表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追放令嬢と異種族と、辺境領で理想の国づくりを始めました  作者: 宵宮ミレ
第2章「悪役令嬢、辺境に堕つ」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

25/54

24話「体ではなく心を」

 しばらくの沈黙ののち──ようやく、彼女の唇がわずかに動いた。


「……知りたいって、どういう意味ですの?」


 その問いかけは静かで穏やかだったが、奥底に潜んでいる警戒は隠しきれていない。

 

 けれど、先ほどまでの張りつめた“覚悟”とは、少し違っていた。

 

 そこには、ほんのわずかに──戸惑いの色が混じっていた。


 俺はその視線をまっすぐに受け止めながら、息を整えてから言葉を選ぶ。


「君と、ちゃんと話をしておきたかったんだ。……なし崩しに、結婚したからさ」


 その一言に、フレデリカの表情がわずかに揺れた。


 視線を伏せ、ひとつ深く息を吐く。そしてまた、ゆっくりとこちらを見つめ返してくる。


「……なるほど? じゃあ、“価値のある夜”というのは?」


 まだ棘が残る声音。

 

 けれど、それは攻撃のためのものではなかった。

 

 疑いと、期待と、ほんの少しの希望がないまぜになったような響きだった。


 俺はごまかさず、飾らず──ただ、正直に言葉を返す。


「お互いのことを、少しでも知れれば──それだけで、俺にとっては十分価値があると思ってる」


 たったそれだけのこと。けれど、今この状況でそれを口にするには、少しばかりの勇気が必要だった。


 フレデリカは、わずかに目を見開いた。


「……私は、貴族の──妻としての務めを果たす覚悟でここにいますの。それを、踏みにじるおつもり?」


 声は落ち着いていた。だが、その瞳の奥には確かに迷いが見えた。

 

 恐れているというより、今まで信じてきた“正しさ”が揺さぶられている──そんな不安定さ。


「踏みにじるなんて、そんなこと思ってないよ」


 俺はそっと首を横に振り、できるだけ優しく続けた。


「君の覚悟を否定する気はない。ただ……俺自身が、まだ戸惑ってるんだ。こうして形式だけが先に進んで、気持ちが追いついてないっていうか……頭じゃ理解してても、身体がついてこない。そんな感覚なんだよ」


 こんなふうに打ち明けるのは、情けないかもしれない。でも、これが今の正直な自分だった。


「せめてこの部屋の中では、肩書きや責任じゃなくて──“フレデリカ”というひとりの人間として、ちゃんと向き合いたい。……それに、君には……興味があるんだ」


 フレデリカは目を伏せ、しばらく黙っていた。

 

 ただ静かに、膝の上で指を組み直し、細く長い呼吸を繰り返す。

 

 その仕草のひとつひとつが、慎重で、繊細で──まるで、自分自身と対話するかのようだった。


 やがて──


 ほんのわずかに、彼女の唇がゆるんだ。


 それが“笑み”だったのか、“安堵”だったのかは、分からない。

 

 けれど確かにその瞬間、仮面の奥からふっと顔を出した、素の彼女の気配があった。


 夜は、まだ深く。

 

 そしてこの会話は、ようやく、始まったばかりだった。

 

 * * *



 沈黙のあとに生まれた空気は、さっきまでとは少し違っていた。


 張りつめた緊張の糸が、ほんのすこしだけ緩んでいる。

 

 隣に座るフレデリカは依然として姿勢を崩さなかったが、その目元には、先ほどよりもわずかに──やわらかさがにじんでいた。


 俺は、ふと口を開く。


「……長旅、大変だったろう? ああ、口調は崩してもらって構わない。ここには俺と君しかいないからさ」


 言いながら、彼女の表情を窺う。

 

 この屋敷に来てから、まだほんの数日。初対面、初夜、そしてこの密室――気を張っていないはずがない。


「お気遣い痛み入りますが、私はこのままで構いませんわ。言葉遣いは、そう簡単に崩せるものではありませんので」


 凛とした声。さすがは公爵令嬢というべきか。


 だが、それでも俺は一歩踏み込んだ。


「……でも俺は、素の君と話してみたい。誰でもない、君自身の言葉でさ。じゃないと相互理解が深まらないだろ?」


 一瞬、沈黙が落ちる。彼女は視線を伏せ、わずかに眉を寄せた。


 やがて――


「……そこまで言われては、お断りするわけにもいきませんわね。でも――後悔しても知りませんわよ?」


 その言葉に俺がうなずくと、フレデリカはわずかに口元をゆるめ、小さく吐息をこぼす。そのまま視線を戻し、ほんの少しだけ、肩の力を抜いた。


「……じゃあ、お言葉に甘えるわ。馬車の揺れには慣れてるけど……それでも、さすがにちょっと疲れたわね」


 語尾が、わずかに鋭く崩れる。

 

 そこにあったのは、さっきまでの“気取った貴族”ではない。

 少しだけ尖った、けれど確かに素の彼女の響きだった。


「そうか。王都からだと……二十日近くかかるもんな、この辺境の領地」


「ええ。街道の舗装も整ってないところが多くて……とにかく揺れたわ」


「……道の整備は、目下の課題です」


 思わず苦笑してしまう。けれど、そんな他愛のないやり取りこそ──今は、ちょうどいい。


「王都って、どんなところなんだ?」


 素直な疑問だった。俺はこの領を出たことがほとんどない。


「……賑やかよ。賢者の塔に、旧王宮の庭園。市場や劇場、それに舞踏会も。夜になっても明かりは絶えない。欲望と虚飾の街、って言えば少し格好がつくかしら」


「それは……ちょっと怖い表現だな。やっぱ、立場上いろいろ見えてたのか?」


「まあ、ね。何も知らなければ“華やかな都”で済んだかもしれないけど。私には、そうは見えなかった」


 その一言には、どこかにじむものがあった。


「ノエル様は王都に?」


「一応、夫婦になったんだから“様”はいらないって。……恥ずかしながら、行ったことはないんだ。だから興味はある」


「ふふ……そう。じゃあ今度、旅先として行ってみるといいわ。後ろ暗いところも多いけれど、観光資源には困らない街だから。楽しめると思うわよ?」


 私はもう行けないけど、とどこか遠くを見るような口調。

 

 軽やかに見せかけたその言葉の奥に、わずかな諦観がにじんでいた。

 

 でも──ほんの少しずつ、“素”の彼女が顔をのぞかせている。


「君のことも、少しだけ調べさせてもらった。なんでも王都の学園では──灰燼の乙女メイデン・オブ・アッシュとまで呼ばれた才女だったそうじゃないか」


「……その2つ名はやめて。炎で全てを灰にしたとか、野蛮すぎるわ。年頃の乙女につける呼び名じゃないでしょう?」


 唇を尖らせ、少し不機嫌そうに言う彼女に──俺は初めて、年相応の少女の顔を見た気がした。


「確かに。俺も最初に見たときは、なんて物騒な2つ名だと思ったよ」


 自然と笑みがこぼれる。

 少しずつ──確実に、距離が近づいている。


 ──そろそろ、核心に触れてもいいだろうか。


「……君の件、王都での裁判記録も読んだ」


 空気が変わった。しんとした沈黙が、部屋の温度すら下げた気がする。


「──あれは、真実なのか?」


 フレデリカの指先が、わずかに震えた。

 

 言葉を探すように、けれどその唇はしばらく閉ざされたままだった。


「……聞き方を変えよう」

 

「この短い時間でも、君と接してみて……正直、記録と一致しないことばかりだった。いや、むしろ記録を読んだ時点で、もう“おかしい”とは思ってた」


 長く、深い呼吸ののち。

 

 彼女はようやく口を開く。


「……まさか、聞かれるとは思わなかったわ。ここに来るまで、味方なんてひとりもいなかったのに」


 小さく笑って、手にしたグラスを軽く揺らす。琥珀色の液体が照明を受けてきらめいた。


「でも──そうね。お酒の入った妻の戯言として、旦那様に少しだけ愚痴らせてもらおうかしら」


 ぽつりと落とされた声は、乾いた静けさを帯びていた。


「全部、身に覚えのないことだったわ」


 その声は、氷を擦るように淡々としていた。


「証人も、証拠も……最初から“用意されていた”の。私が何を言っても、誰が何を訴えても、最初から“結論”だけが決まっていた」


 俺は静かにうなずいた。


「──不要になったから、捨てられた。都合のいい厄介払いってわけか」


「……ほんと、言い得て妙ね」


「やっぱりな」


 あえて軽い調子で言うと、フレデリカが目を見開いた。


「……なによ、その反応」


「あれを読んで、本気で信じる方が難しいよ。うん、俺は信じる。君のことを」


 真っ直ぐに、言葉を返す。彼女は──言葉を失ったように、こちらを見つめていた。


「……お酒が入ってるから。これ、ただの世迷い言かもしれないわよ? それでも信じるの?」


 わずかに震えたその声音。心のどこかで、まだ信じることを恐れているようだった。


「うん。むしろ、あれが“全部本当”だったとしたら──そっちの方がよっぽど怖い」


「どういう意味?」


「だって、記録通りだったらさ──“嫉妬深くて常識知らずの箱入り娘”、魔力と知能だけは高い、制御不能のじゃじゃ馬が俺の嫁になるってことだろ? それは……さすがに、勘弁だ」


 おどけてそう言うと、フレデリカは一瞬ポカンとした顔をして──

 

 ふっと、肩を揺らして笑った。


「ふふ……確かに。想像しただけで、気苦労が絶えなさそうね」


「だろ?」


 ──笑い合ったのは、これが初めてだった。


 ようやく本当の意味で、“ふたりきり”になれた気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ