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追放令嬢と異種族と、辺境領で理想の国づくりを始めました  作者: 宵宮ミレ
第2章「悪役令嬢、辺境に堕つ」

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23話「初夜、ふたりの境界線」

 静かに、扉をノックした。


 音は、すぐに静寂へと吸い込まれた。明かりの漏れる部屋の前で、俺はただじっと、返事を待つ。


 やがて──ほんの一拍の間を置いて、内側から声が返ってきた。


「……どうぞ」


 控えめで、けれどしっかりとした声音だった。

 

 その響きには、緊張と覚悟、そして……かすかに、張り詰めた諦念のようなものが混じっていた気がする。


 ゆっくりと扉を開ける。


 照明は落とされ、壁際に据えられたランプの灯りが、部屋の空気をやわらかく染めていた。

 

 金色の光が、深紅の絨毯とカーテンに溶けて、まるで夜の湖面のような静謐さを演出している。


 その中心に──彼女はいた。


 椅子に腰をかけ、背筋を伸ばしたまま、俺をまっすぐに見ていた。纏っているのは、貴族としての礼節を保った就寝前のナイトドレス。

 

 肌の露出は控えめだが、それでも滲み出る気品と女らしさが、彼女の佇まいに確かな存在感を与えていた。


 深紅の髪は丁寧に結い上げられ、襟元には繊細なレースの装飾。王都育ちの貴族令嬢としての矜持が、そのひとつひとつに表れていた。


「遅くに失礼」


 俺が声をかけると、彼女はゆるやかに立ち上がり、わずかに頭を下げた。


 表情は変わらず静かで──けれど、どこか張りつめていた。


 部屋の奥には、二人の侍女が控えている。ひとりは見覚えのある彼女の侍女。名はたしか、セシリア。もうひとりは、うちのメイドのクロエだ。


 貴族同士の初夜では、互いの侍女が“証人”として部屋に同席するのが通例だ。これは単に護衛や補佐のためだけではない。

 

 たとえば──何も起きなかった夜を証言するための保険でもあり、逆に、望まぬ行為があった際にそれを告発するための“監視”でもある。


 とりわけ、あちらの侍女……セシリアの目つきは厳しかった。

 

 まるで、俺が今にもフレデリカを無理やり押し倒すつもりでいるかのような、剣呑な視線。


 ……無理もない。


 高位貴族の令嬢として、王都で暮らしていた少女が、突然の追放。その果てに、辺境の片田舎で、見ず知らずの男と結婚させられた初夜の晩だ。

 

 その心中を思えば、俺がここに立っているだけでも、相当な屈辱なのかもしれない。


 部屋には、重たい沈黙が満ちていた。


 クロエですら、どこか居心地悪そうに視線を伏せている。


 ──初夜。


 言葉の響きが、やけに生々しく胸に残る。俺はゆっくりと一歩を踏み出し、足音を立てぬよう、部屋へと入った。


(さて……どう切り出すべきか)


 口火を切れば、流れはできる。けれど──その言葉ひとつで、今夜の空気は良くも悪くも変わってしまう。


 緊張と気配と、沈黙と。夜の部屋には、まだ冷えた重みが漂っていた。

 

 * * *


「……まずは一杯、どうかな」


 沈黙を切り裂くように、俺は口を開いた。


 無論、ただの気まぐれではない。

 

 目の前の彼女がいかに緊張しているかは、声や所作を見ればすぐにわかる。その空気が、否応なくこちらにも伝染していた。


 ──形式的な初夜の場。

 

 だが、互いに壁を作ったままで夜を迎えるのは、どうにも性に合わなかった。


「クロエ、例の地酒を持ってきてくれ」


「はい、旦那さま」


 控えていたクロエが、すっと身を引くように小机へと向かう。陶器の酒瓶と、小ぶりなグラスが2つ。


「……地酒、ですの?」


 フレデリカが、わずかに眉を上げた。

 

 不快ではない。だが、少なくとも好意的とは言えない表情だ。そのわずかな揺れに、彼女の警戒心と戸惑いがにじんでいた。


「この領の北側、山麓の村で最近作り始めたやつだ。もともとは井戸水の評判がよくてな。酒造りに向くんじゃないかって勧められて……少し出資してみた。まあ、趣味みたいなもんだよ」


 言いながら、俺もひとつグラスを手に取る。ほのかに琥珀色がかった液体が、ランプの光を受けて、金色の揺らめきを生んでいた。


 フレデリカもグラスを取り、静かに香りを確かめてから、唇をほんのわずか濡らす。


「……王都では、このような風味のものは見たことがないですわね」


「だろうな。けど、正直に言っていいよ。……味、どうだった?」


 一拍の沈黙のあと、彼女は少しだけ視線をずらして、俺に向き直る。


「洗練されているとは言いがたい。でも──素朴な温もりがある」


 その言葉に、肩の力がふっと抜ける。張り詰めていた空気が、少しだけやわらぐ音がした気がした。


「やっぱ、そうか。俺も最初に飲んだとき、似たような感想だったよ。……どこか不器用で、荒削りだけど、まっすぐな味がしてさ」


「ふふ……少し、わかる気がします」


 口元に、微かに笑みが浮かぶ。笑ったというほどではない。けれど、それでも――この場においては十分すぎる変化だった。


「王都じゃ、やっぱりもっと華やかな酒が流行ってるのか?」


 俺の問いかけに、彼女は再びグラスを傾けながら、静かに目を伏せる。


「最近は……蜂蜜を加えた果実酒が主流ですわね。軽やかで飲みやすくて、瓶の装飾やラベルも凝っているの。まるで宝石のような輝きの瓶もあります」


「なるほど。まるで“贈るための酒”って感じだな」


「まさにその通りです。贈り物に人気ですわ。……飲むことより、飾ることが目的になっているものもあるくらい」


「へえ、空瓶を残すって文化は知らなかった」


「中には“あのブランドの空瓶で部屋を飾る”のが流行った時期もありましたのよ。……貴族の遊びで」


 微笑ましさと皮肉を半分ずつ混ぜたような口調。その一言で、どこか王都の空気と距離を取っているように感じられた。


「フレデリカは……お酒、強い方?」


「嗜む程度には。公の場では好んで飲んでいましたけれど、酔い潰れるようなことはしたことがないですわね」


「つまり……飲ませても面白くないタイプだな」


「ふふ、それはどうかしら。……酔ったふりくらいなら、演技でどうにでもなりますわよ?」


「そっちのほうが怖いな」


 そんなやり取りが続くうち、ほんの数分前まで部屋を覆っていた冷えた緊張が、少しずつ溶けていく。

 

 グラスの中身が減るにつれ、言葉が自然に往来し始めていた。


 それでも、互いの目の奥には、まだ探るような光が残っている。当たり前だ。今日が、初夜であり──出会って初めての夜なのだから。


 ……だからこそ。この流れを、どこかで本題に持ち込む必要があった。


 だがそれは、無粋に切り出すべきものではない。


 今はまだ、このささやかな会話の余韻を――もう少しだけ、味わっていたかった。

 

 * * *


 グラスに残った酒をそっと飲み干し、卓に戻す。


 そのまま、視線を落としたまま、俺はゆっくりと口を開いた。


「──ところで」


 言葉に、微かな重みを乗せる。先ほどまでの穏やかな空気をわずかに揺らし、温度をひとつ、下げるように。


「今夜は……君と、ふたりきりになれたらと思っている」


 その一言に、空気がすっと張りつめた。


 フレデリカの指先が、グラスの縁をなぞっていた動きを止める。わずかに見開かれた双眸が、こちらを射るように見つめた。


 だが、彼女が何かを返すより早く──背後から鋭い声が飛ぶ。


「……新婚初夜に侍女の同席を外すなど、常識に反します」


 セシリアだ。

 

 声色は冷静そのものだが、その奥には明らかな警戒と、怒りにも似た感情がにじんでいた。


「たとえご成婚後であっても、今夜のような晩におふたりきりなど──公爵令嬢として、到底許されることではございません」


 その言葉には、長年仕えてきた者としての矜持がこもっていた。この場で下手に強く出れば、彼女の反発はますます強くなる。俺は、一呼吸置いてから口を開いた。


「……無理は言わないさ。田舎領主の戯言だと思ってくれて構わない。だけど──悪いようにはしない。それだけは約束するよ」


 真っ直ぐに、フレデリカを見る。その瞳の奥に、俺の言葉が届いていることを願って。


 しばしの沈黙。

 

 部屋の空気が、目に見えない糸のように張りつめていく。


 やがて──フレデリカがゆっくりとセシリアへ視線を向けた。


「……外で待っていて、セシリア」


「お嬢さま……!」


 声がわずかに震える。忠義と不安、そして怒りがせめぎあっているのが伝わってくる。


「私がそう望んでいるの。大丈夫よ。なにがあっても──平気だから」


 毅然とした声。けれどその裏には、かすかな戸惑いもあった。


 それでも、フレデリカは視線を逸らさなかった。

 

 まっすぐに、俺を見て──逃げなかった。


 セシリアは悔しげに唇を噛みしめ、それでも従者としての誇りを忘れずに、一礼する。


「……何かあれば、すぐに戻りますからね」


 その瞳には、明確な牽制の色があった。俺を鋭く睨みつけたまま、背を向けて部屋を出ていく。


 続いて、クロエも静かに頭を下げ、そっと扉を閉めた。


 カチリ、と施錠の音。


 それだけで、空気が変わった。


 部屋には、俺とフレデリカ──ふたりきり。


 沈黙が濃密に降りてくる。吐息すら耳に届きそうな静けさ。

 

 彼女は微動だにせず、ただこちらを見つめていた。

 その瞳に宿るのは、覚悟と、わずかな揺らぎ。そして……まだ読みきれない感情。


(……さて)


 緊張と沈黙のあいだで、俺は言葉を選びながら、ゆっくりと彼女の隣へ歩み寄った。


 * * *


 沈黙のなか、俺はそっと立ち上がった。


 その動きに、フレデリカの瞳がかすかに揺れたのを見逃さなかった。

 

 けれど彼女は姿勢を崩さず、膝の上に揃えた両手を、きゅっと握りしめたままだ。


「……座ってもいいかな?」


 ベッドの縁を指しながら問いかけると、彼女はわずかに目を伏せ──こくり、と小さくうなずいた。


 ただそれだけの仕草なのに、妙に心臓が跳ねた。


(落ち着け。焦るな)


 自分に言い聞かせながら、ゆっくりと息を吐き、俺はベッドの端に腰を下ろす。


 距離は、腕一本ぶんもない。手を伸ばせば、届いてしまう近さだった。

 

 それなのに、わずか数十センチの隙間が、氷の壁のように遠く感じられた。


 隣に座るフレデリカは、まっすぐ前を見つめたまま、ぴんと背筋を伸ばしている。まるで、絵画の中にいる令嬢のように、凛として、崩れない。


 肩越しに、ほんのりと甘く上品な香りが漂ってくる。呼吸が浅くなっているのは、きっと気のせいじゃない。

 

 それでも彼女は、目を逸らさず、言葉ひとつ発しようとしなかった。


 ──本当に、覚悟を決めているんだな。


 その横顔を見ていると、胸が締めつけられるような感覚に襲われた。そして、黙っていることが、どうしてもできなかった。


 俺は肩の力を抜き、小さく笑ってみせる。


「そんなに構えなくていいよ。……お互いにとって、価値のある夜にしよう」


 あくまで穏やかに、冗談のように。


 けれど──その一言にフレデリカの肩がぴくりと震えた。


 ぴしりと、空気が張りつめる。


 彼女は何も言わなかった。ただ、座ったまま微動だにせず、沈黙の中でそれを受け入れているように見えた。


 覚悟なのか、諦めなのか。

 

 その表情は読み取れなかった。

 

 だが、少なくとも、俺の意図とはズレていたのは間違いない。


(……やっちまったか)


 内心で頭を抱えつつ、俺はそっと体をずらし、彼女との距離を少しだけ広げた。

 

 そのまま、ベッドの柱に背を預けて、静かに天井を見上げる。


 照明は落とされ、薄明かりが天井をぼんやり照らしている。その光景が、妙に落ち着かせてくれた。


「……君を、知りたいんだ」


 ぽつりと漏らすように、言葉を落とした。


 フレデリカは、最初は反応を見せなかった。

 

 だが、やがてゆっくりと──ほんのわずかに、こちらを振り向く。


 その瞳には、意外そうな、けれど完全な拒絶ではない、戸惑いが宿っていた。


 この夜は、まだ始まったばかりだ。

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