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追放令嬢と異種族と、辺境領で理想の国づくりを始めました  作者: 宵宮ミレ
第2章「悪役令嬢、辺境に堕つ」

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19話「聖女の涙と、炎の令嬢(side:フレデリカ)」

 side:フレデリカ


 馬車の車輪が、ぐしゃりと泥を踏んだ。

 

 続けて、ぎい、と木材が軋む音。窓の外には、灰色の空と未舗装の街道が延びている。舗装という概念がこの地には存在しないとでも言うように、ぬかるみと起伏が行く手を揺さぶり続けていた。


 それでも、フレデリカ・フォン・ホーエンヴォルンは動じなかった。


 揺れる馬車の中で、彼女は背筋をぴんと伸ばし、ただ静かに外を見つめている。


 結い直す暇もなくほどけた炎のような赤髪は、肩に流れ、旅の埃をうっすらとまとっていた。

 

 肩を覆う外套は裾が擦り切れ、泥が跳ねている。上質な布ではあるが、着古したことは一目で分かった。


 だが、その身なりに反して、フレデリカの眼差しは鋭く、怯えも曇りも一切ない。

 

 着古した外套も、ほどけた髪も──その気高さと美しさを損なうには、あまりに力不足だった。


 「……なるほど。地図で見るより、ずっと“国の果て”という感じね」


 ぽつりと呟いた言葉は、誰に向けたものでもなく、ただ旅の長さを噛み締めるような独白だった。


 王都を出て二十日近く。冷たい曇天の下、生ぬるい風が馬車の(ほろ)をかすかに揺らす。湿った空気に混じって、遠くで獣の鳴き声がかすかに聞こえた。


 そんな車内で、もうひとりの人物がそっと口を開いた。


 「おいたわしや……お嬢さま。すべて、濡れ衣だというのに」


 侍女のセシリア。

 

 茶髪を三つ編みにまとめた若い女性で、仕立ての古い帽子をちょこんと頭に乗せている。若々しい顔立ちではあるが、その仕草や視線には、長年仕えてきた忠誠と矜持がにじんでいた。


 旅の道連れは、御者と侍女セシリアの二人だけ。護衛すらつけられない──それが、今のフレデリカの立場を如実に物語っていた。


 「セシリア、付き合わせてしまって悪いわね」


 フレデリカは視線を外に向けたまま、わずかに口元だけを動かしてそう返した。


 「どうかお気になさらず。わたくしは、お嬢さまにどこまでもお仕えする覚悟でございます」


 「ありがとう。でも……私はもう、追放された令嬢なのよ」


 その言葉に、セシリアの顔がほんのわずかに曇った。


 「そんな……お嬢さまは、なにも──」


 「言っても詮のないことよ。王家の命令に逆らえば、お父様にも害が及ぶ。それだけは避けたかった」


 自嘲のように口元がわずかに緩む。だがその瞳は、どこまでも静かだった。


 ──それは、覚悟の目だった。


 馬車の揺れがひときわ大きくなる。フレデリカはそっと瞼を閉じた。まるで、過去の情景を手繰り寄せるように。


 そして、音もなく、彼女の心は遡っていく。

 

 あの王都の学園へ。

 

 断罪の場と、誇りを失った日の記憶へ──。


 * * *


 ──あの日。


 石造りの高天井には、重々しいざわめきと足音が鈍く反響していた。どこまでも冷たい空気が満ちるのは、王都学園の大広間。


 本来ならば舞踏会の幕開けを飾る、華やかさに満ちた祝祭の夜。

 

 だが今、その空間は“断罪”という名の劇場へと姿を変えていた。


 冷たい石の床に膝をつき、フレデリカ・フォン・ホーエンヴォルンは、ただ静かに俯いていた。

 

 声も上げず、抗弁もせず、周囲の熱気とは無縁の静けさをたたえて。


 ──まるで、舞台の中心に置かれた人形。

 

 そう形容するほかないほど、全ては芝居じみていた。あまりにも、完璧すぎる“段取り”だった。


「うっ……うう、わたくしは……ただ、フレデリカさまに好かれたくて……っ!」


 壇上でしゃくり上げながら涙をこぼすのは、“聖女”と讃えられる少女、リュシア。

 

 胸元をおさえ、体を小刻みに震わせるその姿は、“虐げられた可憐な乙女”の理想像そのものだった。


 だが──その双眸。

 

 その目だけが、冷めた獣のように鋭く光っていた。フレデリカは、それを見逃してはいなかった。


(……演技だけは、大したものね)


 それでも彼女は何も言わない。この場でどれだけ真実を語ろうと、意味などないことを悟っていたからだ。


 もうすでに、“勝者”と“敗者”は決められている。フレデリカはただ、芝居の幕が下りるのを待つしかなかった。


「フレデリカ、君は……王家の光にふさわしくない」


 静かに、だが確実に空気を切り裂くように、王太子レオンハルトの声が響いた。

 

 黄金の髪を揺らし、舞台の中心に立つその姿は、まるで英雄譚の騎士そのものだった。


 その眼差しには一片の迷いも慈悲もない。彼は、隣に立つリュシアの手を取り、冷ややかに宣言した。


「本日をもって、君との婚約を破棄する。代わりに、我が婚約者として“聖女リュシア”を正式に迎える」


 その瞬間、会場にざわめきが広がった。

 

 けれど、それは驚きではない。“喝采”だった。

 

 この瞬間を誰もが予期し、歓迎していたという空気──それこそが、フレデリカの胸を冷やした。


「レオンハルト殿下のご判断、正しいと思います!」


 最初に声を上げたのは、王国騎士団長の息子──ロイ・アーデン。

 

 屈強な体に騎士の礼装をまとったその青年は、単純で思い込みが激しく、女に弱い。今や、リュシアを“か弱き姫”と信じて疑わず、場違いなほど大声で彼女を擁護した。


「聖女殿を貶めるとは……まさに貴族の堕落ですね」


 続いたのは、ゼノ・ファルマス。

 

 学内屈指の魔術師であり、王立魔術団から在学中にスカウトされた唯一の生徒。誰よりも優れた才能と将来を持つが、同時に“保身と風見鶏”の申し子でもある。強い者に巻かれ、空気を読むことで生き残ってきた男は、冷静な顔でリュシアの正義を讃えた。


「このような人物が、これまで王子の婚約者であったとは……まったく遺憾ですな」


 最後に追い打ちをかけたのは、宰相の甥──ユリウス・ヴェスタリア。

 

 細身で知的な眼鏡をかけた彼は、一見穏やかな言葉遣いながら、毒を含ませるのが得意だった。出世の邪魔となるものは、切り捨てる。それが彼の処世術だ。


 ──誰一人、かばわない。

 

 誰一人、立ち止まって疑問を投げる者はいない。


 それが、この国の“答え”だった。


 実際のところ、フレデリカの“罪”など、取るに足らないものだ。

 

 王太子としての立場を気遣い、リュシアとの距離感をわきまえるよう忠言したにすぎない。

 

 平民とあまり親しくしすぎれば、王家の威信が損なわれる──そう警告しただけだ。


 だが、それは逆鱗に触れた。


(……誤算だったのは、聖女という肩書きと、レオンハルト様の私への興味の薄さ)


 フレデリカは、静かに天井を仰いだ。白く高い天井。そこには救いも正義もなく、ただ無慈悲な現実だけが突き刺さっていた。


 けれど、その所作は、何故かこの場の誰よりも美しかった。


 そんな彼女に向けて、断罪の鐘が鳴らされる。


 * * *

 

 騒ぎが一段落した後、壇上に姿を現したのは、王家直属の裁定官だった。


 銀糸を織り込んだ法衣に身を包み、感情の起伏ひとつない声で、淡々と罪状を読み上げていく。


「ホーエンヴォルン公爵令嬢、フレデリカ殿。汝に下る罪状は以下の通り──」


 その声が、大広間の高い天井へと静かに反響する。


「第一。聖女リュシア殿に対する、侮辱ならびに妨害行為」

 

「第二。王太子殿下への忠言を装った、不敬および越権の言動」

 

「第三。王家並びにルミナ教に対する、不遜かつ高慢なる態度」

 

「以上の罪状に関する沙汰は──追って下されるものとする」

 

 いずれも、誰が聞いても苦しい言いがかりに過ぎなかった。

 

 証拠の提示は曖昧なまま、証人として名を連ねたのは“リュシア側に与した少年たち”ばかり。

 

 そして何より──フレデリカ本人の言葉を求める者は、誰一人いなかった。


(……茶番ね)


 それでも、フレデリカの表情は崩れない。その双眸は冴え冴えと澄み、むしろ静かな怒りすら帯びていた。


 ──これが終わりなら、それでもいい。

 

 真実は、語る場所を選ぶ。届かぬ耳に向かって叫ぶ必要などない。


 朗読が終わると、裁定官は一歩引き、フレデリカの弁明を求める仕草を見せた。


 重く張りつめた沈黙のなか、フレデリカはゆっくりと立ち上がる。


 膝をついていたドレスの裾は、石の床の塵に汚れ、炎のような赤髪は乱れ、ところどころがほつれていた。


 だが──その立ち姿は、誰よりも美しく、気高かった。


「……罪状は、それだけでよろしいでしょうか?」


 場が凍りつく。

 

 静かで、怯えも怒りもない声。

 

 それはまるで、事務的な確認をするかのような、冷ややかな響きを持っていた。


「正直に申し上げれば、どれも記憶にございません。……けれど、受け入れましょう。そちらが“そうしたい”のであれば」


 神官がわずかに眉をひそめ、広間がざわつき始める。だが彼女は構わず、真っ直ぐに前を見据えたまま言葉を続けた。


「ただし──」


 一拍、空気が止まる。


「私は、自らの行動に、一寸の悔いもございません」


 静かに、しかし力強く。それは、誰にも屈さない者だけが持ち得る、気高さと誇りの宣言だった。


 嘘も、後悔も、演技もない。ただ己の信じる正義と矜持だけを胸に、フレデリカは立っていた。


 その姿に、一瞬だけ場の空気が変わる。

 

 誰かが息を呑み、誰かが言葉を失い、誰かが──ほんのわずかに、目を伏せた。


 フレデリカは何も言わず、静かに背を向けた。

 

 堂々と、広間の中心を歩いていく。

 

 誰にも縋らず、誰にも止められず、背筋を伸ばして。


 振り返らない。

 

 あの王太子も、聖女と崇められた女も、嘘に塗れた舞台装置のすべてを──後ろに残したまま。


 足音だけが、真実の余韻のように響いていた。


(──私は、私であることを曲げない)

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