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18話「花嫁は悪役令嬢!?」

ここから第2章になります。

よろしくお願いします。

 朝露の匂いが残る石畳を、木製の車輪がゆっくりと通り過ぎていく。

 

 村の入り口からまっすぐ延びた街道は、もはや“村道”と呼ぶには立派すぎた。整備された舗装道の両脇には、いくつもの露店が立ち並ぶ。干し肉、焼きたてのパン、手織りの布に乾燥ハーブ、蜜蝋細工──以前なら別の領に出向かなければ手に入らなかった品々が、今はこの辺境で当たり前のように売られている。


 「おまけしとくよ、坊や!」「母ちゃん、これ見て、見て!」

 

 小さな声と笑い声が重なる。人が集まれば自然と活気が生まれる。“市場”と呼ぶにはまだ素朴だが、今日もそこには確かな賑わいがあった。


 通りの隅、木製の簡素なベンチに座っているのは、小さな耳を伏せた獣人の少女だった。隣では、ヒューマンの少年が得意げに蜂蜜の瓶を掲げている。

 

 まだ数は少ないが、噂を聞きつけた亜人たちもこの地に移り住み、街の外れにひっそりと暮らしていた。


 その通りを、三つの影が並んで歩いていた。


 一人は俺──ノエル・レイフィールド。十七歳になった今、身長は成人男性に近づき、隣を歩く彼女を見下ろすくらいには成長していた。


 その彼女──エルミアは、七年前から寸分違わぬ外見のままだ。銀白の髪も、冷ややかで澄んだ紫の瞳も、そして整いすぎているほど整ったエルフの顔立ちも、時の流れから置き去りにされたように変わらない。まるで年齢という概念だけが、彼女の前では無力だったかのように。


 ふと視線を横に向けた俺は、わずかに口元を緩めた。幼い頃はいつも見上げていた背中を、今は自分が追い越している。それでも、その背中の頼もしさは、何も変わってはいなかった。


 「おとうさま〜、まって〜っ!」

 

 少し遅れて、軽やかな足音とともに追いついてきたのは、フィーネだった。


 ふわりと揺れるミントグリーンの髪に、あどけなさの残る笑顔。以前は花びらのように小さく頼りなかった手足も、今では年相応にすらりと伸びている。幼児から少女へ──まるで季節が巡り、新芽が蕾へと育ったような、そんな印象を与えた。 


「……フィーネ、走ると転びますよ」


 エルミアが変わらぬ無表情で忠告するが、フィーネは「はい、お姉さまっ!」と元気に返事して、俺の隣にぴたりと並んだ。


 ノエル・エルミア・フィーネ──

 

 出会って以来、ずっと一緒にいるこの三人で、少しずつ、けれど確実にこの村を育ててきた。気づけば、それはもう“村”と呼ぶには足りないほどの姿になりつつある。


 俺たちは市場を抜け、郊外の小高い丘を登ったところで足を止めた。

 

 丘の上から見下ろせば、風に揺れる屋根瓦や煙突の煙が、まるで絵のように広がっている。あの日、ただの辺境の集落だった場所は、今や確かに“街”と呼べる姿に近づきつつあった。


 街の外縁には、朝霧に濡れた畑が一面に広がっている。

 

 薄紫の花を咲かせるアレンカが柔らかな風に揺れ、甘やかな香りを漂わせていた。養蜂箱の周りでは、蜜を集める蜂たちが忙しなく飛び交っている。小麦、ライ麦、根菜、ハーブ──土地の性質に合わせて導入した作物たちが、陽を受けて静かに育ちつつあった。


 「……ここまで、来たか」


 俺は小さく呟く。誰に聞かせるでもなく、誰の評価を求めるでもなく。ただ、自分自身への静かな確認だった。


 七年前、この村は“辺境の果て”と呼ばれていた。

 

 だが今は、違う。

 

 俺にははっきり見える。希望が、確かにこの地に芽吹き始めているということが。


 * * *


 執務室の扉をくぐると、わずかに冷えた空気と、木の油の匂いが出迎えた。

 

 かつては雨漏りすらしていたこの屋敷も、今では屋根や柱が補強され、ようやく“まともな屋敷”と呼べる程度には整っている。


 「……帰ったか」


 書斎の椅子に、深く沈み込むように座っていたのは──父、アベル・レイフィールド。その背中は、かつての面影をかろうじて残しながらも、どこかひと回り小さくなって見えた。


 白髪が目立ち、髪も薄くなり、頬の肉は削げ、骨張った輪郭が目立っている。肩に羽織る古びた外套も、この屋敷の寒さをしのぐには頼りなく、見る者に寂しさを感じさせる姿だった。


 体調は以前から芳しくなく、政務の多くはすでに俺が担ってきた。父自身も、そろそろ“交代”を意識し始めているのだろう。


 そんな父が、ふと口を開いた。


 「──王都からだ。……勅命だよ」


 机の上に無造作に置かれた封書を指し、父はぼそりと呟く。


 「婚姻とのことだ。ノエル、お前に」


 「…………は?」


 一拍。

 

 意味が理解できず、耳だけが言葉を拾い、思考が追いつかない。

 

 俺は無言のまま、封書を手に取った。


 重厚な蝋印に刻まれた、王家の紋章。


 ――杖を咥えた狼、その周囲を三つ編みの輪が囲む意匠。


 それだけで、この文書が“冗談では済まされない”ものだと知れた。


 紙を開くと、そこには簡潔すぎるほどの文面が、事務的に並んでいた。


『王命により、近日中に婚姻対象となる者を貴領へ派遣する。迎えの準備、ならびに相応の礼節をもって受け入れるよう手配されたし』


 それだけだ。

 

 感情も背景も、必要な説明すら一切ない。

 

 まるで──家具か荷物の引き渡しを通知するかのような、冷たい言葉だった。


 「相手は、ホーエンヴォルン公爵家の一人娘らしい」


 父が、まるで天気でも語るかのような声で続ける。だが、その一言が、俺の中に違和感と警鐘を一気に鳴り響かせた。


 「は……? 今、公爵家と仰いましたか?」


 思わず口をついて出た問いに、父は軽く頷くだけだった。

 

 その目には驚きも怒りもなく、ただ、長年繰り返されてきた“諦め”が沈んでいる。


 「相変わらず、私たちの扱いは変わらないな。中央のやることは、いつだって一方的だ」


 そう言って、父はかすかに笑んだ。だが、その笑みは苦味すら含まないほどに色褪せていて、むしろ虚ろに見えた。


 椅子の背もたれに深く沈み込んだその姿は、さらに老け込んでいるように思えた。


 俺は何も言えず、その場に立ち尽くしていた。思考が渦を巻き、まとまらない疑念と警戒心が心の奥をかき乱していく。


 (公爵家……? どう考えても、格が違いすぎる。なぜ、こんな辺境に? 誰が、何を意図して、何を──押しつけようとしている?)


 読み終えた書状をゆっくりと折りたたむ。指先にわずかな力を込めただけで、羊皮紙がしわを刻む音が耳に響いた。


 口の中には、いつのまにか苦いものが広がっていた。


 * * *

 

 屋敷の一角、かつて物置として使われていた部屋を改装した俺用の“資料室”。

 

 ランプを灯すと、淡い橙色の光が棚に並ぶ冊子や書簡の背表紙を照らし出す。

 

 静かだが、情報という熱を孕んだ空間。その空気に包まれると、不思議と呼吸が整っていく。


 ここは、俺が独自に整えてきた情報の保管庫だ。

 

 王都や別の領から定期的に届く報告文や商会の取引記録、貴族間の人事異動、そして聖教会関連の布告や噂──ありとあらゆる情報を時系列で分類し、要点ごとにまとめて保管してある。

 

 この辺境にいながら、中央の空気を読み、波紋が届くよりも早く“揺れ”を察知するための装置。それが、この資料室だった。


 机の上に王命の書状を置いたまま、俺は本棚の間を滑るように動く。探すのは、ここ数か月ほどの王都内で起きた異変──とくに、貴族階級に対する処分や裁判沙汰に関する記録だ。


 (ホーエンヴォルン公爵家……)


 父の口から出たその名が、思考の中心に居座って離れない。

 

 この国でも五指に入る名門中の名門。

 

 王家と婚姻関係を結び、代々軍務において要職を務めてきた名家が、“辺境への婚姻”という形でこの地に関わってくる理由など、常識的に考えれば存在しない。


 (追放……?)


 違和感を抱きながら、記憶を辿るように資料の束をめくる。

 

 王都での貴族会合の記録、議決文、教会の通達、そして裏から流れてくる非公式の報せ。

 

 かすかな手がかりを追うように、目を走らせる。


 ──そして、見つけた。


 一枚の薄い報告書。中央からの情報網を通じて、三日前に届いたばかりのものだ。日付、印影、文面──いずれも正規の手続きを経た公式文書。


 《ホーエンヴォルン公爵令嬢フレデリカ殿、王命により爵位剥奪および王都追放の処分に──》


 紙の端に小さく記されたその一文に、思わず息を呑んだ。


 (これか……!)


 手にした文書がわずかに震える。指先が強張り、心臓がひとつ、大きく跳ねるのが自覚できた。


 さらに目を走らせる。


 “王太子との婚約破棄”“聖教会との対立的発言”“ルミナ教・聖女侮辱罪の疑い”──

 

 いずれも断定ではなく、ぼやけた言葉で装飾されている。“疑惑”“名誉の失墜”“秩序への反抗の素地あり”──まるで裁く者側が自らの責任を曖昧にするために用意した逃げ道のような文言ばかりが並んでいた。


 証拠はない。経緯も不自然。だが、最終行にはしっかりとこう記されていた。


『以上をもって、王都への出入りを禁ずるとともに、速やかに辺境への移送を命ずる。』


 (ホーエンヴォルン家の一人娘。王太子の元婚約者。断罪、追放処分──)


 俺は椅子に深く腰を下ろし、思わず天井を仰いだ。この部屋の空気が、さっきよりもひとつ重くなった気がする。


 「……フレデリカ・フォン・ホーエンヴォルン」


 王都の学園で行われた軍事演習──。


 そこで一度も敗れることなく、圧倒的な戦果を重ね続けた少女がいた。


 炎の名門・ホーエンヴォルン家に生まれ、その血にふさわしい魔法と剣術、さらにそれらを自在に操る頭脳を併せ持つ、比類なき才媛。


 燃えるような深紅の髪。範囲一帯を焼き尽くす炎の魔法で敵を討ち果たす姿から、

 やがて誰ともなく、こう呼ばれるようになった。


 “灰燼の乙女メイデン・オブ・アッシュ”。

 

 男に生まれていたら、きっと歴史に名を刻んでいた。そう言われるほどの少女が──今、辺境に送り込まれようとしている。


 「……わけがわからない」


 呟いた声に、当然ながら返事はない。だが、心の奥に広がったざらついた感触だけは、ぬぐえなかった。


 * * *

 

 資料を棚に戻し、ランプの明かりを落とす。

 

 部屋の中に、じわりと静寂が満ちていった。


 机の上に残された書状と報告書をもう一度だけ見直して、俺は深く、長く息を吐く。

 

 そのまま椅子の背もたれに身を預け、天井を仰ぎながら、ぽつりとつぶやいた。


 「……えっ、待って。これ……もしかして……悪役令嬢ものだったの?」


 脳内に、“転生者あるある”として前世で読んだような物語の構造が、唐突に浮かび上がってくる。


 辺境。追放。政略結婚。

 

 王都から追い出された、元・名門令嬢。


 ──そんな彼女が、辺境の地で再起を図る物語。


 ……そして、なぜか俺がその“再起劇”に巻き込まれ、気づけば共闘、恋仲、最終的には国家転覆まで一直線。


 もしくは領ごと潰されて、バッドエンドに真っ逆さま。


 「……いやいやいやいや、待て待て待て」


 勢いよく頭を振った。さすがに飛躍しすぎだ。

 

 こんなテンプレみたいな展開、現実で起こるわけ──


 「俺が追放先の辺境領主? しかも政略結婚スタートの共闘フラグ? いやいや……ありえないだろ、そんな話……」


 口では否定しながらも、心のどこかで“まさか”が“ひょっとして”に変わりかけている。

 

 現実味がないはずの展開が、妙に現実的な選択肢として目の前に立ち上がってくる。

 

 その理由は、あまりにも状況が“噛み合いすぎている”からだ。


 (いや、でも……材料は揃ってるんだよな……)


 追放された名門の令嬢。腐敗した王都。辺境という舞台装置。そして──中年の人生に悔いを残して死んだ俺が、努力でここまで積み上げた“転生後の舞台”。


「……あーでも、ただのわがまま娘が追放されてきただけだったら最悪だな。はは……」


 空々しい笑いが、資料室の静けさに虚しく吸い込まれていく。その音に、自分でも少し苛立ちを覚えた。


 (……いや、笑ってる場合じゃない)


 気を抜いた瞬間、心の奥に沈んでいた不安が、じわじわと顔を出してくる。

 

 ホーエンヴォルン家。フレデリカ・フォン・ホーエンヴォルン。

 

 “才媛”とまで称えられた少女が、王都を追われ、この僻地へ──しかも、よりにもよって婚姻という名目で。


 (本当に来るのか? この地に?)


 何度否定しようとしても、現実は変わらない。

 

 根拠のある文書が、すでに目の前にあるのだ。


 問題は1つだけ。

 

 ──彼女が、俺の目的にとって障害か、助力か。それだけだ。


 書面だけでは何もわからない。どれだけ過去の記録を調べたところで、人格や意図までは見えてこない。


 (鬼が出るか、蛇が出るか)


 思考の終着点に到達したとき、ふっと肩から力が抜けた。今考えても無駄だ。


 「……よし。覚悟だけはしておこう」


 そのひと言は、自分自身に言い聞かせるような呟きだった。けれど、その声には、さっきよりも少しだけ確かな力が宿っていた。


 * * *

 

 それからの数日、俺はひたすら“土”に向き合っていた。


 農地の水路整備、新たに導入した灌漑設備の調整、山から運ばせた杭の打ち直し。

 

 屋敷に戻ってからも、作物の収量見積もりや土地台帳の確認に追われる日々だった。

 

 作業着のまま、飯を食っては外に出て、戻ってはまた地図に目を通す。まるで何かから逃げるように。


 ──いや、実際に逃げていたのだと思う。


 「覚悟する」と口では言っても、心が完全に整うわけじゃない。現実は静かに、そして容赦なく進行する。


 そう──その日は、あまりに唐突にやってきた。


 「ノエル様っ!」


 午後。納屋裏の柵を確認していた俺の前に、使用人が息を切らせて駆けてきた。

 

 ただ事ではない、と一目で分かるほどの顔色。俺は工具を放り、泥まみれの手で額の汗をぬぐった。


 「……どうした?」


 「街道に──ホーエンヴォルン家の家紋を掲げた馬車が、入ってきています! あと十数分で門前に到着するかと!」


 全身から一瞬にして汗が引く感覚。

 

 ──本当に来たのか。


 けれど、頭は不思議と冷静だった。いや、開き直っていたのかもしれない。


 「……そうか。迎える準備を」


 そう言ってから、自分の服装にふと目を落とした。膝には泥、袖口には草の汁、腰巻きには釘入れの袋がそのままぶら下がっている。

 

 作業着。完全に“現場の人間”の姿。


 「……まあ、いいか」


 先ぶれもなかったようだし、今さら着替えたところで、自分の本質が変わるわけでもない。


 使用人が屋敷の方へ駆け戻っていくのを見送りながら、俺は一人、街道の見える高台へ足を向けた。


 やがて、風に巻かれてくる蹄の音が聞こえる。遠くの街道を進んでくる黒い馬車。その側面には、燃えるような赤で描かれた紋章──ホーエンヴォルンの双翼の剣。


 堂々とした造り、磨かれた車体、そして空気すら変えるような威圧感。


(はは……流石に泥まみれはまずかったか……?)


 実際にこうして目の前にすると、さっきまで胸に抱いていた覚悟なんて、たやすく吹き飛んでしまった。

 

 思わず苦笑いが漏れる。……まあ、今さら逃げるわけにもいかない。腹をくくるしかない。


 そうだ、万が一に備えて──エルミアとフィーネには、しばらく身を隠しておくように連絡しておこう。


「さて──“悪役令嬢様”とやらを拝見するとしようか」


 風に乗って、花の甘い香りが漂ってくる。

 

 その香りの向こう側で、物語の幕が静かに──けれど確かに、開かれようとしていた。

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