36話「スイート・クーデター①」
政務室には、紙の擦れる音と、ときおり漏れるため息が交互に響いていた。
俺、フレデリカ、エルミアの三人が、それぞれ黙々と書類と格闘している。
机の上に積まれたのは、報告書、請求書、畑の収量、物資の在庫――いずれも目が滑りそうな文言ばかりだ。
領主の仕事とは、剣を振るうよりも、むしろ忍耐力を試される“持久戦”だとつくづく思う。
「……ふぅ。さすがに疲れてきたわね」
フレデリカがペンを置き、軽く伸びをしながら頭に手をやる。
琥珀色の瞳はすでに文字に酔いかけており、崩れた髪を無造作にかき上げる姿は、普段の気品ある彼女とはどこか別人めいて見えた。
とはいえ、作業量は圧倒的だった。すでに俺の倍以上の書類を片づけている。処理能力においては、正直、勝てる気がしない。
一方、エルミアはというと、相変わらず淡々とペンを走らせていた。
整えられた髪、無駄のない筆運び。その姿には“静の美”とでも言うべき落ち着きがある。
彼女は帳簿に目を通しながら、さらりと口を開いた。
「商隊との取引記録、塩と保存肉が前月比で一割減少しています。その代わり、干し果実の輸入が増加傾向に」
「干し果実か……少しずつ、嗜好品を選ぶ余裕が出てきたのかもしれないな」
彼女の事務処理能力もまた一級品だ。よく働き、よく気がつく。
仮に前世のゲームで能力値をつけるなら――俺の内政力は65、エルミアが80、フレデリカは90。そんなところだろう。
……平均値を下げてるのは、間違いなく俺だ。
苦笑しながら、手元の資料を一枚めくる。
──とはいえ、目の前の仕事はどれも内容の濃い真面目なものばかりだ。
油断すれば、思考がじわじわと“眠気”へと逃避しそうになる。
そんな中、俺はふと、無意識に呟いていた。
「……甘いものが食べたい」
ふたりの手が止まる。数秒の沈黙ののち、エルミアが静かに口を開いた。
「はちみつなら、ございますよ?」
すぐに立ち上がろうとしたエルミアを、俺は手で制した。
「いや、違う。はちみつはもう飽きた。もっとこう……焼き菓子とかに入れる、ザラザラした……“砂糖”だよ」
ぱたん、とフレデリカが帳簿を閉じた。
「……あのねぇ、砂糖なんてこの辺じゃ贅沢品なの。王都の貴族街にでも行かなきゃ、そうそう手に入らないわよ。それに高いの。無駄遣いにもほどがあるわ」
「……さいですか」
元は公爵令嬢なのに倹約家なフレデリカの言葉に、俺は思わず苦笑して、椅子の背もたれに深く身を預けた。
「干しリンゴとかもあったけど、あれじゃもう満足できない。“刺激”が欲しいんだよ。脳にガツンとくるやつ。糖分ってやつがさ」
「……また面倒なこと言い出して」
フレデリカがこめかみに手を当ててため息を吐く。エルミアも目を伏せて、少しだけ困ったように微笑んでいた。
──だが、そう思ってしまったのだから仕方がない。
考えれば考えるほど、頭の中は甘いものでいっぱいになっていく。
ケーキ、プリン、シュークリーム……どれも、前世で当たり前のように食べていたスイーツたち。
いまや、そのひとつすら手に入らない現実が、やけに苦く感じた。
そのとき、ふと脳裏に浮かんだのは──
植物と“話す”ことができる少女、フィーネの存在だった。
「……そうだ。ないなら、“作れば”いいんじゃないか?」
ぽん、と軽く手を打った俺は、勢いよく椅子を蹴って立ち上がった。
「はぁ!? なに言ってんのよ、政務はどうするの!?」
「後で一気に片づける! これは領主として放っておけない、最重要課題だ!」
書類に埋もれたフレデリカが抗議の声を上げるが、俺はそのまま扉に向かって叫んだ。
「フィーネ! いるかーっ!」
「なになに〜? 呼んだ〜?」
扉の影から、ぴょこんと顔を出したのは、春の風のように笑う少女だった。
若葉の髪飾りを揺らしながら、いつもの無邪気な笑顔で駆け寄ってくる。
「よし、行くぞフィーネ。新しい作物を開発するぞ。目指すは……脳にキマる甘さだ!」
「なんだかわかんないけど、楽しそう! やるやるっ!」
俺の勢いとフィーネの無垢な好奇心に、政務室の空気が一変する。
「……ほんと、自由すぎるわね。我らが領主様は」
呆れ半分、苦笑いを浮かべながらフレデリカが肩をすくめる。
エルミアも帳簿を閉じつつ、静かに頷いた。
「ですが、それこそがノエル様でもありますから」
政務の山を一時放り出して、唐突にはじまる“甘い改革”。
──砂糖という夢の味を追い求めて、物語は思わぬ方向へと転がりはじめた。
* * *
屋敷を飛び出した俺とフィーネは、午後の光に照らされた農村を歩いていた。
目指すは、甘みのある作物の“原種”を探し出すこと。
──といっても、そんな都合のいい植物が転がってるだろうか。
だからこそ、まずは地元の知恵を借りるのが一番早い。
「なにか、甘い野草とか実とか知ってる人いませんかー?」
「いませんかー?」
俺に続いて、フィーネが両手をメガホンみたいに口に当てて、元気よく声を張り上げる。
その声に反応したのか、ちょうど畑で草むしりをしていた老人が、ゆっくりと腰を上げてこちらに歩み寄ってきた。
「甘いもん……言うたら、“野芋”じゃろな」
「野芋?」
「ほれ、あの藪ん中にびっしり生えとるツルのやつじゃ。ちっこい芋が根にくっついとる。まあ、食えんことはないが……」
老人は頭をぽりぽりと掻きながら、少し困ったように笑った。
「甘いには甘いが、水っぽくてなあ。味が薄いし、ぬるぬるしてて歯触りも悪い。昔の飢饉んときにゃ食ったが……正直、人間の食いもんじゃあねえわ」
肩をすくめて苦笑するその様子に、フィーネが興味津々に身を乗り出す。
「でもでも、甘いんでしょ? どこに生えてるの?」
「そこら中じゃよ。ほれ、あの藪の中にでも行ってみなされ」
言われるがまま、俺とフィーネは森の縁へ足を向ける。
「フィーネ、ツルがある芋を探してみてくれ。できれば根っこごと頼む」
「わかったー!」
フィーネはぴょんっと跳ねるように地面を蹴り、森の奥へ小走りで駆けていった。
──さすがは植物の声が聞こえる少女だ。きっとすぐ見つけてくれる。
案の定、五分もしないうちに「おとうさん〜、こっちこっちー!」という声が飛んできた。
「たぶん、これだよ!」
フィーネが指差す先に、木に絡みついたツルを発見。掴んで軽く引っ張ると、ツルの根元から小さな芋が何個か連なって抜けてきた。
「これか……」
泥を払ってから、そのうちの一つを手に取り、思い切ってかじってみる。
「……っっ。なるほどな。これは……水っぽい大根? いや、味のない生姜っぽい? なんというか……微妙だな」
繊維が粗くて、噛むと中から水分がじわっと滲む。甘みは確かにあるが、それ以上でも以下でもない。
しかも、風味は薄く、余韻も乏しい。率直に言って「食べる気にならない味」だ。
でも──悪くない。
俺はもう一度、芋をひっくり返して根を観察した。目を上げると、辺り一帯に野芋のツルがあちこちに絡みついている。
「どこでも育ってるな、こいつ……。しかも、土壌をまったく選ばない」
森の縁、日当たりの悪い森の中、果ては道端の石垣にも這っている。まさに雑草のごとき生命力。
「……生命力は一級品だな」
俺が感心して呟くと、隣にいたフィーネがツルを優しく撫でながら、ふわりと微笑んだ。
「つよい子だねぇ。だからきっと、大丈夫!」
彼女は芋に顔を近づけ、まるで幼い子に語りかけるように囁く。
「“もっと大きく、育ててあげる”からね」
──その言葉に応えるように、野芋の葉がかすかに揺れた気がした。
俺はふっと鼻で笑いながら、ポケットから小刀を取り出して、さらにいくつかの芋を掘り起こす。
「いいかフィーネ。こいつを、すっげえ甘い作物に変えるぞ。誰が食っても“うまい”って言うくらいのやつに」
「うんっ、やろうっ!」
その返事は、風に乗って森に響いた。
地味で目立たず、誰にも見向きされなかったこの野芋が──
革命的な“甘味”に生まれ変わるその日まで。
俺たちの、ちょっとだけ変わった甘味改革が、いま幕を開ける。
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