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追放令嬢と異種族と、辺境領で理想の国づくりを始めました  作者: 宵宮ミレ
第2章「悪役令嬢、辺境に堕つ」

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32話「風の警備隊長①」

 市場通りに吹き抜ける風が、焼きたてのパンの香りを運んできた。


 陽光に照らされた石畳、軒先に吊るされた果物の籠、道端に並ぶ露店の列──それらが織りなす光景には、かつてこの地が抱えていた停滞の気配など微塵もない。“にぎわい”が、確かに息づいている。


「そこの奥様、今日は新物のブドウが入ってまっせ! ほら、皮ごと食べられるヤツ!」


「山から直送の新鮮な川魚、残り三樽! これ逃すと次は来月!」


 商人たちの威勢のいい声に、買い物客の笑い声が重なる。子どもたちが走り回り、屋台の蜜菓子に群がる姿も、どこか微笑ましかった。


 俺――ノエルは、そんな賑やかな風景の中で足を止めた。両腕を組み、目を細めながら、人の波を静かに見つめる。


 この通りの景色が、俺は好きだ。活気がある。生きている。ここが変わったのだと、肌で感じられる。


 移民が増えた。交易路が整備された。物資も技術も、外からの風がこの地に新たな息吹をもたらしてくれている。そのために、俺たちはどれだけの時間と労力を費やしてきたか……それを思えば、この“にぎわい”は確かに報われた証のはずだった。


 ……だった、のに。


「財布、また盗られたってさ。北町の方、最近多いらしいよ」


「昨日もよ。喧嘩で血が出たって……宿の前、子どもが泣いてた」


 楽しげな空気に混じる、市民たちの不安な声。耳をすませば、通りのあちこちで似たような噂話が飛び交っている。


(せっかく発展してるのに……いや、人が増えたからこそか)


 繁栄には代償が伴う。それは分かっていたはずだ。


 拳を握りかけ、すぐに開く。自分を抑えるように、ひとつ息を吐いた。


(このまま治安が崩れれば、積み上げた信頼も失う。人も金も寄りつかなくなる。……そうなったら)


 目の前の笑顔が、あっけなく消えてしまう未来が見えた。だからこそ、足が自然と速まる。


 宿の角を曲がったそのとき、街の警備隊に属する若い男が駆け寄ってきた。粗末な鎖帷子の隙間から汗が滴り、額には焦りの色がにじんでいる。


 この警備隊は、俺たちが街の治安維持のために新たに編成した部隊だ。領の拡大に合わせて見回り要員も増やしたつもりだったが――どうにも、街の広がりに人員が追いついていない。


「ノエル様! 市場区画で、不審者の目撃情報がありました!」


「……詳しく聞こうか」


「はい。定時巡回の見回りを避けるように、何度も裏路地を移動していたとのことです。姿は見失いましたが、挙動がかなり不自然だったと……」


 息を整えながらも真っ直ぐに報告してくるその姿に、彼らが真剣に街を守ろうとしているのが伝わってくる。だがそれと同時に、“手が足りていない”現実が胸に刺さる。


「分かった、俺が現場を見てくる。一応フレデリカとエルミアにも連絡をしておいてくれ」


「はっ!」


 警備隊員が再び駆け出していくのを見送りながら、俺はもう一度、市場通りの喧騒に目を向けた。

 

 陽光のもとで笑う市民たちの背中。そのすぐ後ろに、見えない“ほころび”が潜んでいるかもしれない。


(発展を守るってのは……こういうことだよな)


 そう呟いて、俺は迷わず、裏路地へと足を向けた。


 * * *

 


 市場の喧騒を背に、俺は裏手の通りへと足を進めた。


 石畳の隙間にたまった水気が、陽に焼かれて立ちのぼる。そのにおいとともに、ぬるく淀んだ空気が肌にまとわりつく。昼のはずなのに、妙に静かで、やけに暗い。


 こういう場所には、“何か”が潜んでいる。


 まだ気配は掴めていない。けれど、こういう場面では、直感のほうが当たる。俺は足音を殺しながら、石壁に沿って慎重に歩を進めた。


 そのときだった。


 後方から、風のように軽い足取りが近づいてくる。


 振り返ると、緩めの外套を翻しながら駆けてくる少女――エルミアの姿があった。光を受けた銀白の髪が、一瞬だけ宙に舞い、その後ろには整った表情のまま歩いてくるフレデリカの姿も見える。


「遅れてすみません、ノエル様。……見回り部隊への連絡は完了しています」


「ちょうどエルミアと街の視察に出ていたの。不審者は、まだ?」


「助かる。ああ……まだ姿は確認できてない」


「なら──広域探索を開始します」


 エルミアはそう言って、静かに目を伏せた。


 右手を掲げ、指先が風を呼ぶように揺れる。


 それは、彼女が魔法を発動する“構え”だ。見慣れた所作のはずなのに、なぜか背筋が粟立つような予感がした。


「……風導の精霊路(エア・ガイダンス)


 小さく、澄んだ詠唱の声が、通りの空気を揺らした。


 風が、変わった。


 ただの空気の流れではない。足元を這うように吹き抜ける風が、まるで街路を“撫でている”ようだった。路面の凹凸や建物の隙間にまで、魔力が染みわたっていくのが分かる。


 風が“触れて”、世界を探っている――そんな感覚だった。


「……精霊よ。そよ風となり、路を撫で、気配を伝えて」


 祈るように呟いたその瞬間、彼女の目が開く。


 鋭く、射抜くような光を宿した視線が、まっすぐ一点を捉えていた。


「西側の細道……倉庫裏。風の流れに、違和感があります。ひとつだけ、“揺らぎ”がある」


 そう言い終えるよりも早く、エルミアは動いた。


疾風(エア・ラピード)


 風を足場に跳ねるように、細道へと駆ける。


 足音すら残さず、板壁の隙間に滑り込み、次の瞬間――


「っ……!」


 何かがもがく音。そして、その音はあっけなく止んだ。


 俺も身体強化をかけて駆けつける。だがそのときには、すでに一人の男が地面に組み伏せられていた。


 旅装束を纏った中年男。腕には誰かの鞄、背には刃物。汗ばんだ額と見開かれた目に、明確な“悪意”が見て取れた。


 エルミアの短剣が、喉元に静かに添えられている。


「物取りです。待ち伏せしていたようですが、動きが鈍い」


 彼女は肩で息をするでもなく、まるで落ち葉でも拾ったかのような口調だった。


 俺は、足元を撫でていった風の感触を思い出しながら、呟いた。


「……風だけで……位置まで分かるのか」


 索敵用の魔法でも、探知系の呪でもない。ただの“風”だ。


 それでここまで――。


「あなたたち、早いわね」


 フレデリカの声がして、数歩後ろから現れる。


 路地の様子を一瞥し、押さえ込まれた男に冷たい目を向けたあと、彼女は低く息を吐いた。


「……風魔法で空間を“読む”こと自体は、理論上は不可能ではないわ。でも、ここまで精密に動体反応を拾えるなんて……尋常な魔力操作じゃない」


「魔力制御の精度ってことか?」


「ええ。風の流速、気圧、温度差、魔力の干渉領域……そのすべてを同時に把握しなきゃならない。普通は、術者が先に過労で倒れる」


 フレデリカは腕を組んだまま、ふっと視線をそらす。


「……エルフは精霊魔法との親和性が高いと聞くけど、その通りね。正直、ここまでとは思わなかった」


 だが、当の本人は肩をすくめただけだった。


「風は、何でも見せてくれます。精霊の“ささやき”を聞き取るのに、少し練習が要るだけです」


 さらりと口にされたその言葉に、俺たちはしばし言葉を失った。


 “少し”どころの話ではない――そう誰もが思ったはずだった。


 捕らえられた男が呻き声を上げる。エルミアは淡々と告げる。


「後は、警備隊に引き渡します。……問題ありません」


 俺たちは頷いた。エルミアのその背に、風が静かに渦巻くのが見えた気がした。

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