったのですね。この領地でも、その才を存分に発揮してくれていて大変助かっています」
「まあ、本来ならこんな辺境に収まる器じゃないからな。そりゃオーバースペックだろうよ」
「確かに、それはそうかもしれません」
「お前は気も力も弱っちそうだしな。……嫁の尻に敷かれてるんじゃないか?」
「……ええ、まあ」
ロイは酔いも手伝ってか、下品な笑い声を広間に響かせた。
(……本当に、救いようがないな)
多少はフレデリカへの矛先をそらせたものの、終始この調子では気疲れも倍増だ。
視察が一刻も早く終わることを願いながら、俺は人知れずため息をついた。
* * *
夜の宴が終わり、広間では給仕たちが片付けに追われていた。俺はフレデリカを伴い、静まり返った廊下を抜けて政務室へ向かった。扉を開けると、先に戻っていたエルミアが帳簿を広げていた。
ランプの灯りが書棚や書類を照らし、昼間の喧騒が嘘のように静かだ。
フレデリカは椅子に腰を下ろし、小さく息を吐いた。宴の最中も崩さなかった冷静な表情が、わずかに緩む。
「……ロイのこと、本当にすまないわね」
「フレデリカが謝ることじゃない。悪いのはあっちだ。……それより、君は大丈夫か?」
「ええ。心配してくれてありがとう」
エルミアが帳簿を閉じ、静かに口を開いた。
「……今年の視察団も、例年通りというべきでしょうか」
「ああ……でも、今年はさらにひどいよ。昼間の農地でも村人を笑ってたし、夜は好き放題だ」
「王都からわざわざ来てくださったのは事実ですが……真面目に視察を行う気がないのなら、ただの観光や嫌がらせと変わりませんね」
「まさしく、嫌がらせのつもりじゃないかしら」
フレデリカの声は冷ややかだった。
「彼、昔からああいう人間だったけれど……さらにひどくなってる気がするわ」
「……まあ、今日はなんとかやり過ごしたけどな」
ランプの炎を見つめる。炎の向こうで、ロイの嘲笑がちらついた。
(……明日もこの調子なら、穏便に済ませるのは難しいかもしれないな)
胸の奥に冷たい塊を抱えたまま、俺はゆっくりと息を吐いた。
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