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追放令嬢と異種族と、辺境領で理想の国づくりを始めました  作者: 宵宮ミレ
第2章「悪役令嬢、辺境に堕つ」

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29話「同じ場所を目指して」

 その時だった。


 カリ、と紙をめくる音が止み、静かだった空間に──やわらかな声がすっと差し込んだ。


「……おふたりとも、目指している場所は同じなのですね」


 エルミアの声だった。


 彼女は机の端に両手をそっと添えたまま、こちらに視線を向けていた。

 

 感情を抑えた声音ではあったが、その奥にあるまなざしには、あたたかい理解と慈しみがにじんでいる。


 その一言が、ぴんと張りつめていた空気の糸をやさしく断ち切る。


 思わず、胸の奥がきゅっとなった。


 自分でも気づかぬうちに、肩に力が入っていたのだと、今になってようやく分かる。


 ──争いたいわけじゃない。ただ、互いに真剣だっただけだ。


 そんな空気が、ゆるやかに室内を包み始めた、その時。


「けんかしたら、めっだよ〜」


 のんびりとした声が、さらに空気をやわらかくした。


 フィーネだった。


 いつの間にか扉から入ってきていて、椅子の上にちょこんと座っていた。足をぷらぷら揺らしながら、上目づかいでこちらを見ている。


 そのあまりの無邪気さに、思わず笑いが込み上げてくる。


「ごめんごめん。怒ってたわけじゃないんだ、ほんとに」


 俺は手のひらをひらひらと見せて、苦笑混じりに答えた。


 すると、隣にいたフレデリカもわずかに眉を緩め、ふうっと息を吐いた。


「これは“議論”よ。……ただ、少し熱が入りすぎたみたい」


 声は落ち着いていたが、その瞳には先ほどまでの鋭さとは異なる、穏やかな光が宿っていた。


 彼女の言葉にも、もう敵意はない。ただ、建設的な意志が残っているだけだ。


 ──言葉を交わし、すれ違い、ぶつかって。それでもなお、理解に近づこうとする。


 それが、今この執務室に生まれつつある、新しい関係のかたちだった。


 * * *

 

 議論の熱がようやく落ち着いたあと、部屋に短い沈黙が訪れた。


 フレデリカは視線を地図に落としたまま、ゆっくりと口を開く。


「……あなたたちがこれまでやってきたことは、記録として断片的にしか知らないの。でも、実際に現場を見てきた人の判断には、敬意を払うべきだと思ってる」


 先ほどまでの鋭さとは違う、静かな声音だった。その言葉には、まっすぐに現場と向き合ってきた者への誠実な評価が込められている。


 俺は黙って彼女の言葉に耳を傾けた。反論ではなく、理解として。


「でも、それでも……制度の種は、今まいておかないといけないのよ」


 言いながら、フレデリカは指先で地図の端を軽く押さえる。


「芽が出る前に踏み潰されてしまえば、もう立て直せない。だからこそ、今が大事なの」


 その声音には確信と、わずかな焦り──切実さすら滲んでいた。


 俺は頷いた。


「……俺は、現場に寄り添いすぎているのかもしれない。以前は自分で畑に立っていたから、つい“今を生きる”ことばかり考えてしまう」


 言葉を選びながらも、正直な気持ちを口にする。


「でも、“これから先”のことを考えるなら……君の言う制度も、確かに必要だ。領主として、長期的な視野も持たないといけない」


 その言葉に、フレデリカは一瞬だけ目を丸くした。だがすぐに、穏やかな笑みが口元に浮かぶ。


 俺は地図の上に手を伸ばし、指をすべらせながら提案を口にした。


「じゃあ──こうしよう」


「まず、第一段階として道路と井戸の整備を急ごう。これは譲れない。冬までに、最低限の物流と生活インフラは確保する必要がある」


 次いで、もう片方の指で倉庫の記号を軽く叩く。


「その間、君には配給制度の設計と備蓄台帳の整備を進めてもらいたい」


 地図の上で、ふたりの指がそれぞれの村と倉庫をなぞっていく。


「二週間後にもう一度会議を開いて、現場と制度の進捗を照らし合わせよう。必要なら、そのときに比重を見直して、妥協点を探す。最悪、どこかで落としどころは見つかるはずだ」


 それは一方的な命令ではない。協力体制の提案だった。


「……どうかな? フレデリカ。エルミアも」


 フレデリカは少しだけ目を伏せ、そして静かに頷いた。


「……ええ。分かったわ。全力でやってみる」


 その言葉には、さっきまでとは違う確かな熱意が込められていた。


「問題ないかと思います」


 エルミアが、落ち着いた口調で同意する。


「それに──フレデリカ様の視点は、私たちに新しい風を運んでくれそうですね」


「同感だ。新たな仲間を得て、心強いよ」


 俺は自然と口に出していた。


 それを聞いたフレデリカが、ふっと笑みを浮かべる。


「……失望されないようには、やらせてもらうわ」


 その笑顔には、かすかな挑戦と、確かな自信が宿っていた。


 * * *


 ふたたび静かになった執務室で、俺たちは机の上の地図を囲んでいた。

 討論の余熱はすっかり消え、代わりに穏やかな集中が空気を満たしている。


「……この農道は、修繕予定の優先度を上げよう。配送に支障が出れば、他の政策も機能しなくなるからな」


 俺が指先で赤い印をつけると、フレデリカがすかさず別の色の筆を取り上げた。


「なら、こっちの集落にも目を向けて。人口密度は低いけれど、位置的に食料の集積拠点には適しているわ」


 朱と藍の小さな点が、地図の上に一つずつ増えていく。

 ふたりの視線が重なるたび、未来の景色が、少しずつ形になっていく。


「この地形ですと、この箇所が自然と迂回路になってしまっていますね」


 地図の端に指を伸ばしながら、エルミアが静かに言った。


「こちらに新しい道を通せば、村々への移動効率が上がるかもしれません」


 俺とフレデリカは目を見合わせ、頷いた。

 三人の視点と知恵が交わることで、地図の中に血が通いはじめる──そんな感覚があった。


 隣に並んだフレデリカは、真剣な目で地図を見つめている。けれどその表情は、さっきまでの張り詰めたものではない。肩の力が抜けた分、彼女の瞳には静かな熱意と希望が宿っていた。


「……領内の他の農村も、視察しないとな。特に西部はまだ現地の状況を把握できていないし」


 俺がそう言うと、フレデリカは筆を置き、顔を上げた。


「その時は、同行させてもらうわ。私は、ずっと紙の上の世界ばかりを見てきたから……今度は、現場の“土の匂い”を嗅いでおきたいの」


 意外なようで、でもどこか彼女らしい言葉だった。俺はふっと笑って、肩をすくめる。


「歓迎するよ。案内役としては……ちょっと泥臭いかもしれないけど」


「泥くらい、跳ねたって平気よ」


 フレデリカも、同じように笑った。初めて会った日の印象とは、まるで別人みたいな笑顔だった。きっとこれが彼女本来の姿なのだろう。


 その時、不意に窓から風が吹き込んだ。カーテンがふわりと膨らみ、秋の陽射しが地図の上に淡く広がる。


 季節は、いずれ冬へ向かう。

 

 けれど、今日この会議を終えた今、その訪れが冷たいだけのものになるとは思えなかった。


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