35話「風、炎、そして獣②」
試合を終えたばかりの俺が、地面に腰を下ろすのをよそに──
フレデリカは木剣をくるくると器用に回しながら、さらりと言った。
「次、エルミアも相手してよ。……体、あったまってきたし」
その言葉と同時に、彼女の掌に赤い魔力が灯る。熱を含んだ空気がじわりと広がり、訓練場の一角が一気に“戦場”の気配を帯びた。
「魔法、ありでどう?」
「……承知しました」
エルミアも静かに立ち上がる。
スカートの裾がふわりと揺れ、足元には淡く風が立ち昇った。まるで精霊たちが、彼女の決意に応えて舞い始めたかのように。
無言のまま、ふたりは間合いを取る。空気が張り詰め、場がしんと静まり返った。
訓練というにはあまりに本気度の高い、魔法使いたちの“模擬戦”。
観ている俺も、思わず息を詰める。
そして──
「炎裂剣!」
詠唱と同時に、フレデリカの手に握られた木剣が紅蓮に染まる。燃え盛る炎が剣に絡みつき、揺らめく獣のように唸りを上げた。
それはただの火ではない。魔力の刃として形を与えられた“斬撃の具現”だ。
「風刃の追尾」
エルミアも即座に詠唱を完了する。
空を裂くように、無数の風の刃が出現。それぞれが滑るような軌道で、フレデリカを三方から包囲するように飛翔する。
だが──フレデリカは怯まない。
逆に一歩前へと踏み出した。
「爆焔障壁!」
ごぅっと地面を揺らし、炎の障壁が立ち上がる。風刃はその熱量に焼かれ、霧散したが──
それは“視界の遮断”という、さらなる布石に過ぎなかった。
「音速の跳躍」
風に乗って、エルミアの姿がふっと掻き消える。
だが──
「甘い!」
背後から放たれた斬撃を、フレデリカは迷いなく振り返って弾き返す。
その剣先が掠めた瞬間、エルミアの頬に炎の熱が触れた。
「……っ」
ほんのわずかな隙が、焼ける空気となって肌を舐める。それだけで、命のやり取りに近い緊張感が伝わってくる。
そこからは、まさに火と風の乱舞だった。
エルミアが次々と風刃を展開し、角度を変えながらフレデリカに襲いかかる。フレデリカは剣撃と魔法でそれを受け流し、時に前へ出て打ち払う。
魔法と魔法の応酬だけではない。戦いは徐々に接近戦へと移っていった。
「真風刃・散弾!」
エルミアの両手が広がり、そこから放たれる無数の真空刃。散弾のように、視界を覆うほどの攻撃が展開される。
「……っ!」
一瞬、フレデリカの動きが止まる。だが、次の瞬間にはもう前へ。
炎剣を大きく振りかぶり、魔法の波を力づくで割って突き進む。爆炎と風が衝突し、訓練場の地面が抉れる。
まさに“紅の一閃”。
──それは、フレデリカが“灰燼の乙女”と呼ばれる所以、その片鱗だった。
「疾風!」
エルミアが再加速。
風を纏い、さらに高速でフレデリカの間合いに入り込む。
交差──
炎剣がうなりを上げ、風を裂いた短剣が軌道を描く。
火と風の衝突。
爆ぜる音とともに、訓練場に濛々と砂煙が立ち込めた。
──数秒後。
ふたりは静かに距離を取り、構えを解く。
肩で息をしながらも、視線はまだ熱を帯びている。
「……ここまでにしておきましょうか」
「ええ、そろそろ本気になりそうだったし」
互いの息を整えながら、微笑みを交わすふたり。
「なかなかやるわね、エルミア」
「フレデリカ様こそ。間合いの読みと攻防の切り替えが完璧でした」
剣と魔法で競り合った末に交わされる賛辞は、どこか騎士のそれを思わせた。研ぎ澄まされたふたりの強さに、俺はただ呆然と立ち尽くす。
「……二人とも、かっこよすぎるだろ……俺だけ、なんか別ゲーやってない?」
ぽつりと漏らした言葉に、ふたりは視線を交わし──
小さく笑った。
朝の冷気がまだ残る訓練場に、火と風の残滓がゆるやかに漂っていた。
それは、誇りと実力を伴う者たちだけが刻める、“静かなる余韻”だった。
* * *
余熱の残る訓練場に、静かな風が吹いていた。
さっきまで火と風が交差していた場所には、魔力の残り香と、わずかな焦げ跡だけが残されている。
そんな余韻のなかで、ぽつりと落ちたひとこと。
「……それでも、本気のノエル様には、まだまだ敵いません」
言ったのは、エルミアだった。
淡々と事実を述べるような口調。その場にいた全員が、思わず彼女のほうを見る。
「……え?」と俺が呟き、「なによそれ」と、フレデリカが眉をひそめた。
エルミアは静かにこちらを向いた。その瞳には、一切の誇張も謙遜もなかった。
「どれほど鍛えても……まだ、ノエル様には敵いません。純粋な一対一となれば、私では到底太刀打ちできないのです」
まるで巨大な崖を前にしているような眼差しで、彼女は空を仰ぐ。
「ちょ、ちょっと待てエルミア、変な誤解を生むような言い方は──」
俺の抗議は途中で遮られた。
フレデリカが、柵に立てかけていた木剣を手に取っていたのだ。
さっきまでの朗らかな笑顔は消え、代わりに浮かんでいたのは静かな闘志。
「へぇ……剣はそこそこだけど、魔法ありならやるってわけ? エルミアがそこまで言うなら、確かめてみたくなるじゃない」
彼女の木剣が、まっすぐ俺を指す。
「立って、ノエル」
風も音も止んだように感じた。
──もう、逃げられない。
俺は立ち上がり、静かに息を吸い込む。
確かに、この数年で俺の戦闘能力は大きく変わった。
だがそれは、洗練された魔法技術や精密な剣術とは違う。
俺が持っているのは、たったひとつ──
“内側”の魔力を、徹底的に研ぎ澄ますという戦い方だ。
魔力を外へ放てない俺が選んだ、生き残るための道。
筋肉、神経、感覚器……すべてを、細胞単位で強化する。
体内に巡らせた魔力が、皮膚の外側に“鎧”を展開し、防御と感知を両立させる。
構えはいらない。詠唱も不要。
ただ、静かに、意志を沈めるだけ。
──俺は、獣になる。
息を吐くと、全身に熱が走る。
鼓動が強くなり、視界の輪郭が鋭くなる。
音、気配、熱、空気の流れ。すべてが、網膜に焼き付くほど明確に“見える”。
フレデリカが、目を細めた。
「うそ……なにこの圧……魔力、外に漏れてるの!?」
一歩、踏み出す。
「……ああもう、なんかムカつくわね! 開幕から全力で行かせてもらうわよ!」
詠唱が火を纏う。
「炎裂剣!」
木剣に赤い炎が宿り、フレデリカが疾駆する。
「爆脚!」
足元で爆風が弾け、視線の届かない速度へと加速──
さらに、空中でもう一度爆風を発生させる。
「二段加速……!」
高速変則軌道。最速不可避の斬撃。
だが、
(……見える)
風圧の乱れ、足の重心、爆風の偏差──
すべてが、スローモーションのように視えた。
身体が、先に動く。
半身をひねり、木剣を躱す。
「なっ……!?」
フレデリカが驚きに目を見開く。空振りし、その勢いで背後へたたらを踏んだ。
だが、諦めの色はない。
「まだよ! 紅蓮掃射!」
フレデリカの腕から、三十を超える炎弾が放たれる。
(……全部は避けられない)
そう判断した俺は、腕をクロスさせると正面に突っ込んだ。
「えっ、正気!?」
だが──
炎弾は、俺の身体に触れた瞬間、“弾かれる”。
俺の魔力皮膜が、魔法の核だけを削ぎ落とし、ただの熱として流す。
巻き上がる煙の中、俺は一気に距離を詰めた。
「くぅっ……! 身体強化!」
咄嗟の詠唱。フレデリカが身体に魔力を巡らせ、木剣を振り上げる。
反応も、構えも、文句なし。迎撃としては完璧だった。
──だが、それすら通じない。
俺は、その一撃を“噛み砕いた”。
ギギッ、と耳障りな音を立てて、木剣が中ほどから砕け散る。
「な──!?」
次の瞬間。
俺は、彼女の肩を抱え込むようにして、胴へ体重を預け──
「うわっ──!?」
タックル。フレデリカの身体が宙を舞い、訓練場にドスン、と重い音を響かせて倒れる。
俺はその上に、覆いかぶさるようにして両肩を押さえつけていた。
──勝負、あり。
静まり返る訓練場。煙と砂埃、わずかに残る熱気。
フレデリカは呆然とした顔で、俺を見上げていた。
「……はあ。あなた、どうなってるのよ……?」
肩で息をしながら、フレデリカが呆れたように言葉を漏らす。
「異常なまでの身体強化に、魔力まで纏って突っ込んでくるなんて……まるで、獣じゃない」
「……俺だって、好きでこのスタイルになったわけじゃないんだけどな」
俺はゆっくりと身体を離し、膝をついた。
魔力が引き、視界が元の色を取り戻していく。
「……魔法も制御できないし、気づいたらこうなっててさ……。自分でも野蛮だって思うよ」
勝ったのに、なんとなく居心地が悪い。
フレデリカは肩で息をしながら、苦い笑みを浮かべた。
「……せめて、加減って概念を覚えてくれると助かるんだけど」
俺は苦笑するしかなかった。
そのとき──
「コホン」
背後で控えめな咳払い。振り返ると、エルミアがそっぽを向いたまま言う。
「いくらご結婚されているとはいえ、私の目の前でそのような行為は控えていただきたいのですが」
……え?
改めて見下ろすと、俺の手の下には、倒れたままのフレデリカ。
至近距離で、顔が、すぐそこに──
「~~~っ!」
フレデリカがぷいっと顔を背け、耳まで真っ赤に染めていた。
* * *
訓練場に、やわらかな朝の光が差し込んでいた。
さっきまで火と風が激しく交錯していた場所には、焦げ跡とえぐれた地面、そしてほんのり漂う魔力の残り香が残されている。
戦いの熱気がようやく落ち着き、空気が静けさを取り戻すなかで──俺たちはそれぞれ、言葉少なに息を整えていた。
「……ふう。いい汗かいたな」
額の汗を袖で拭いながら、俺は空を見上げる。
高くなりはじめた朝日が、まるで労いのようにじんわりと差し込んでくる。
心地よい疲労感が、筋肉の奥からじわじわと広がっていく。けれど、それが妙に気持ちよかった。
「ノエル様、いつもながら見事な動きでした。魔力の流れが、外からでも手に取るようにわかります」
エルミアが小さく息をつきながら、丁寧な口調で言葉をかけてくる。
俺が照れくさそうに頬をかくと、隣でフレデリカがぽつりと呟いた。
「……あなたの魔力量、ちょっと異常ね」
俺は思わず、半眼で彼女を見やる。
「それ、褒めてる?」
「事実を言ってるだけよ。あんなに雑に回してるのに、全然底が見えないし……普通なら途中で失速するってのに、むしろ勢い増してたし」
肩で息をしながらも、フレデリカは口元を緩める。
「どんだけ貯め込んでるのよ……まるで、底なしの海みたいじゃない」
「いや海て……」
呆れたように返すと、フレデリカはふふっと笑った。
その表情は、いつもの勝気なもの。けれど、どこか認めたような、そんな色も混ざっていた。
「まあ……次は本気でやるから。今度こそ負けないわよ」
「いやいや、今回も充分本気だったろ?」
「うるさいっ!」
ぷいっと顔をそむける彼女の頬が、うっすら赤くなっていたのは──たぶん気のせいじゃない。
そんなやり取りを、エルミアが穏やかな笑みで見守っていた。
「私はいつでも、お相手します。修練は、裏切りませんから」
その言葉に、俺も頷く。木剣を柵に戻しながら、気持ちよく伸びをする。
「うん、今日は動いてよかった。体が軽くなるな。……またやろう、近いうちに」
「もちろんよ」
「はい。いつでも、お供します」
三人の声が自然に重なる。
戦い方も、得意な術も、性格も全然違う。だけど、強くなりたいという気持ちは同じだった。
それぞれが違う空を見上げていても、不思議と心のベクトルだけは、ひとつに向いている気がする。
「……さて、そろそろ朝食にしようか」
言葉と同時に、場の空気がふっとほどける。
「賛成。朝からだいぶ動いたしね。お腹すいたわ」
「ノエル様、本日のご朝食は……?」
「パンとスープがいいな。簡単なやつで」
そんな何気ない会話を交わしながら、三人で並んで歩き出す。
魔力の余韻がまだ微かに残る訓練場を背に、俺たちは笑いながら屋敷のほうへと足を向けた。
昇りゆく朝陽が、俺たちの背中を優しく照らしていた。




