4話「はじまりの計画」
地下室の空気は、いつのまにか冷たさを失っていた。
湿った石壁も、薄暗い天井も変わらないはずなのに、不思議とこの場所が“居心地のいい空間”になりつつある。それはたぶん、そこに誰かがいるからだ。
俺はいつものように木箱に腰を下ろし、毛布を畳んでいるエルミアの背中を見ていた。その仕草は、もう以前のようにおぼつかないものではなかった。指先に、力が戻ってきている。
「……もう、ずいぶん良くなったな」
そう声をかけると、エルミアは顔を上げて、軽くうなずいた。
「歩くのも平気。……力も、戻ってきたわ」
「そうか。なら──お前、行きたい場所とかあるか? 帰るところがあるなら、手配してやる」
一瞬の沈黙。エルミアは、毛布の端をぎゅっと握ったまま、静かに首を振る。
「……ない。行く場所も、帰る場所も。……私の居場所は、どこにもなかったから」
その声は静かだった。けれど、かすかに滲む痛みは、俺にもわかった。
だからこそ、すぐに答えた。
「じゃあ、ここにいるか?」
エルミアのまつげがふるえ、ぱちりと瞬きをする。その反応は、たぶん──予想してなかったんだろう。
「え……いいの?」
「もちろん。ここは俺の屋敷だし、誰に文句言われる筋合いもない。寝床と食事くらい、なんとかなる」
そう言って、俺は肩をすくめて笑ってみせる。けれど、次の言葉には少しだけ真面目さを込めた。
「ただの居候ってのもアレだからな。1つ、条件がある」
「条件……?」
「今日から──お前は俺の助手だ」
エルミアは眉をひそめた。警戒、というよりは純粋な困惑の表情。
「……助手?」
俺は得意げに、いつも使っている地図の束を見せた。
「領地の復興を進めてるところなんだ。森を切り拓いて、畑を作って、住民の暮らしを少しでもマシにしようとしてる。でも、人手が足りない。だから、協力者が欲しい」
「……それを、私が?」
「もちろんできる範囲でいい。無理にとは言わない。けど、お前がここに“居たい”って思うなら、もうここは“他人の土地”じゃない。俺たちの、“新しい土地”にしようぜ」
俺は真正面からそう言い切った。エルミアは目を伏せ、沈黙する。その沈黙に、俺も余計な言葉を足さなかった。
やがて、彼女は小さな声でつぶやいた。
「……変わった人間ね」
「よく言われる」
「やっぱり。……でも、悪くないわね」
その言葉に、俺は思わず吹き出しそうになって、でも堪えて笑った。
「じゃ、そういうことで」
差し出した手を、エルミアはゆっくりと──けれど、ためらいなく握り返してきた。
* * *
翌朝から、地下倉庫の一角は即席の“勉強机”になった。
エルミアの素養を確かめてみたかった。ただの直感だったが──それは、正しかった。
「エルミア、魔法って使えるか?」
人間種の中で、魔法を使える者はごくわずかだ。魔法の資質は遺伝によるもので、親に才能がなければ子も基本的には使えない。
そのため、魔法は貴族階級の特権とされており、平民で使える者はほとんどいない。魔力を持つ者はそれだけで身体能力にも優れ、治癒力も高く、いわば“強い人間”と見なされる。
だからこそ、この国では「強い者が上に立つ」という極めて単純な価値観が、政治と社会の基盤になっている。
だが、エルフは違う。全員が魔力を保有し、生来の魔法適性を持つという。
「……村ではあまり教えてもらえなかったけど、基礎的なものなら」
俺は羊皮紙に描かれた術式や、使い古した筆記具、初心者用の魔道具を並べて彼女の前に差し出した。
「この術式、分かるか? 水流系の基本らしいんだけど……俺は制御が上手くいかなくて」
エルミアは紙をじっと見つめてから、小さく首をかしげた。
「このままだと圧が逃げて、ただ水をまき散らすだけ。ここに補助線を入れて、指向性をつけた方がいい」
さらさらと筆が走り、修正された術式が目の前に現れた。
「……すごいな、お前。全然気づかなかった」
「この程度なら。エルフの術式とは記法が違うけど、構造は似てるの」
さらりと告げるその声音は、魔法に対するある程度の自負があるように感じた。
その後、魔道具を渡して実演してもらおうとすると、「これくらいなら魔道具は要らない」と言って魔法を行使した。
魔道具は魔法の使用に必須ではない。初心者向けの制御の助けの他、魔法を増幅させる効果のあるものなど様々な種類がある。
そして、結果は──指先から放たれた一筋の水流は、驚くほど細く、鋭く、ぶれることがなかった。
「……完璧すぎて逆に怖いわ。俺、何回吹き飛ばしたか……」
「何か問題でも?」
「いや、むしろ羨ましい。俺の百倍はあるな制御力」
「それに風魔法の方が得意だし」
さらっと言いながらも、どこか誇らしげな顔が見えたのは──たぶん気のせいじゃない。
「でもあなたはまだ人間種の子供でしょ? きっとこれから伸びるわよ」
エルミアが慰めようとしてくれたのかそんなことを言う。確かに俺と彼女の身長差は倍近い。
実際のところエルミアの年齢はどれくらいなのだろうか。いつか聞いてみよう。
* * *
魔法だけじゃなかった。地図を見せても、理解の早さは異常だった。
「この南東、谷地形。水は集まるけど、排水が詰まる。北の斜面を削って流路を変えるべきね」
「見ただけで分かるのか?」
「……地形情報を読み取るの、エルフは得意」
自信のある口ぶりだった。けれど、それが鼻につかないのは、不思議とエルミアの性格のせいかもしれない。
「すごいな、お前」
「ふふん」
小さく、口元だけがほころんだ。
* * *
しばらく色々と確かめた後、改めて俺はエルミアに話しかけた。
「なあ、エルミア」
「?」
「俺、この領地を変えたいんだ」
そう言って、地図を見つめる。
「見返したい。王都の貴族たちにも、周囲の冷笑にも。ここは終わってる土地なんかじゃない。変えられる場所だって証明したい」
静かに、言葉を続ける。
「俺みたいな子どもが夢語ったって笑われるだけかもしれない。でも──夢くらい、見てもいいだろ?」
エルミアはしばらく黙っていた。そして、ふっと目を伏せて言う。
「……笑わない。貴族……とか人間の事はよくわからないけど、夢はあった方がいいと思う」
「マジで?」
「ええ。だから、手伝う。復興計画。どうせ行く当ても無いし、命を助けてもらった恩返し分くらいは」
思わず笑って、俺は言った。
「じゃあ、ついでにもうひとつ。俺はこの土地を“人間だけの場所”にするつもりはない。お前を見て、そう思った。種族の違いなんて、会話が通じるなら些細なことだ」
この大陸には、エルフやドワーフ、魔族といった人間以外の種族が数多く存在している。
知性を持ち、言葉を交わせる種族たちだ。だが、このグランゼル聖王国では、そうした“異種族”は差別の対象とされ、奴隷として扱われるのが当たり前だった。
俺は、別に奴隷の解放をしようとか、そんな風に偽善者ぶるつもりはない。ただ、単純に――それは効率が悪いと思った。
優れた知性と力を持つ存在を、ただの“従属物”として縛るなんて、もったいない。
だから、多種族と手を取り合うことで、この領地をもっと強く、もっと面白い場所にできるんじゃないかって、そう思ったのだ。
エルミアは、またしばらく黙った。そして、ぽつりと。
「……そんなこと、本当にできると思うの?」
「できる。やる。お前みたいな才能あるやつを対等に扱わない王国こそ、間違ってる」
そう言った俺を、エルミアはまじまじと見つめ──やがて、肩を落として笑った。
「……ふしぎな人間ね」
「そうかもな」
「でも、嫌いじゃない、かも。……そういうの」
俺は立ち上がって、もう一度、手を差し出した。
「じゃ、改めて──これからよろしく、“エルミア”」
差し出した手を、エルミアは今度は、少し笑って、しっかりと握り返してくれた。
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