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追放令嬢と異種族と、辺境領で理想の国づくりを始めました  作者: 宵宮ミレ
第2章「悪役令嬢、辺境に堕つ」

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39話「父と息子」

 静かな足音が、古びた木の階段に吸い込まれていく。


 昼下がりの屋敷は、いつにも増して静かだった。庭で鳥が鳴く声だけが、かすかに聞こえる。空気は澄んでいて、どこか張り詰めたような気配すらあった。


 そんな中、俺は無言で二階への階段を上っていた。


「……久しぶりに、父上とまともに話すかもしれない」


 自然と漏れた言葉に、自分でも少し驚いた。声に出した途端、胸の奥に、鈍くざらついたものが広がる。


「私も、結婚式の時以来ね。あれから忙しかったから」


 隣を歩くフレデリカが、変わらぬ調子で返してくれる。落ち着いた琥珀色の瞳が、こちらをちらと覗くように見上げていた。


 彼女は、感情の読み取りに長けている。こちらが言葉にしなくても、気づかれることが多い。……だからこそ、あまり気取っても意味がない。


「あなたも緊張なんてするのね」


 くすっと笑うその声に、思わず苦笑がこぼれる。


「息子と父親の距離感は、難しいもんなんだよ」


 そう答えた俺の声は、少しだけ掠れていたかもしれない。

 

 転生してこの世界に生まれてから、父との関係は──良くもなく、悪くもなく。ただ、どこか他人行儀だった。


 それは俺が“普通の子ども”ではなかったせいかもしれない。

 

 自分の中にある異質さが、父との間に小さな隔たりを作っていたように思う。あの人が何も言わなかったからこそ、余計に。


 罪悪感……というほどのものではない。けれど、距離を詰めるには、ずっと気後れがあった。


 それでも父は、俺の話をちゃんと聞いてくれた。


 領地をどうしたいとか生意気な理屈を並べても、咎めることはなかった。むしろ「好きにしろ」と、広い意味での自由を与えてくれた。


 ──勿論、諦めていただけかもしれない。


 この領地がどうあがいても変わらないと、そう思っていたからこそ、何も制限しなかったのかもしれない。

 

 でも結果として、俺はその自由に救われた。


 ……だからこそ、今の俺がいる。そう思うと、何とも言えない気持ちになる。


「病気の父の見舞いをするときに、何を話せばいいかなんて、わからないんだ」


 苦笑まじりの本音を吐いた俺に、フレデリカはふと足を止め、小さく首を傾げた。


「だったら、話すことは探さなくてもいいのかもしれないわ」


「……?」


「言葉じゃなくても、きっと伝わることがあるわ。特に、血のつながった親子なら」


 それは、どこか実感を伴った響きだった。彼女にも、きっと似たような想いを抱えた過去があるのだろうか。

 

 あえて聞くことはしないが、彼女の静かな強さは、そういう痛みの上に成り立っている気がした。


 俺は小さく頷いた。

 

 重いようで軽いような、そんな心持ちのまま、父の部屋の扉の前に立つ。


 ノックの音さえ、少しだけ迷いを帯びていた。


 * * *


 ノックの音が、静まり返った廊下に吸い込まれていく。


「……どうぞ」


 少し掠れた声が、中から返ってきた。


 俺は扉の取っ手に手をかけ、静かに押し開けた。微かな軋みとともに、空気がゆるやかに変わる。


 父──アベル・レイフィールドは、窓辺の椅子に腰掛けていた。


 光の射し込む部屋は、思ったよりも整っていた。父の机には数冊の本が積まれ、花瓶には色とりどりの花が挿してある。


 父は、以前にも増して痩せて見えた。

 

 白髪の混じる髪と、深く刻まれた目元の皺が、年齢以上の疲れを感じさせる。けれどその姿勢は、意地のように崩れておらず、手にした古びた本は、しっかりと指に挟まれていた。


 そして何より、こちらに向けられた眼差しは――穏やかだった。


「やあ……ノエル、久しいな。随分と立派になったか?」


 俺を見た父の口元に、静かな笑みが浮かぶ。声はやや弱々しかったが、そこには確かなぬくもりがあった。


 ――その笑顔を、俺はどれくらいぶりに見ただろうか。


「そんなすぐには変わらないよ。でも……立派かどうかはともかく、領主の責任は、日々感じてる」


 努めて自然な調子で返す。けれど、胸の奥が少しきゅっと縮んだような気がした。

 

 ここに至るまでの時間と距離を、無意識に数えてしまったせいかもしれない。


 隣に立つフレデリカが、一歩前へ出て、丁寧に頭を下げる。


「改めまして、お義父様。フレデリカです。ご挨拶が遅れてしまって、申し訳ありません」


 その姿はいつも通り凛としていて、気品に満ちていた。けれど今日は、どこか柔らかな気配を滲ませていた。

 

 それは彼女なりの、敬意の表し方だったのだろう。


 父はゆっくりと目を細めた。


「“嫁殿”か……」


 その言葉には、実感を噛み締めるような響きがあった。


「……こんな辺境ですまないね。王都育ちの君には、大変だったろうに」


 自嘲混じりのその声は、冗談めいているようでいて、深い後悔を含んでいた。この土地の困難さを、父は誰よりもよく知っている。

 

 そして、どうにもできなかったこともまた、理解している。


 だがフレデリカは、少しだけ口元をほころばせて言った。


「いえ。思っていたよりも、ずっと暖かい土地でした」


 その言葉に、父の目がわずかに揺れた。驚いたというより――何か、心の隙間に沁み込むような顔だった。


 社交辞令としてではなく、彼女の本心がそこに込められていたのを、父も察したのだろう。


「……そうか。それは、良かった」


 ぽつりと呟くように、父がそう言った。


 父の視線が、再び俺へと戻る。何かを言いかけたような気配があったが、結局そのまま口を閉じた。


 俺もまた、言葉を飲み込む。


 言いたいことがなかったわけじゃない。ただ、どれから切り出せばいいのか分からなかっただけだ。


 静かな沈黙が、部屋に落ちた。それはけっして、居心地の悪いものではなかった。


 むしろ、言葉を必要としない時間だった。


 * * *


 ――それを破ったのは、思いがけないほど軽やかな気配だった。


 ノックも前触れもなく、扉が勢いよく開く。


「おじいちゃん、きょうのおはな、これー!」


 両手いっぱいに花を抱えて、フィーネが飛び込んでくる。その声も、笑顔も、部屋の空気を一気に変えるほどに明るかった。


 俺は思わず目を見開いた。


「……フィーネ?」


「んー? あ、おとうさまもいる!」


 ぱっとこちらに気づいたフィーネが、小さく手を振る。そのまま迷うことなく、椅子に座る父のもとへと駆け寄っていった。


「今日も来てくれたか……」


 驚いたように見開かれていた父の目元が、次第にやわらいでいく。ぎこちなく、けれど確かに笑みが浮かんでいた。


「フィーネ、毎日ありがとう。本当に……ありがたいよ」


「うん! きょうはね、赤と白のまぜまぜー!」


 花束を誇らしげに差し出すフィーネは、小柄な体でテキパキと動く。

 

 花瓶の水を替え、茎の長さを丁寧に整えてから、新しい花を活けていく。

 

 椅子に少しよじ登るようにして、その小さな手が慣れた仕草で花の向きを整えている姿は、見ているだけで心が和む。


 次第に部屋には、ほのかでやさしい花の香りが広がっていった。


「おじいちゃんのへや、いいにおい〜」


「……ああ。フィーネのおかげで、毎日が明るくなる」


 その声は、まるで孫をあやす祖父のようだった。


 だが、俺はふと違和感を覚える。


「……毎日?」


「ん? うん。フィーネね、いつもきてるよ? おじいちゃん、よわいから、おはなでげんきにするの」


 何気なく告げられたその一言に、俺は思わず父の方を見る。


 父は少しだけ視線をそらし、肩をすくめた。


「……ああ。内緒にするつもりはなかったんだが、言いそびれてな。気がついたら……習慣になっていたんだ」


「……そうだったのか」


 知らなかった。

 

 フィーネが、そんなふうに誰かを想って動いていたことも。父が、それを拒まずに受け入れていたことも。


 俺の隣で、フレデリカが小さく息を呑んだ気配がした。何も言わなかったが、その横顔はどこか、やわらかく綻んでいた。


 そのとき、父がふとこちらに向き直る。


 その視線には迷いもなく、けれどどこか、遠くを見据えるような静けさが宿っていた。


「……正直なところ、昔はな。亜人なんて忌々しい存在だと思っていたんだ」


 静かな口調だった。ただ、素直な“振り返り”のような声音。


「この国の教えが、そうだったからな。血も違えば、言葉も違う。いつか牙をむくものだと……ずっと、そう思い込んでいた」


 フィーネは何も知らず、鼻歌まじりに花の位置を整えている。その無垢さが、父の言葉をより静かに沁み込ませていく。


「でも、そんなことはなかった。……無知とは罪なことだな」


 そう言った父の横顔は、どこか遠い記憶を手繰っているようだった。


「今は……考えを改めたよ。こんなふうに、心を和ませてくれる存在が傍にいるなんて、思ってもみなかった」


 そして、そっと目を細める。


「……ほんとの孫ができたみたいだ。フィーネを見ていると、活力が湧いてくるよ」


 俺は、せっせと花を生け続けるフィーネの小さな背を見つめた。


 たったひとりの少女の優しさが、人ひとりの価値観を変え、日々の光になっている――


 ふと視線を横に向けると、フレデリカと目が合った。


 彼女もまた、微笑んでいた。言葉は交わさずとも、その想いは確かに通じていた。


 * * *


「できたよー!」


 最後の一輪を差し終えると、フィーネは満足そうに花瓶を覗き込み、くるりとこちらを振り返った。


「おみず、いれてくるね!」


 ぱたぱたと軽快な足音を響かせながら、あっという間に部屋を出ていく。

 

 その姿が見えなくなった廊下の奥から、遠ざかる鼻歌が微かに聞こえた。


 扉が静かに閉じられ、再び部屋に静寂が戻る。


 けれど、さっきとは違っていた。張り詰めていたものが緩み、どこかふわりと、やわらかな気配が残っている。


 フィーネが活けた花の香りが、ほんのりと空気を染めていた。


「……変わったよ、この館も、領も」


 沈黙を破ったのは、父だった。窓の外へと視線を向けながら、懐かしむように言葉を紡ぐ。


「昔は荒れ放題だった。誰も目を向けようとせず、ただ“古くからのやり方”にしがみついていた」


 その声音には、懐古と悔いがないまぜになった静かな響きがあった。


「私も……私の父も、ずっとそうだった。変えようとすれば反発を受け、何もしなければ少しずつ壊れていく。わかっていても、どうにもならなかったんだ」


 父は椅子の背にもたれ、目を細める。


「……だがお前は、昔から違ったな。十にも満たないうちから、もう“先”を見据えていた。……どうしてそんな風になれたのか、今でも正直よく分からない」


 ゆっくりと目を開けると、まっすぐに俺を見る。


「私には、何もできなかった。けれど――お前なら、きっとできる。そう思ってる」


 それは祈りにも似た言葉だった。失われた希望を、自分ではなく次に託す、静かな覚悟の表れ。


 父の視線が、今度は隣に立つフレデリカへと向けられる。


「嫁殿……君も、来たくてこんな辺境に来たわけではなかっただろう」


 フレデリカは、その問いかけに言葉を返さなかった。けれど否定もせず、ただ真っ直ぐに父の目を見返す。


 沈黙の中、その意思はしっかりと伝わっていた。


「それでも、こうしてノエルの隣にいてくれる。本当に、ありがたいと思ってるよ」


 父は、小さく笑った。


「……こいつは少し照れ屋でな。きっと本人の口から感謝の言葉なんて、そうそう聞けないだろう。けど、ちゃんと感謝してる。……私には分かるよ」


 思わず、口を開きかけて……やめた。反論するのも、肯定するのも、なんとなく気恥ずかしくて。俺はただ、小さく息を吐いて、目を伏せた。


 父はさらに肩の力を抜いて、ため息まじりに言った。


「嫁殿……ノエルのことを、どうか頼む。昔から夢中になると一直線で、まわりが見えなくなるやつでな。悪気はないんだが」


 フレデリカがくすっと微笑んだ。


「ええ……承知しておりますわ」


 そして、ゆっくりと膝を折り、まっすぐに頭を下げる。


「この地と、あなたの息子を守れるよう、努めさせていただきます」


 その静かな言葉に、父は穏やかに頷いた。


「……ああ。任せたよ」


 少し掠れた声だった。だが、その奥にある安堵の色は、はっきりと感じられた。


「もう……私の役目は終わりだ。最近は体も思うように動かんしな。……身勝手で済まないが、あとはお前たちに託す」


 静かに、そして自然に語られたその言葉は“時代の継承”だった。


 俺は小さく息を吸って、言葉を探すように目を閉じる。


 そして――口を開いた。


「……まだまだ、この領を発展させていくつもりだよ」


 父が、少しだけ目を見開き、笑ったように目を細める。


「……しっかり見ていてくれ、父上。あなたが守ってきた土地が、どんなふうに生まれ変わっていくのかを」


 その声に、父はゆっくりと目を閉じた。


 どこか満ち足りたような、静かな微笑が、口元に浮かんでいた。


「ああ……楽しみにしているよ」


 しみじみと、噛み締めるようにそう言ったあと、ふっと息を吐く。


「頼りない父ですまなかったな」


 その言葉に、俺は少しだけ目を伏せて、穏やかに返す。


「……そんなことないよ」


 短く、それだけ。


 けれど、それで――通じた気がした。

お読みいただき、本当にありがとうございます。

スタンプ等のリアクション大変嬉しいです。

いつもありがとうございます。

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