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追放令嬢と異種族と、辺境領で理想の国づくりを始めました  作者: 宵宮ミレ
第2章「悪役令嬢、辺境に堕つ」

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21話「レイフィールドの地に降り立つ者」

 ぎしり──。

 

 木製の軸が乾いた音を立てた。馬車の車輪が最後の泥を跳ね上げながら、静かにその動きを止める。

 

 その音は、長い旅路の終わりを告げる鐘のように、空気に滲み込んでいった。


 御者が黙って前へ回り込み、扉へと手を伸ばす。金具に触れる指先が微かに揺れ、ひと呼吸ののち──扉が、重くゆっくりと開かれた。


 そして、彼女は現れた。


 (……これが、フレデリカ・フォン・ホーエンヴォルン!)


 名を胸中で呼んだ瞬間、わずかに喉が鳴った。空気が、変わったのだ。まるで雷の前触れのように、場がほんの一瞬、凛と引き締まる。


 燃えるような(くれない)の長髪が、光を受けて緩やかに波打つ。

 

 琥珀色(アンバーゴールド)の瞳は静かで──凪のように澄んでいた。

 

 だが、その奥底には鋼にも似た決意が、確かに存在しているのがわかった。


 美しい。だが、それだけでは到底言い尽くせない。気品と威厳をまといながらも、過剰な飾り気はない。冷たさではなく、ただ“強さ”がそこにあった。


 彼女は肩肘を張らない。声も張らない。それでも、一歩踏み出すだけで──“場の空気”が変わる。

 

 誰かに認められなくとも、自らが自らを支えて立っている。そういう気配の持ち主だ。


 (……やっぱり、資料だけじゃ測れないな)


 俺は思わず口元を引き締め、片眉を上げる。

 

 最悪の予想──虚飾にまみれた“王都のわがまま令嬢”という像は、目の前の彼女とあまりにかけ離れていた。

 

 威圧感ではなく、存在感。


 虚飾ではなく、信念の匂いがした。


 彼女は、まだ一言も発していない。

 

 それでも──まるで、この地に吹き込まれた新しい風。息を呑むような存在感が、確かにそこにあった。

 

 * * *


 我に返り、ゆっくりと呼吸を整える。背筋にまだ余韻が残っていた。


 (……しょっぱなから飲まれてどうする)


 心の中で自嘲し、努めて平静を装いながら口を開いた。


 「ようこそ、レイフィールド領へ。ホーエンヴォルンのお嬢さま。田舎者ゆえ、不作法はご容赦願いたい」


 冗談めかして頭をかく。

 

 けれど、泥の跳ねた作業着に、乱れた黒髪。どう見ても貴族の令嬢を迎えるには程遠い見た目だ。まさかこんな格好のまま出迎えることになるとは、我ながら想定外だった。


 案の定、馬車の傍らに立つ侍女は、あからさまに眉をひそめている。その反応は当然だろう。いや、むしろ今の自分が「領の顔」として立っていることにすら申し訳なさを覚える。


 ──だが。


 肝心の本人は、まったくと言っていいほど動じていなかった。


 フレデリカ・フォン・ホーエンヴォルン。

 

 彼女はただ、じっと俺を見ていた。


 睨むでもなく、見下すでもなく。

 

 値踏みするでもなければ、距離を置くそぶりもない。

 

 ましてや、王都の貴族にありがちな、あの鼻につく“上から目線”などどこにもなかった。


 (……見透かすような目つきだ)


 俺という人間の表層ではなく、その奥を覗き込むような──そんな視線だった。

 

 まるで、出会いの第一声に本質が宿ることを知っていて、それを正面から受け止めてくれているような。


 彼女の中で、泥や作業着や立場は、評価基準ではなかったのかもしれない。


 「……いえ。先ぶれも出せなかったこちらの落ち度ですわ。どうぞ、お気になさらず」


 返された言葉は、簡潔で、芯があった。威圧でもなく、卑屈でもない。彼女の中にある“品”が、言葉の端々から自然と滲んでいた。


 ──ああ、やっぱりこの女は違う。


 最悪の想像をしていた“王都のわがまま令嬢”とは、明らかに別物だ。名家出身の貴族令嬢という肩書きだけで、彼女を判断するのは愚かだった。


 俺は、小さく──気づかれぬように、安堵のため息をついた。


 * * *


「歓迎の気持ち、ありがたく頂戴いたしましたわ」


 そう告げると同時に、彼女は一歩、こちらへと歩みを進めた。泥にぬかるむ地面も、風に乱される裾も意に介さず、まっすぐに。


 スカートの裾を両手で優雅に広げ、まるで舞台の一幕のような所作で、丁寧に身を沈める。

 

 だが、その所作に過剰な演技はなかった。まるでそれが“日常”であるかのように、ごく自然に、染みついているのだ。

 

 生まれや育ちといった肩書きではなく、時間の中で培われた気品と矜持──その一端を感じさせた。


「ホーエンヴォルン家長女、フレデリカ。此度の婚姻に伴い、レイフィールド領へと参上いたしました」


 声は凛としながらも張りつめすぎず、淡々とした中に確かな温度を含んでいる。冷たくもなく、媚びるわけでもなく、決して軽くもない。

 

 “自分”という輪郭を完璧な距離感で示してくる──そんな印象だった。


 そのまま、彼女の視線が俺に向けられる。揺るがない、まっすぐな眼差しだった。


 ──こちらも、応えなければなるまい。


「俺は、レイフィールド家次期当主──ノエル・レイフィールド」


 少しだけ肩をすくめ、右手を持ち上げかけて……やめる。


「……手が汚れてるんで、握手は勘弁してくれ」


 軽口のつもりだった。だが彼女の表情は、まったく変わらなかった。


「……お気遣い、感謝いたしますわ」


 そう言って、彼女はほんのわずかだけ顎を引き、控えめな会釈を返した。笑いもしなければ、あきれた様子も見せない。


 (……冗談が通じないのか。それとも、“その程度”じゃ笑わないだけか)


 判別はつかない。だが、悪くなかった。安っぽい愛想笑いや取り繕ったリアクションより、よほど誠実に思える。

 

 そういう人間は──“中身”がある。


 そのとき、背後から穏やかな声がかかった。


「長旅、お疲れでしょう。お嬢さま、お部屋をご案内いたします」


 カルラだった。

 

 言葉も振る舞いも的確で、俺が最も頼りにしている老メイドだ。


 フレデリカは、声の主を一瞥すると、ただ軽く頷いた。その仕草すらも無駄がなく、隙もない。どこまでも整っていた。


 ──こうして、俺とフレデリカ。ふたりの“物語”は、誰に告げられるでもなく、静かに動き出した。

お読みいただき、本当にありがとうございます。

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