34話「風、炎、そして獣①」
木剣がぶつかり合う、乾いた音が訓練場に響く。
まだ朝靄の残る薄明の中。中央に立つのは、俺とエルミア。向かい合い、構えを取るのも、もはや日課だった。
彼女と出会ってから、何百回、何千回と繰り返してきた光景だ。これは、俺たちの“朝の運動”。
俺の手には、やや重めの一本木剣。対するエルミアは、両手に短めの木剣を構えている。手数と間合いで圧す、実戦型の二刀流――それが彼女のスタイルだ。
先に動いたのは、俺だった。
低く踏み込んでの横なぎ一閃。だが――
エルミアはその一撃をあえて受けず、まるで風に乗るように身体を横に滑らせて回避。そのまま返す刃のように、右手の短剣が俺の脇腹を狙って滑り込んでくる。
「っ……!」
反応は、ぎりぎり間に合った。木剣を引き戻し、辛うじて受け流す。
けれど、次の瞬間――視界から、彼女の姿が消えた。
左。背後から、風の切れる音。
「しまっ……!」
振り向くより早く、肩口に軽く衝撃。木剣の背で、そっと突かれた。
「……一本」
涼やかな声。いつの間にか、三歩後ろに距離を取って立つエルミア。木剣を下げ、息ひとつ乱れていない。
さっきまで激しく動いていたはずなのに……まるで最初からそこにいたみたいな静けさだ。
「……くそ、こっちも慣れてきたつもりなのに、全然追いつけないな」
木剣を肩に乗せながら、俺は苦笑をこぼす。
筋力も反応速度も鍛えてきたはずだ。それなのに、彼女の“間合い”を掴めない。
「訓練は、成長の証ですから。ノエル様も、以前よりずっと手強いです」
そう言って微笑むエルミア。風がその銀白の髪をさらりと揺らした。
……彼女の動きは、まるで風そのものだ。
大きな音も、派手な動きもない。ただ、死角に滑り込み、最小限の動きで最大の効果を生む。
攻める時も、守る時も、流れに逆らわず――音すら残さない。まるで、気配だけで戦っているかのようだ。
だからこそ、厄介だ。
「もう一本!」
「お相手します」
互いに構えを取り直し、静かに呼吸を整える。
──次は、真正面から仕留める。
間合いの外から、一気に踏み込んだ。
狙いは遠間からの直突き。初動に意識を集中させて、全体重を込めた一撃。
だが――
エルミアは受けにきた。右手の木剣で力を逃がし、その勢いを削ぎ落とす。
木剣同士がぶつかり合い、互いの距離が極端に縮まる。
マズイ――
その一瞬、彼女の左手が滑るように動いた。
短剣を鞘から引き抜き、脇腹へと鋭く打ち込む動作――その瞬間、俺は無意識に距離を取っていた。
紙一重だった。
エルミアの瞳が、わずかに見開かれる。
「今のは、よく避けましたね」
「かなり危なかった。……でも、なんとか」
お互いの構えが解け、ふと一息。
そのとき、不意に背後から声が届いた。
「何の音かと思ったら……あなたたち、また朝から精が出るわね」
振り返ると、柵の向こうにストールを羽織ったフレデリカが立っていた。腕を組み、薄く笑っている。
「毎朝の恒例なんだ。フレデリカも参加するか?」
冗談半分でそう言うと、彼女は一歩柵を越えて入る。
「ふぅん。なら、少し付き合ってみようかしら?」
フレデリカはそう言って、俺の木剣に視線を落とす。
その瞳に、一瞬だけ、獲物を前にした猛禽のような光が走った。
背筋がゾクリとする。
……おいおい、俺、“狩られる側”か?
* * *
フレデリカは柵を開けて訓練場に入ると、すっと手を差し出した。
「木剣、ちょっと貸してくれる?」
俺が脇に置いてあった予備の木剣を差し出すと、彼女はその柄をひねり取るように受け取り、慣れた手つきで重みを確かめた。そして、軽やかに一振り。
振るというより、試すような一動作。その剣筋には、妙に“慣れ”があった。
「……悪くないわね。じゃあノエル、お相手お願いできる? あ、まずは魔法なしでね」
「了解。……お嬢さま相手でも、手加減はしないぞ?」
冗談まじりに笑いながら構えると、フレデリカも木剣を肩口に構えてにやりと笑う。
「残念だけど、私、剣には多少の覚えがあるの。“やれることは全部やる主義”だから」
(……あ、これやばいやつか?)
訓練用の簡素な木剣を握り直し、俺は深く息を吐いた。間合いを測りながら、タイミングを探る。
「──はっ!」
先に動いたのは、フレデリカだった。
公爵令嬢のイメージとはかけ離れた、重心の低い鋭い踏み込み。一歩で一気に間合いを潰しにかかってくる。
「くっ……!」
俺は反射的に木剣を突き出す。だが――
「甘いっ」
フレデリカは滑るように身体を捻り、俺の剣を斜めに“いなす”。力の流れを絶たれ、刃が空を切る。
(っ……読まれてた!?)
すかさず体勢を戻し、後退しながら牽制の一撃。フレデリカは軽やかにかわすと、右から低い横薙ぎ。
受ける──振る──押し返す──
数合、打ち合う。息を合わせる隙もなく、剣と剣が続けざまにぶつかり合った。
(速い……! こいつ、本当に魔法使いなのか!?)
強引に繰り出した上段の一撃も、フレデリカは無駄のない軌道で木剣を添え、さらりと受け流す。
だが――それは“流し”では終わらなかった。
その勢いを利用するように、彼女の木剣が反転し、肘を支点に鋭く振り戻される。
「っ――!」
横腹を狙った一撃が、重く鋭く打ち込まれる。ズシンと響く衝撃に、呼吸が一瞬止まりそうになる。
想定以上のカウンターに、体勢を崩した俺の足元がぐらつき、膝が落ちる。
(マズい……!)
その瞬間、懐に踏み込む一歩。
視界の端から滑り込むように木剣の切っ先が現れ、俺の首筋でぴたりと止まる。
──寸止め。
「一本。……ってことで、私の勝ちね」
フレデリカはそのまま木剣を引き俺を見下ろしていた。
まるで涼しい顔で、木剣を引いたフレデリカがにこりと笑う。
その瞬間、場の空気が一気に緩んだ。
木剣がそっと離れると同時に、俺はようやく息を吐く。
「はぁ……完敗だ。強いな、フレデリカ。魔法だけじゃなく剣も使えるって資料にあったけど、まさかここまでとは……。エルミアとそこそこ鍛えてきたつもりだったんだがな」
苦笑しながら腰に手を当てると、フレデリカは木剣を軽く回してから、くすっと笑った。
「魔法使いって、遠くから打ち合うだけじゃないのよ。近距離も抑えられなきゃ、肝心なときに落ちる。武官だった父の受け売りだけどね」
「ホーエンヴォルンの剣か……なるほど、筋が通ってるわけだ」
「実家では、お兄様たちを相手に稽古をつけてもらってたの。自慢じゃないけど──学園でも、剣術で負けたことは一度もないわ」
誇らしげというよりは、どこか懐かしむような、柔らかい眼差しだった。
そんなふたりのやり取りを後ろで見守っていたエルミアが、静かに言葉を漏らす。
「ノエル様の反応速度は、確かに素晴らしかったのですが……」
「ふふっ、つまりは──私のほうが一枚上手だったってことね。ま、ノエルも悪くなかったけど?」
楽しげに木剣をくるくると回しながら、フレデリカは得意げに笑っていた。




