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追放令嬢と異種族と、辺境領で理想の国づくりを始めました  作者: 冷凍食品
第1章「白銀のエルフと辺境の坊ちゃん」
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2話「森の奥、血の跡と銀の髪」

 朝の空気は、昨日より少し冷たかった。空は曇りがちで、木々の葉も湿気を帯びて重たく見える。


「今日も視察ですか、坊ちゃん?」


 木こりの兄ちゃんが声をかけてきた。俺はうなずきながら、作業場の横を通り抜ける。


「昨日、地形を見ていてさ。水源の位置が気になったから、もう1回確認しておきたくて」


「あー、あの奥のほうか。まあ、気をつけてくださいよ。あっちはまだ下見も終わってないですからね」


「うん。深入りはしない。見るだけ」


 口ではそう言いながら、足は昨日と同じルートをたどっていた。


(……別に確かな理由があるわけじゃないんだけどな)


 昨日、森で感じた違和感。風の音、気配の薄さ、ざわついた感覚が何故か頭に残っている。


 森の奥は相変わらず静かで、じめっとした空気が靴の中にまで入り込んできそうだった。枯れ葉を踏みしめる音だけが、自分の存在を主張している。


(昨日と同じルート。斜面を抜けて、くぼ地に出たあたり……)


 背の高い草をかき分けながら、一歩ずつ進んでいく。

 

 ──そして、そこで俺の目が止まった。


 地面の色が、違っていた。


 土の茶色とは明らかに異なる、濃い赤。点々と染みたように広がったその色は、雨で滲んだあともくっきりと残っていた。


 ──血だ。


 昨日はなかった。絶対に。


「……獣か……?」


 声が漏れた。返事は、当然ない。周囲に気配もなく、風が吹き抜ける音だけがやけに耳に残る。


 慎重に、赤い染みの先へ足を進める。


 ──そこに、それはいた。


 少女が、草の上にうつ伏せで倒れていた。身体を折り曲げるようにして、泥と血にまみれた銀色の髪が、かすかに陽を反射していた。


 服はところどころ裂け、背中には擦り傷。しなやかな筋肉の線と、浮き出た肋骨の細さが、彼女の命の軽さを物語っていた。


 最初は、死んでいるのかと思った。でも近づいて、ようやくわかる。胸元が、ごくわずかに上下している。


 ──まだ、生きてる。


 俺はひざをついて、そっと彼女の肩に手を伸ばした。反応はない。けれど、確かに体温がある。


「……どうして、こんなところに」


 意識はなく、返事もない。間近で見たその顔は、十代後半。俺より十歳ほど年上に見える。少なくとも外見は。


 細身で、頬が少しこけている。でも輪郭は整っていて、そして――耳が、長かった。


「……エルフ、か」


 すぐに分かった。人間じゃない。


 この国では、エルフなどの亜人は差別の対象だ。見つけたからといってすぐ罰せられるわけじゃないが、関われば奇異の目で見られる。


(見捨てるか?)


 一瞬だけよぎった考えを、俺は頭を振って否定した。目の前で尽きようとしている命を、ただ見過ごせるほど冷血じゃない。


 そもそも転生した俺の中には、亜人への差別意識なんて最初からなかった。


 彼女の手は冷たい。だが、指先がかすかに動いていた。


 助けを求めているのかどうかも分からない。

 

 けど、助けられるのは、今ここにいる俺だけだ。


 俺は立ち上がり、まわりを確認してから魔力を指先に集中させる。魔力が回復するだけでも、少しはマシになるだろう。


 制御は苦手だが、直接触れて流し込む分には問題ない。


「……少し、我慢しろよっと」


 魔力を流し込むと、彼女の身体がびくりと震えた。でも意識は戻らない。唇が小さく震えたようにも見えたが、声は出ないままだ。


 処置を終えると、俺は身体強化を使いつつ、そっと彼女の身体を抱き上げた。思ったよりも軽かった。まるで中身がすり減った人形みたいに。


(虐待か、差別による暴力か……いずれにせよ、ろくな事情じゃなさそうだ)


「とりあえず、うちまで運ぶか。……こっそり」


 誰に言うでもなく、そうひとりごちた。


 * * *


 屋敷に戻った頃には、ちょうど昼前くらいになっていた。昼食を準備する香りが、窓の隙間からわずかに漏れてくる。


 俺は裏口から入り、人目を避けて廊下を進む。慣れた手つきで物置部屋の扉を開け、棚の奥の仕切り板をずらす。


「……よし」


 地下への階段を降りる途中でランタンに火を灯す。かすかな光が、石壁にゆらゆらと映った。


 倉庫の奥にある床を手早く片づけ、シーツ代わりの布を敷く。慎重に、彼女を寝かせた。


 寝ているのか、気を失っているのか。それすら判別できないほど静かだった。


 額にはうっすらと汗がにじんでいる。俺は水の入った革袋を取り出し、口元を軽く湿らせてやった。

 

 それから、一度上に戻って取ってきた回復薬(ポーション)を、同じように少しずつ口から流し込む。


(こんな応急処置じゃ、焼け石に水かもしれないけど……)


 でも、何もしないよりは、ずっといい。


 古布をたたんで枕代わりにし、濡れたタオルで顔をそっと拭う。血と泥にまみれた肌の下から、思ったより幼い輪郭が見えてきた。


「……意識、戻るといいんだが」


 俺はその場に腰を下ろした。冷たい床の感触が、少しだけ現実を引き戻す。


 * * *


 その日はそのまま目を覚まさなかった。


 翌朝、地下室に降りると、少女――まだ名前も知らないこの子の呼吸は少しずつ安定していた。顔色はまだ悪いが、命の危機は脱したように見える。


「……静かだな」


 意味もなくつぶやいて、俺は彼女の顔を見下ろした。昨日より少しだけ、頬に色が戻っている気がした。


 表情は、ない。目も閉じたまま。けれど、不思議と“存在”は強く感じる。生きたいという本能が、空気に滲んでいた。


 そのとき、まぶたがかすかに震えた。そして、ごくわずかに――ほんの少しだけ、目が開く。


 淡い紫の瞳。

 

 こちらを見ているような、見ていないような、焦点の合わない視線。この大陸では基本的に共通言語が使用されているらしいので、言葉は通じるはず。

 

「……大丈夫か?」


 声が思ったより小さくなったのは、たぶん俺自身が緊張してたからだ。少女は一瞬だけ俺を見て、目を見開いた。警戒でも怯えでもない、むしろ……“諦めに似た”表情だった。


「安心しろ。危害を加えるつもりはない」


 そう言うと、少し気が抜けたのか、少女のまぶたがすっと閉じた。眠ったのか、少しだけ安心したからなのか。わからない。


「またあとで来るよ」


 そう声をかけると――少女が、ほんのかすかに、コクリと頷いた気がした。

お読みいただき、本当にありがとうございます。

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