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追放令嬢と異種族と、辺境領で理想の国づくりを始めました  作者: 宵宮ミレ
第2章「悪役令嬢、辺境に堕つ」

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40話「帳簿を閉じて、今日は隣を歩く①」

 ――フレデリカ視点

 

 朝の執務室には、紙の擦れる音と、ページをめくる静かな音が交互に響いていた。


 窓から差し込む光は柔らかく、淡い陽射しが室内の空気に温もりを与えている。


 ノエルは机に広げられた市場の視察記録に目を通し、時折ペン先で余白に何かを書き込んでいた。その横顔は真剣で、けれどどこか穏やかでもある。


 私はその向かいの席で、カップを片手に資料を眺めていた。温かな香りが鼻先をかすめるたび、緊張していた肩が少しだけゆるむ。


 エルミアもまた、背筋を伸ばしたまま几帳面に作業を続けている。朝のこの時間は、三人で過ごす静かな共同作業のようなものだった。


 そんな中、ノエルがふと思いついたように顔を上げた。


「今日、よければみんなで一緒に市場を見に行かないか?」


 突然の誘いに、私は思わず目を瞬かせた。


「……私も?」


 少しの間を置いて、ノエルは自然な口調で続ける。


「民の前に“誰が立っているか”を見せるのは、案外効くからな。それに……俺たちが作っている街を、たまには実際に見てみたくないか?」


 “俺たち”――その言葉が、胸の奥を微かに揺らした。


 ここに来たばかりの頃なら、きっと受け取ることすら拒んでいたと思う。でも今は、ほんの少しだけ。


 私はカップを置き、ゆっくりと頷いた。


「……分かった。行くわ」


 口にした瞬間、自分の中で何かが切り替わった気がした。


 王都にいた頃は、常に気を張っていた。誰にどう見られるか、どこで何を問われるか。公爵令嬢として、完璧でなければならなかった。


 けれど、この領地では――そうした仮面の必要がなかった。


 それが楽に感じる一方で、妙に落ち着かない。鎧を脱いだような無防備さに、どこか戸惑っている自分がいる。


 視線を横にやると、エルミアが静かに口を開いた。


「私は急ぎの要件があるため、視察には同行せず政務の処理を優先いたします。報告は後ほど」


「助かるよ。よろしく頼む」


 ノエルの返答に、エルミアは深くうなずき、すぐに手元の作業へ戻った。その実直さと手際のよさには、いつも感心してしまう。

 

 彼女が〈亜人〉かどうかは、もはや私には些末なことだ。隣で働く仲間として好ましい――種族で分けるより、彼女と並んで働けることのほうが意味があると、自然に思うようになった。


 私は立ち上がりながら声をかけた。


「外に出るなら、着替えてくるわね」


「ああ、準備ができたら声をかけてくれ」


 そのやり取りを終え、私は一度、自室へと戻った。


 扉を開けると、そこには私付きの侍女――セシリアが、いつも通り控えていた。


 外出の旨を伝えると、彼女は姿勢を崩すことなく、にこやかに一歩前へ出て言った。


「ではお嬢さま、お召し物をご用意いたしますね。外出なさるのでしたら、それなりの装いを」


 張り切った口ぶりに、私は思わず小さくため息をつく。


 言わなくても、きっともう何か用意していたのだろう。彼女は私を着飾るのを、どこか楽しんでいる節がある。


 けれど――それでも、今日は不思議と気が重くなかった。


 民と直接触れ合うこと。それが、ほんの少し、新鮮に思えたからかもしれない。


 * * *


 セシリアの選んだ服を身にまとい、私は静かに自室の鏡の前に立った。


 カーテン越しに差し込む朝の光が、部屋全体を淡く照らしている。絹のようにやわらかな光に包まれた鏡の中の自分は――どこか、ほんの少しだけ他人のように感じられた。


 私は両手でワンピースの裾をそっと整えながら、思わず声に出してしまう。


「……少し、浮かないかしら」


 背後に立っていたセシリアが、間髪入れずにきっぱりと答えた。


 「領民の前に出るのでしたら、威厳をお見せにならないと。お嬢さまは、“領主の奥方”でいらっしゃるのですから」


 その口調には、厳しさと誇りがにじんでいた。


 鏡越しに視線が合う。セシリアの眼差しは、いつもながらに真っ直ぐで、誠実で――そして、ときに少し張り切りすぎる。


 年齢は私とさほど変わらないはずなのに、彼女の言動はときにずっと年上のように頼もしい。


 けれどその一方で、まるで少女のような熱意や一途さを見せる瞬間があって――そういうところに、私は何度も救われてきた。


 それもまた、セシリアらしさだ。私はその真っ直ぐな気持ちに甘えている部分があることも、自覚している。


 見た目を飾ることが目的ではない。立場ある者として、どう見られるべきか――


 彼女は、私という人間を思い、真剣にそこまで考えてくれているのだ。


 だから、強く反論する気にはなれなかった。


 鏡に映る私は、王都での日々を思い出させるような“貴族の装い”に身を包んでいた。


 淡いラベンダー色のワンピース。軽やかな生地は光をほんのりと反射し、襟元には繊細なレースがあしらわれている。派手すぎず、けれど気品を損なわない絶妙な仕立て。


 ウエストには細いリボンが結ばれ、身体のラインを柔らかく引き立てている。


 足元には、ローヒールの編み上げブーツ。長時間の歩行にも耐えうる実用性を兼ね備えつつ、全体の調和を崩さない。


 そして頭には、陽射しを避けるためのつば付きの帽子。白いレースが縁をふわりと飾り、控えめに揺れていた。


 まるで王都の庭園で行われる午前の茶会にでも向かうような――そんな装いだった。


「……ずいぶんと、張り切ったのね」


 皮肉にも取られかねないその一言に、セシリアは胸を張って、堂々と答える。


「当然です。ホーエンヴォルン家の令嬢としての品格を損なうようなことは、このセシリアの目が黒いうちは決して許しません」


 その様子に、私は思わず笑みを堪えた。呆れと、微笑と、ほんの少しのあたたかさが混じったような感情が胸に広がる。


 私はそっと、帽子のつばに指を添える。影が目元に落ち、鏡に映る自分の表情がほんの少しだけ柔らかくなった気がした。


(……本当は、人に見られるのはあまり得意じゃないのだけれど)


 王都では、“視線”はいつも試験のようだった。見た目ひとつ、言葉ひとつで、誰かに測られ、値踏みされる。そんな緊張の中で、私は長年過ごしてきた。


 けれど――


(ここでは少し違うかもしれないわね)


 私はそっと息を吸い込み、セシリアの方を振り向く。


「……行きましょう、セシリア」


「はい、お嬢さま」


 背筋を伸ばし、私は扉に手をかける。


 今日はどんな一日になるのだろう――そんなささやかな期待を胸に、ノエルの待つ場所へと向かって歩き出した。


 * * *


 私とノエルが横に並び、セシリアが一歩引いた位置から静かについてくる。三人の足取りは揃って落ち着いていたが、その存在感は否応なく人々の目を引くものだった。


 ちなみに、この一行――ノエル、私、セシリア――は、市場視察における戦力として過剰だ。


 理由は単純明快で、この三人がそろって〈魔力を扱える〉存在だからである。

 

 人間種(ヒューマン)の魔力資質は、主として遺伝で伝わる。そのため、魔力を持つ者は限られた血筋にしか生まれず、例外的な覚醒は滅多に起きない。


 加えて魔力持ちの大半は貴族階級に属し、庶民のあいだで魔法を行使できる者はほとんどいない。

 

 そして魔力を保有しているだけで身体の丈夫さは桁違いに高まる。病気にかかりにくく、体内に巡る魔力の膜が外傷を減衰させるのだ。

 

 極端な例を挙げれば、無魔力の暴漢に不意打ちで刃物を当てられても致命傷にはならず、そのまま片手で制圧できるほどの力の差がある。

 

 ゆえに、一般的な街の治安維持において、魔法による対応が必要になる場面は稀だ。よほどの非常事態でも起きない限り、考慮されないのが常である。


 貴族である私とノエルが魔力を保有するのは当然として、私付きの侍女セシリアも、代々ホーエンヴォルン家に仕える家の出で、基礎的な魔法行使が可能だ。

 

 三人とも“有事に対応できる戦力”である時点で、この構成は過剰と断じて差し支えない。

 

 もっとも、貴族が揃って護衛もなく街を歩くわけにもいかないため、セシリアが“護衛役”という体裁で同行している。

 

 ノエルはというと、この地の暮らしにすっかり馴染み、普段から護衛は一切つけていない。領主然とせず、街に溶け込んでいる。


 少し歩くだけで領民から何度も話しかけられるところに彼の人望が見えた。そうして進んでいくと、やがて市場通りの入口が見えてくる。


 朝の光に照らされた通りには、すでに多くの人が集まっていた。屋台がずらりと並び、香ばしい匂いや甘い香りが入り混じって漂ってくる。通りを駆け回る子どもたちの笑い声と、商人たちの威勢のいい掛け声。通りの活気は、遠くからでも十分に伝わってくるほどだった。


 視線を巡らせれば、蜜根芋の屋台に特に人が集まっていることが分かる。


 炭火で焼かれた蜜根芋は、皮の端からとろりと蜜がにじみ、香りだけで食欲をそそる出来栄えだった。並んでいる人々の顔には期待が浮かび、焼き上がった芋を手にした瞬間にぱっと表情がほころぶ。


(……この地に来たばかりの頃に比べてさらに活気が増した気がするわね)


 政務を通じて数字上の発展は把握していたが、こうして肌で感じるものにはまた違った実感がある。買い物袋を提げて歩く人々、家族で食べ物を分け合う姿、品定めをして笑い合う声。それらは確かに、この街が“育ちつつある”ことの証だと感じさせた。


 蜜根芋の屋台の前には、特に子どもたちの姿が目立っていた。ほかほかの焼き芋を手にして頬張る顔は、どれも嬉しそうで、にぎやかな笑い声が途切れることなく響いている。


(……ノエルが「甘いものが食べたい」と言い出したときは、正直どうなることかと思ったけれど)


 当時は冗談半分かと思ったが、今ではこうして人々に受け入れられ、確かな成果を出している。


 蜜根芋の栽培が本格化してから、もうしばらく経つ。現在は試験農場で収穫できた分がある程度流通している程度で、市場に出回る量としてはまだ限られている。それでも、芋の甘みと保存性、成長速度、気候への強さ――どれをとっても優秀な作物だということは、実証され始めていた。


(畑の拡張も急がなければ。流通の整備と、他領への売り込みも並行して検討しておくべきね)


 そんなことを考えていると、近くから子どもたちの声が飛び込んできた。


「おいしい!」

「また買ってきて!」


 プリンのカップを片手に、跳ねるように笑う少女がいた。口元にソースをつけたままの無邪気な笑顔に、つい口元が緩む。


 このプリンも、蜜根芋からとれた砂糖を使って作られたものだ。見た目は王都の菓子よりずっと素朴。けれどその味は、王都の洗練された菓子にだって引けを取らない――むしろ素材の甘さが生きていて、私は個人的にはこちらの方が好ましいとすら思う。


 私たちは人混みから少し離れた位置で様子を見ていたが、徐々に周囲の視線がこちらに集まり始めているのを感じていた。


「ねえ、あれってノエル様の奥方じゃない?」

「すごく綺麗な人……」

「赤い髪の女の人なんて、初めて見たかも」


 声を潜めながらも、隠しきれない興味がにじみ出た声の数々。領主であるノエルの顔は、すでに街中で知られている。その隣を歩く女となれば、当然注目される。


 けれど、不思議と気にはならなかった。


 王都で浴びた視線は、常に値踏みと探りに満ちていた。


 だが今、自分に向けられているのは、ただの興味と好意と、ちょっとした驚きだけ。その違いが、肌を通じて分かる気がした。


 視線を前に戻す。


 甘い香り。焼き芋の湯気。子どもたちの笑い声。行き交う人々の会話。それらすべてが、今この瞬間の“この街の日常”を形作っていた。


 そして私は、その日常の一部として、今ここに立っている。――そんなことが、少しだけ誇らしく思えた。

お読みいただきありがとうございます!

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