38話「スイート・クーデター③」
蜜根芋が完成してから、数日が経った。
次に俺たちが着手したのは――その芋から抽出した蜜を、さらに煮詰めて砂糖にできないかという実験だった。
結果は上々だった。
出来上がった“蜜砂糖”の結晶を、指先でそっとつまみ上げる。
淡い琥珀色のその粒は、どこか懐かしい輝きを帯びて見えた。
ひとつ、舐めてみる。
じんわりと舌の上に広がる甘味。
黒糖にも似た、けれどもっと優しくて柔らかいコク。
これは……ただの芋から作ったとは思えない出来映えだ。
そして、俺の中で唐突に“それ”が閃いた。
「……これがあれば、もしかして」
呟きながら、もう一粒を口に放る。
過去の記憶が、確かに甦った。
「卵と乳は家畜からとれる。蜜砂糖もある。なら……あの甘い、ぷるぷるのやつ」
「ぷるぷる!?」
フィーネがぴょこんと飛び跳ねた。
目をまん丸にして、いつものようにこちらへ身を乗り出してくる。
「なにそれ、なにそれ! それって、おいしいやつなの?」
「おいしいどころじゃない。あれはな……子どもから大人まで虜にする、夢の味だ」
「夢の味!? たべてみたいっ!」
彼女の目が、これでもかというほどきらきらと輝いていた。
その期待に応えるべく、俺のなかでもう答えは出ていた。
地球の――いや、前世の記憶の中で、最も“優しさ”を凝縮したスイーツ。
「……あれを作るっきゃない!」
思わず拳を握りしめて声を張ると、 部屋の隅で帳簿を広げていたフレデリカが、ピクリと顔を上げた。
「……また始まったの?」
ペンを置いて、若干うんざりしたような目でこちらを見る。
「せっかく蜜根芋が完成したと思ったら、今度は“ぷるぷる”? どうせまた、ろくでもないこと考えてるんでしょ」
「失敬だな。これは立派な文化活動だぞ? ちゃんとした甘味への挑戦でもある。それに、材料はもう揃ってる。あとは手を動かすだけだ」
俺が自信満々に胸を張ると、フレデリカはわかりやすくため息をついた。
「……ほんと、好きにして。もう何が出てきても驚かないわよ」
「言ったな? じゃあ後悔すんなよ?」
「ええ。……感動する準備でもしておくわ」
口調はぶっきらぼうだったが、その横顔にはどこか呆れと――ほんの少しの期待が混じっていた。
この数日でだんだんわかってきたが、フレデリカもこういうのが嫌いじゃない。
甘いものには、きっとちょっとだけ弱い。
「で? その“ぷるぷるの夢”って、なんて名前なの?」
フィーネがワクワクを抑えきれない声で尋ねてきた。
俺はひと呼吸置いてから、指を掲げて堂々と宣言した。
「――プリンだ!」
その言葉が執務室に響いた。
「ぷりん……?」
「……なんか、名前までぷるぷるしてるね!」
「なんで作る前から名前が決まってるのよ……っていい加減もう突っ込むのも野暮ね。慣れてきたわ」
エルミアは首をかしげ、フィーネは楽しそうに笑い、フレデリカは肩をすくめる。
「よし、じゃあ今から試作開始だ。フィーネ、手伝ってくれ!」
「うんっ!」
蜜根芋から始まった“甘味改革”は、まだ終わらない。
今度の舞台は――屋敷のキッチンだ。
* * *
屋敷のキッチンに、プリンづくりの素材がずらりと並ぶ。
まずは“卵”。
――正式名称は「カクラ鳥の卵」らしいが、見た目も味も、どう見ても鶏の卵と完全に一致している。割った感触までまったく同じだ。
だから俺はもう、“鶏卵”ってことで扱ってる。呼びやすいし、説明もいらない。思考の簡略化は知恵だ。
次に、“牛乳”。
これは、乳を出す大型家畜“バルー”から搾ったものだ。見た目は……まあ、牛というより毛の長いバッファローみたいな感じだが、出てくる乳は限りなく牛乳そのもの。コクも甘みも、まさに牛乳の再現性100%。
もうこれは“牛乳”ってことでいい。味が同じなら、それで十分だ。
あとは、蜜根芋から作った“蜜砂糖”。芋とは思えないほどまろやかで、ほんのり黒糖に似たコクがある甘味。これが今日の主役だ。
香りづけには、甘い香りのする乾燥芳香草。煮出すとバニラに近い香りになるので、“バニラもどき”と命名して使っている。
「さあ、準備完了。異世界プリン、いざ開発開始だ!」
「ぷりん! ぷるぷる! ぷりんっ♪」
フィーネがリズムに乗って踊ってる。どうやらこのプロジェクト、完全にお気に入りらしい。
まずは、カラメルソース作り。蜜砂糖と少量の水を鍋に入れ、ゆっくり加熱する──予定だったのだが。
「うわ、ちょ、早すぎだって!」
火の調整が甘かった。焦げないようにと気をつけたつもりが、数秒で蜜砂糖が真っ黒に変化。慌てて鍋を持ち上げたものの、時すでに遅し。
「……ちょっと焦げくさくない?」
フィーネが眉を寄せながら、鍋の中を覗き込む。
「まあ……うん、これはこれで“ビター風味のカラメル”ってことで……」
焦げたとは言わせない。カラメルは本来、焦がすことで生まれる深みもある。たぶん。
気を取り直して、次はプリン液づくり。
卵を割り、牛乳とよく混ぜ合わせ、そこに蜜砂糖とバニラもどきを加えて風味を整える。しっかりと目の粗い布で漉して、滑らかな口当たりを目指す。
最後に、陶器の小鉢に静かに注ぎ込む。
ここまでは順調……いや、焦がした分を差し引いても及第点か。
問題は、ここからだ。蒸す。
残念ながら蒸し器として使えそうなものは存在していなかった。だから代用品を使う。
鍋に水を張り、台座代わりに木の輪切りを置く。その上に陶器の器をそっと並べ、濡らした布で蓋をかぶせれば──即席の“異世界式蒸し器”の完成だ。
問題はここから。
この工程こそ、プリン作り最大の山場──火加減の管理。
妥協は許されない。
この工程を失敗すれば、すべてが水の泡になる。だから俺は、執務室にいた“最終兵器”に声をかけた。
「フレデリカー。火加減、お願いできる?」
「……また私を“都合のいい女”扱い?」
書類から顔を上げたフレデリカが、あきれたように睨んでくる。
けれど、その視線には怒気はなくて。ただの文句だ。拒否しないあたり、ほんと優しい。
俺の真剣さが伝わったのか、ため息をひとつ吐いた彼女は、静かに指を掲げる。
その指先に、橙の炎がふわりと灯った。
風を巻かず、焦げも生まず──ただじんわりと鍋底の水を温める、まるで職人の手仕事みたいな熱量。
相変わらず、ため息が出るほどの魔法精度だ。羨ましい。
「中弱火。……これくらいでいいの?」
「完璧! さすがフレデリカ様!」
「まったく……調子のいいこと言って」
呆れ声。だけど、どこか楽しそうだった。
フレデリカはそのまま炎を注ぎ続ける。
蓋をかぶせ、しばし静寂。キッチンに満ちるのは、水の沸く音と、蜜の残り香だけ。
その鍋の中で──
ぷるぷるの夢が、ゆっくり、確かに育っていく。
隣で覗き込むフィーネの横顔が、まるで儀式を見守る巫女のように神妙で、俺も思わず背筋を伸ばした。
「……頼むぜ、異世界プリン。甘味改革の次なる一手、ここで決めてやろうじゃないか」
* * *
蒸し始めて、およそ三十分──。
鍋の蓋をそっと外した瞬間、ふわりと立ちのぼる甘い香りに、思わず息をのんだ。
陶器の器の中で、うっすらと艶を帯びた“それ”が、ぷるぷると震えている。
「……できた。完成だ」
緊張で汗ばむ指先で一つを取り出し、慎重に皿へと移す。
器を傾けるたびに、ぷるん、と愛らしく揺れた。
――間違いない。これは、俺の記憶にある“あれ”だ。
「カラメルをかけて……さあ、できたぞ。これがプリンだ。食べてみてくれ」
フィーネとフレデリカの前に、一皿ずつそっと差し出す。
「わ……きれい……」
フィーネは目を輝かせながら、そっとスプーンを入れる。
表面がぷるんと波打ち、つるりとすくえた。
そのまま、口元へ運ぶ。ぱくり。
「……なにこれ……しあわせ……」
ぽつりと呟いたその表情は、まさに“夢見心地”だった。
それだけで、今日一日の苦労が全部報われた気がした。
「……口の中で、とろけて消えるわね……」
後ろから、フレデリカの低い声がした。
器を手にしたまま、じっとプリンを見つめている。
「濃厚なのにくどくない……悔しいけど、すごく美味しい。黒いソースのほろ苦さも、いいアクセントになってるわ」
「ふふん、言っただろ。夢の味だって」
「……これが夢の味、ね。認めるわ。これは本当に、すごいわね」
先ほどまで呆れていた彼女の頬が、ほんのり緩んで見えた。
* * *
その後、政務をしていたエルミアも呼び出して、ささやかなプリンの試食会が始まった。
食べ終えたあとのキッチンには、言葉にならない満足感が漂っていた。
ただの静けさとは違う。甘さに満たされた、心がほどけていくような余韻。
ふいに、フレデリカがふいに立ち上がり、ぽつりと呟く。
「……このお菓子、絶対売れるわ」
顔を向けると、彼女はもう“仕事の顔”になっていた。目元に鋭さが宿る。
「材料はすべてレイフィールド産。作り方も比較的簡単で、量産もいける。食感、香り、見た目、すべて高水準……あとは、名前は……なんて言ったっけ?」
「“プリン”だ」
俺は、皿の上で揺れるそれを見つめながら言った。胸の奥に、ほんの少しだけ懐かしい気持ちが浮かんでくる。
……らしくないなと思いながらも、それは悪くない感情だった。
「いい名前だと思います。短くて、響きも可愛らしいですし」
エルミアが穏やかに頷く。
「“レイフィールドの黄金プリン”として、名物にしましょうか。蜜砂糖の評価も、一気に跳ね上がりますよ」
横ではフィーネが、空になった器を名残惜しそうに抱きしめていた。
「ねぇおとうさん、明日も作っていい? いっぱい、つくろ?」
「ああ、どんどん作ろう。これがあれば……仕事も捗るからな」
軽く笑って返すと、フィーネはにこーっと嬉しそうに笑った。
思いつきで始まった“甘味改革”だったけれど、これでひとまずの区切りがついた。
けれど――俺たちの改革は、まだ終わらない。
本番は、きっとここからだ。
それでも今は、このぷるぷるが誰かの笑顔を生む一匙になれば――
そんなささやかな願いを胸に、俺は最後のひと口を、静かに味わった。




