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追放令嬢と異種族と、辺境領で理想の国づくりを始めました  作者: 宵宮ミレ
第2章「悪役令嬢、辺境に堕つ」

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42話「帳簿を閉じて、今日は隣を歩く③ sideノエル」

 ――ノエル視点


 玄関ホールの片隅で、俺は視察に誘ったフレデリカを待っていた。

 着替えを終えるまで、もう少しかかりそうだ。


 彼女が王都から身ひとつでこの地に来て、もう数か月になる。


 最初の頃は常に張り詰めた雰囲気をまとい、感情を外に出すこともなかった。境遇を考えれば無理もない。最近は少しずつ表情が和らいできたが……それでも、本心まではまだ読み切れない。


 だからこそ、今日は久しぶりに視察へ誘った。帳簿や報告書では分からないこの街の空気を、彼女自身に感じてもらいたかった。


 軽やかな足音が廊下から近づき、奥のドアが静かに開く。淡いラベンダー色のワンピースに身を包んだフレデリカが姿を現した。


 朝の光を受けて布地はやわらかく輝き、襟元のレースと帽子の縁飾りが上品に揺れる。


 ……思わず見とれて、口が勝手に動いた。


「似合ってるな」


 俺の言葉に、彼女はわずかに瞬きをして――


「……あら、ありがとう。きちんとそういうこと言えるのね」


「もちろん。貴族だからな」


 軽い皮肉を含ませた冗談に、俺も冗談で返す。フレデリカは唇の端をわずかに上げて言った。


「では、エスコートよろしくね、“旦那さま”」


「……ああ」


 そのやり取りの中に、以前にはなかった柔らかさを感じた。


 * * *


 屋敷を出て、フレデリカと並び、少し後ろにセシリアを伴って市場へ向かう。朝の通りはすでに人通りが多く、道端で声をかけられるたびに足を止めることになった。


「ノエル様! この前の畑、ついに芽が出ましたよ!」

「奥方様もご一緒なんですね、まあ……!」


 農作の進捗から天気の話、夕飯の献立まで、話題は尽きない。俺は一人一人の顔を見て笑顔で応じる。こういうやり取りは時間こそ取られるが、嫌いではなかった。


 ふと横目でフレデリカを見ると、彼女は少し戸惑いながらも短く「そうなの」「ええ」と返している。


 王都での距離を置いた付き合いとはまるで違うだろう。どちらが良いかは人によるだろうが、少なくとも俺はこっちの方が好きだった。


 フレデリカは、この街の人々の素朴さと距離の近さにまだ慣れきれてはいない様子だ。

 それでも、拒絶する気配はなく、自然に受け入れようとしているように見えた。


 市場までの道のりは短いはずなのに、話しかけられる回数の多さに思わず苦笑が漏れる。それでも、横を歩く彼女の足取りは、以前よりほんの少しだけ軽くなっていた。


 * * *


 市場通りへ足を踏み入れると、視界いっぱいに屋台の列と人波が広がった。


 ざっと見渡すだけでも、先月の視察時より屋台の数が増えているのが分かる。取り扱う品も肉、野菜、果物、加工品と幅が広がり、行き交う人の流れも以前より滑らかになっていた。


 歩きながら、頭の中で記憶している数字と照らし合わせる。屋台の増加率、商品の回転速度、通りの混雑具合――帳簿や報告書では拾えない情報が、現場には溢れている。


 通りの一角、ひときわ人だかりができている場所が目に入った。炭火で焼かれた蜜根芋の屋台だ。皮の端からとろりと蜜がにじみ、香ばしい匂いが風に乗って鼻をくすぐる。行列は道端まで伸び、手にした芋を頬張る客の表情は一様にほころんでいた。


(収穫量はまだ試験農場分だけだ。今年中に畑をさらに増やす必要がある。保存と流通の整備も同時進行だな)


 頭の中で優先順位を整理しながらも、領民たちの笑顔を見ると確かな手応えを感じる。


 ふと横を見ると、フレデリカが市場全体をゆっくりと見渡していた。物珍しさに目を輝かせているわけではなく、どこか確かめるような眼差しだ。


 マジメな彼女のことだ。きっと俺と似たような事を考えている事だろう。


(……こういう光景を、彼女にも見せたかった)


 少しでもこの環境に馴染んでくれれば――そんな思いを胸に、彼女の姿を見つめた。


 * * *


 人混みを抜けながら、領民たちからの声に応じていると、不意に前方から小さな子どもが駆けてきた。


 足をもつれさせ、そのまま転び、手にしていた果物が地面に落ちて弾ける。


「っ――」


 反射的に前へ出たが、間に合わなかった。赤紫の果汁が、フレデリカのワンピースの裾に小さく飛び散る。


 子どもの顔がみるみる泣きそうになるのが分かった。俺が声をかけるより早く、フレデリカがしゃがみ込む。


「大丈夫よ。これはただの布。洗えば落ちるもの」


 柔らかな声色でそう告げ、持っていたハンカチで裾の汚れを軽く拭う。続けて、子どもの小さな頭にそっと手を置き、安心させるように撫でた。


 その仕草に、子どもがぽつりとつぶやく。


「……おひめさま?」


 ――たぶん、淡いラベンダー色のワンピースやつば付きの帽子も、子どもの目には絵本の登場人物のように映ったのだろう。

 それに加えて、威張るでもなく、媚びるでもなく、自然に相手を受け入れる穏やかな所作。生まれや立場を知らなくても、そういう人間の気配を、子どもの感覚はすぐに察する。


 フレデリカは一瞬だけ考え、口元に微笑を浮かべる。


「実はそうなの。でもね、みんなには――内緒よ?」


 軽くウィンクした。その仕草は、俺がこれまで見た中で一番自然な笑顔だった。


 周囲からも安堵の息が漏れ、駆け寄った母親が何度も頭を下げる。フレデリカは「本当に平気ですから」と穏やかに返し、最後まで子どもの背を見送っていた。


(……こんな優しい彼女を追放するなんて、王都の連中は何を考えていたんだろうか)


 胸の奥で静かに吐き捨てる。ここ数か月で触れてきた彼女の人柄や考え方は、知れば知るほど好ましいとしか思えない。


 だが、それを口にするのは妙に気恥ずかしい。代わりに、照れ隠しのように短く言葉を落とす。


「……領民の反応は上々だな」


 口に出したのはそれだけだった。

 これ以上は、余計な感情まで滲み出しそうで言えなかった。


 * * *


 市場を一巡し、屋敷への帰路につく。


 今日の光景は、帳簿の数字よりも鮮明に頭に残っていた。


 ――特に“果汁事件”。


 裾を汚されても眉一つ動かさず、子どもを安心させるように微笑んだ横顔。あの落ち着きと優しさを、取り繕わずに出せる人間が、この世にどれほどいるだろう。


 フレデリカにとって、王都を追われ、こんな辺境に来たことは不幸な出来事だったかもしれない。

 だが、この街にとって、そして……俺にとっても、彼女がここに来てくれたことは、間違いなく価値のあることだった。


 歩幅を合わせて並ぶ距離が、以前よりわずかに近い。そのことに気づくと、口を開くまでに少し間があいた。


 頭の中には、もっと気の利いた言葉もいくつか浮かんだが、場違いに思えて、結局――


「……今日は付き合ってくれてありがとう」


 出てきたのは、それだけだった。


 フレデリカはわずかに目を瞬かせ、それからふっと目元を和らげる。


「……ええ、今日はいい気分転換になったわ。誘ってくれてありがとう」


 短いやり取りだったが、その笑顔は市場で見たどの景色よりも強く、鮮やかに胸に残った。


 今日の視察は有意義だった。


 数字には決して残らないもの――それは、確かにある。

お読みいただきありがとうございます!

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