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追放令嬢と異種族と、辺境領で理想の国づくりを始めました  作者: 宵宮ミレ
第2章「悪役令嬢、辺境に堕つ」

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27話「春の香りと、差し出された手」

 ──フレデリカ視点


 机の陰から、ふわりと声が響いた。


「わたしもいるよーっ!」


 陽だまりのような、あたたかくて無邪気な声だった。

 

 エルミアに意識を向けていた私は、もうひとりの存在にまったく気づいていなかった。


「すまんすまん。フレデリカ、この子はフィーネだ。畑の管理担当ってところか」


 ノエルの声が軽やかに紹介を添える。


 けれど、彼の言葉を聞くより先に──

 

 私はその少女に、目を奪われていた。


 淡い緑の髪がふんわりと宙を舞い、花びらのようなドレスが春風に揺れる。肌にはうっすらと植物の色味が混じり、近づくたびに、やさしい草花の香りが空気を撫でていく。


 まるで──春の草原をそのまま擬人化したような存在。


(……これは)


 私は、息を呑んでいた。


植物人(アルラウネ)……!」


 その名が、自然と口をついて出る。驚きと感嘆が混じった、心からの声だった。


「……可愛い……」


 言葉にしてしまってから、自分でも戸惑う。思考よりも早く感情があふれたことに、少しだけ頬が熱くなる。


「博識だな。エルミアの話だと、滅多に見かけない種族ってことらしいが」


 ノエルが感心したように言う。


「知識は武器よ。貯めるだけ貯めてあるもの。──もっとも、実物に出会ったのはこれが初めてだけれど」


 私は努めて落ち着いた調子でそう返す。けれど、視線は少女から離せなかった。


 その子はまったく警戒心を見せず、無邪気に足を運んでくる。

 

 こちらが構える暇もなく、すたすたと私の足元に近づいてきて──


 ぴたりと、止まった。


「……このひと、あったかい」


 ふんわりとした声が、足元から聞こえた。


 その瞬間、私は無意識に背筋を正していた。“このひと”──間違いなく、私のことだ。


「怖くないか?」


 ノエルが尋ねる。


「うん! やさしい匂い」


 少女はそう答えて、にぱっと笑った。


「おとうさんのおよめさんなんだよね? じゃあ、わたしのおかあさん?」


 次の瞬間──


 彼女は、ためらいなく私に抱きついてきた。


 小さな腕が、ぎゅっと私の腰を回る。そのあまりに自然な距離の詰め方に、私は完全に固まっていた。


(……な、なに……?)


 ただでさえ初対面なのに、“抱きしめられる”なんて想定していなかった。

 

 けれど、それ以上に私を驚かせたのは──


 この子の体温だった。


 やさしい温度。空気をふんわり包む草花の香り。誰かに必要とされたときの、胸の奥をほぐされる感覚。


(……あたたかい)


 私の中で、何かが静かに溶けていくようだった。


「ああ、すまん。こら、フィーネ。いきなり抱きついちゃダメだろ」


 ノエルが慌てて注意する。


「えー、だって、おかあさんあったかいんだもん!」


 口をとがらせるフィーネが、あまりにも無邪気で──

 

 私は、もうどうしたらいいか分からなかった。


 * * *

 

 小さな体が、ぎゅっと私の腰にしがみついている。


 ……硬直した。


 まったく予想していなかった行動に、思考が一瞬で真っ白になる。


(なぜ、こんなことに……)


 頭の中で戸惑いの波がぶわっと広がる。


 当たり前だ。私はまだ誰かの“母”になったことなどない。うら若き乙女である。経験もなければ、覚悟もしていなかった。


(嫁になった直後に母親って……展開、早すぎるでしょう)


 そんな軽口を心の中でつぶやきながらも、胸の奥はざわついていた。


 けれど。


 フィーネの小さな手のひらが、私の服越しに触れている。拒まれることなど思いもしない、そんな無防備でまっすぐなぬくもり。


 打算や計算の一切ない、その手から伝わってくるものが──私の中の“硬い部分”を、ゆっくりと、少しずつほぐしていく。


 私は、そっと腕を動かした。ぎこちなく、恐る恐る。けれど確かに、その子の背中に手を添え──撫でる。


「エルミアおねえちゃん、おかあさんもできたよ。にぎやかだねぇ」


 フィーネが無邪気にそう言った瞬間、胸の奥がふっと緩む。


 その一言で、張り詰めていた何かが、音もなくほどけたような気がした。


(私は……こんなふうに、ただの“個人”として、誰かに必要とされることを──どれだけ求めていたんだろう)


 唐突に、気づいてしまった。


 王都では、名家の娘として注目を集める存在ではあった。

 

 けれど、何の条件もなく、“そのままの私”を求められたことは──一度もなかったのかもしれない。


 ただ、ここにいるだけでいい。そう言われているような気がして──思わず、涙が出そうになる。


 出会ったばかりの少女に、手を通して伝わってくる温もり。


 それほどに──フィーネという存在は、無垢だった。人を試すことも、疑うことも知らず、ただまっすぐに飛び込んでくる。


「よかったわね」


 ふと、横からやさしい声が届いた。


 エルミアだった。

 さっきまでの警戒したまなざしはすっかり消え、今はまるで“祝福する側”のような微笑を浮かべていた。


 ──そして、もう1つの声が背後から届く。


「……ありがとう。怖がらずに、抱きしめてくれて」


 ノエルの声だった。私はその一言に、思わず息を呑む。


 言われてようやく、自分がフィーネの背中に手を回していることに気づいた。

 

 無意識だった。でも、その無意識こそ──たしかな気持ちの表れだったのかもしれない。


「……いきなり母になるなんて、思ってもみなかったわ」


 私は小さく笑った。

 

 自嘲気味ではあったけれど、それでも笑えていた。この場所、この空気が、思いのほか心地よかったから。


「でも、君ならそうしてくれると思った」


 ノエルの声は、驚くほど自然だった。飾らず、押しつけず、ただ“そういうふうに思っていた”というだけの、真っ直ぐな信頼。


 私は思わず、彼の顔を見る。その目は、まっすぐに私を見ていた。どこまでも、揺るがずに。


「……過分な評価ね」


「でも、合ってただろ?」


 そう言ってフフンと鼻を鳴らすノエルに、思わず苦笑が漏れる。


(少しだけ彼の性格が分かってきた気がする)


「ふふっ、これでほんとうの家族だね!」


 私とノエルのやり取りなど気にも留めない様子で、フィーネがぱっと顔を上げて、にぱっと笑った。


 その笑顔に、私は──自然と、小さくうなずいていた。


 言葉にはできなかったけれど。


 今、このここで、確かに私は“居場所”を感じていた。

 

 そしてそのことが、少しだけ誇らしく、少しだけ──あたたかかった。

 

 * * *

 

 自己紹介が終わり、部屋に静かな余韻が漂う。


 エルミアとフィーネ。王都で見てきたどの“亜人”の姿とはまるで違った。

 

 強いられるでも、仕えさせられるでもなく──ただここに、当たり前のように居る。

 

 むしろ、この空間に私が招かれた側であることを忘れてしまいそうなほどに、温かな空気が流れていた。


 そんな中で、ノエルが一歩、私の前へと進み出た。


 彼の表情は、どこか照れたようでありながら──それ以上に、真剣なものだった。


「フレデリカ」


 その名を呼ぶ声に、思わず背筋が伸びる。


 ノエルはまっすぐ私を見つめながら、右手を差し出した。


「……ここにいるのは、協力者で、仲間で……」

 

「でも俺は──その、家族……みたいなものだと思ってる」


 少し言葉を選ぶような口調で、彼は続ける。


「君の知識や力を頼りにしてる。でもそれ以前に──1人の人間として、俺たちの家族になってくれると嬉しい。……改めて、よろしく」


 その言葉に、私は少しだけ目を伏せた。


 差し出された手は、まるで“選択肢”のようだった。無理に伸ばすわけでも、強引に握らせるわけでもない。

 

 ただそこに在り、「君が望むなら──」と静かに差し出されている。


 ──こんな関係、知らない。


 王都で求められてきたのは、役割だった。家柄に見合う態度、ふさわしい知識、政略に役立つ行動。

 

 “フレデリカ”という名前の下に、ずっと何かの条件がついて回っていた。


(……ずるいわね、ほんと)


 胸の奥に、少しだけ甘い苦笑が広がる。


 それでも、迷ったのはほんの一瞬だった。私はそっと手を伸ばし──彼の手を取った。


「……よろしくね、ノエル。それに、エルミア、フィーネも」


 自分でも驚くほど自然な声が出た。繋がれた手の温かさに、心の奥がじんわりと熱を帯びていく。


 その瞬間──


「私からも歓迎します」


 エルミアの静かな声が、そっと重なった。


 彼女はまっすぐ私を見て、小さく頭を下げてくれる。あの初対面のときの、凍るような警戒心はもうない。その瞳は、今はただ穏やかで、信頼を滲ませていた。


「わたしもーっ!」


 フィーネが再びぱたぱたと駆け寄ってくる。両手を元気よく振りながら、笑顔で宣言した。


「おかあさん、わたしのかぞくだもんねっ!」


 その言葉に、私はふっと微笑んだ。


「ええ、そうね」


 口をついて出たその一言に、もう迷いはなかった。誰かにそう言われたからでも、役割を演じようとしたからでもない。


 “私”という存在を、そのまま受け入れてくれる場所が、ここにある。その確信が、自然とこの言葉を導いていた。


 私は小さく会釈し、皆に向けて笑みを浮かべる。


 ──きっとこれが、“手を取る”ということなのだろう。


 上下でも、主従でもなく。守る者と守られる者でもなく。ただ、隣に立ち、互いの存在を認め合うこと。


 私は、そんな関係を──初めて知った。


 王都で築いた関係とは、まるで違う。


 けれど、こういうのも……悪くないわね。

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