26話「白銀と紅」
――フレデリカ視点
「昨日言った、俺の仲間を紹介するよ」
ノエルのその言葉を合図に、私は彼の後について歩き出す。
レイフィールド家の屋敷は、古い部分と新しく改築された部分が入り混じっていた。そのため迷ってしまい、廊下の突き当たりで立ち止まることもしばしばある。
今回案内されたのは、薄暗い物置部屋だった。石造りの壁に、古びた棚と使われていない木箱がいくつか置かれているだけの、ごくありふれた部屋。
──誰もいないように見えるけれど。
ノエルが迷いのない手つきで棚の奥にある古い仕切り板をずらす。すると、その奥から石段が現れた。
「隠し部屋?」
「うん。昔は避難スペースとして使われてたらしい。今は空いてるから、有効活用ってやつ」
そう言って、彼は軽快な足取りで階段を降りていく。私はその背中を見つめながら、小さく息を吸った。
事前に聞かされていた。彼がこの屋敷で、亜人たちと共に動いていること。その彼らと今日会わせるつもりだということ。
頭では理解していたはずだった。けれど、実際に“対面する”となると、胸の奥がざわつくのを感じる。
(……私は王都で、亜人とまともに言葉を交わしたことがない)
あの街では、彼らは“存在していない”ものとして扱われていた。路傍の石に挨拶をしないように、誰も彼らに視線を向けなかった。
目にしても、見ていないふりをするのが暗黙の了解で──
私は直接手を下したことなどなかったけれど、それでも、あの空気の中で“何もしなかった”という事実は、私の胸の内にわずかなうしろめたさを残していた。
石の階段は、昼間だというのにひんやりとしている。差し込む光はなく、壁に沿って取りつけられた魔石のランプが、ぼんやりと青白く灯っていた。
それでも、前を行くノエルの足取りはどこまでも軽やかだった。
「ここが、俺たちの作戦部屋なんだ」
少年のような表情で、彼は重厚な扉を押し開けた。
次の瞬間、思わずまぶたが揺れる。暗いはずの地下室に、想像以上に柔らかな光が広がっていたからだ。
中には大きな木の机がひとつ。その上には地図や書類が丁寧に並べられ、壁には何かの作戦用らしき布地。自作と思われる棚には、魔道具や書物が整然と並べられている。
雑多な印象。けれど、“人の手”のぬくもりは確かに感じられた。
「……秘密基地、というやつかしら」
ノエルは振り返り、少し照れたように笑った。
「まあ、そういうの、男って憧れるからさ」
地下だというのに、不思議と空気が澄んでいるように感じられる。閉じ込められた場所ではなく──積み重ねられた時間と、小さな努力の痕跡がある空間。
(ここで彼は、誰かと共に……あるいは、一人で夢物語を現実にしようともがいてきたのね)
ふと、胸の奥に小さな熱が灯る。
(そして私は、今その一員になろうとしている)
自覚とともに、静かな決意が芽生える。この場所に立つということは、ここに生きる“人々”を知るということ。
ノエルは、私をその輪の中に迎えようとしている。
(──なら、私は)
(貴族としてでも、断罪された令嬢としてでもなく……“私”自身の目で、彼らを見定めよう)
私は最後の一段を踏みしめ、扉の向こうへと足を踏み出した。
* * *
部屋に足を踏み入れた瞬間、真っ先に目を引いたのは──
奥の一角に、静かに立っていた“彼女”だった。
──銀白の髪。
エルフではあまり見かけないその色は、淡い魔光を受けて、まるで月の光のように静かに煌めいている。
腰まで伸びた髪は丁寧に束ねられ、整った姿勢のまま、彼女は無言で一礼した。
その目が、私を捉える。
柔らかいわけではない。けれど、そこに敵意はなかった。むしろ“静かな警戒”とでも言うべきだろうか。氷のように澄んだその瞳に、私は真正面から見据えられていた。
(……エルフ)
王都で目にしたことは何度もある。
市場で。屋敷の裏手で。教会の厨房で。
どれもこれも、鎖につながれ、うつむき、命令を待つだけの“道具”のような存在だった。
だが、目の前の彼女は明らかに違う。
その所作には、自らの意志と矜持が感じられた。そしてその瞳は、私を“測る者”の目だった。
「彼女はエルミア。見ての通り、エルフだ。エルミア、彼女はフレデリカ──……俺の、妻だ」
その言葉には、ごくわずかな“間”があった。ためらいというほどではない。けれど確かに、口にする前にほんの一拍、言葉を選ぶ気配があった。
(……まあ、私も同じだけど。やっぱり“妻”って、まだ少し他人事みたい)
その紹介を受けて、エルミアが静かに一歩、前へ出る。
「あなたが、ノエル様の伴侶ですか」
その声はよく通るのに、不思議と静かだった。
問いというより、確認。儀礼的な響きの裏に、確かに鋭いまなざしが潜んでいた。
(試されてる……)
そんな気配が、確かにあった。
「……一応、そういうことになるわね」
私もまた、静かに応じる。
言葉の表面をなぞるように答えたのは、彼女の“立ち位置”を見極めようとしていたからだ。
この空間で、彼女がどれほどの重みを持つ存在なのか──それは、直感でわかっていた。
「これから先、隣に立つ方なのですね」
それは問いではなかった。当然のこととして語られた、静かな断定。
けれどその瞳には、私が“ノエルの隣に立つ資格”を持つかどうか、見極めようとする光が宿っていた。
(……この人は、ノエルのことを本気で信じている)
だからこそ、誰であろうと無条件に受け入れたりはしない。彼の隣に立つ者に相応しいか。覚悟があるか。その在り方が信じられるか。
彼女はその全てを、たった今、私の中に探ろうとしている。
「……ノエルは、慕われているのね」
気づけば、私はそう口にしていた。
もう、警戒も探りもなかった。ただ、彼女のまっすぐな忠誠に、自然と敬意がにじみ出たのだ。
「まあ、長い付き合いだからな」
ノエルが肩をすくめて言ったその瞬間、彼女の横顔がかすかに揺れた。
──頬が、わずかに赤くなったのが見えた。
「し、慕っ……こほん。ノエル様の助手のエルミアです。よろしくお願いします、フレデリカ様」
咳払いで誤魔化しながらも、きちんと名乗り直すその姿は、どこか可愛らしかった。
「よろしくね、エルミア」
その言葉は、ごく自然に口をついて出ていた。
“エルフに挨拶する”──かつての私には、決してありえなかったこと。
けれど今はただ、目の前の彼女を“対等な存在”として感じていた。
(……ああ、そうか)
この人は、“誰かに仕える”ためにここにいるのではない。自らの意志で、ノエルの隣に立つことを選んだのだ。
私は、そういうエルフを知らなかった。
王都では決して出会うことのなかった、“誇りを持って生きる存在”──その姿が、今、目の前にある。
ふと、視線が再び彼女の髪に留まった。
「……銀色の髪のエルフもいるのね。王都では、金色の髪しか見たことがなかったから」
何気なくそう言ったつもりだった。けれど、その一言のあと、場に少しだけ気まずい空気が流れた。
(……何か、まずかったかしら?)
そう思いかけたところで、ノエルが口を開く。
「エルフの中で銀髪は迫害の対象なんだ。詳しくはまた今度話すけど、エルミアがここにいる理由のひとつでもある」
「なるほど。無神経なことを聞いてしまったわね。ごめんなさい」
謝りながらも、私はなぜか自分のことを思い出していた。
──王都から追放された令嬢。
似ているとは言えない。けれど、どこかで──無意識に、重ねてしまう自分がいる。
「……でも、私は銀髪、綺麗だと思うけれど?」
だからというわけではないけれど。それでも、これは紛れもない本心だった。
その言葉に、エルミアが一瞬、驚いたように目を見開く。
「……ノエル様と、同じことを言うのですね。あなたは」
ぽつりと、そう呟いたあと──彼女はすっと距離を取って、ノエルの隣に戻った。
その一連の動きに、余計な感情の起伏はない。
けれど、先ほどよりわずかに、その瞳の色が柔らかくなっていた気がした。




