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追放令嬢と異種族と、辺境領で理想の国づくりを始めました  作者: 冷凍食品
第1章「白銀のエルフと辺境の坊ちゃん」
17/50

17話「未来へ続く一本の道」

 季節が進んだ。

 

 冷たい風にさらされていた大地は緩み、陽光のぬくもりを受け入れるようになった。


 かつてただの荒れ地だった土地は、今では一面に若葉を揺らしている。

 

 風にそよぐ芽吹きの緑。そのひとつひとつが、この村の変化を語っていた。


 畑の中央では、エルミアが真剣な表情で水路を見ていた。指先をわずかに動かすと、引かれた水が枝分かれし、整然とした畝の間をゆっくりと流れていく。


 見事な制御だった。魔力を込める力加減も、水の流れを読む眼も、理にかなっていて、なにより美しい。


 手のひらで額の汗をぬぐった彼女は、わずかに口元をゆるめた。その何気ない笑みに、胸の奥がふと温かくなる。


「エルミア様、こっちも水通しましたよ」


 近くの農夫が鍬を立て、腰を伸ばしながら声をかけた。


「最近、腰の調子がいいんですよ。不思議と体も軽いし、よく眠れるようになって」


「それはよかった。食事と運動がしっかりできている証拠ですね」


 彼女の返事に、農夫は嬉しそうに頷いてまた鍬を握り直す。その光景を、俺は少し離れた場所から見ていた。


 あの頃とは違う。

 

 最初、彼女に向けられていたのは、冷たい視線だった。


 “亜人が来た” “銀髪の魔女だ” “災いを呼ぶ”――そんな言葉が、風に乗って届いてきたものだった。


 けれどエルミアは、それを振り払うように、いや、気づかないふりでもするように、ただ黙々と働き続けた。


 そして今、あの彼女のもとに――笑顔が集まっている。


「ねぇねぇ、見てー!」


 ぱたぱたと小さな足音が近づく。


 フィーネが両手を広げて走ってきた。片手には、顔よりも大きな葉っぱ。


「こんなにおっきいの見つけたの! これ、あたしが育てたやつだよ!」


 無邪気な声に、エルミアが驚いたように目を見開いて、それから微笑んだ。


「ほんとに大きいわね。……えらいわ、フィーネ」


 彼女はしゃがんで、フィーネの頭を優しく撫でた。その手つきに、少し前の尖った雰囲気はもうない。


 あたたかくて、やわらかい。彼女自身が、すっかりこの村の空気に溶け込んでいる。


 それを見ていた村人たちの顔にも、どこか誇らしげな色が浮かんでいた。

 

 この畑は、ただの作物を育てる場所じゃない。

 

 俺たちにとって、“希望”のかたちを示す場所になりつつある。


 風が吹いた。

 

 広がる畝がさざ波のように揺れて、小さな葉が陽光を反射する。


 その景色を、俺はただ見つめていた。

 

 * * *


 村に、新しい人々が加わることも増えてきた。


 遠く南方の農村から来たという薪職人の夫婦。

 

 妻は口数が少ないが、夫の方は陽気で、朝から斧を担いで森へ向かうのが日課になっている。

 

 「この森はいい。風が通るし、木の鳴きも素直だ」と、誰に言うでもなく呟きながら。


 鍛冶場の屋根の下では、別の領から来たという青年が火花を散らしていた。

 

 細身ながら芯のある動き。かつて鍛冶の町で修行をしていたらしく、ナイフから鍬まで器用に作る。

 

「剣じゃ食っていけなかったんです。ここなら……もう少し地に足のついた暮らしができそうで」


 彼らのように、どこかで居場所をなくした者たちが、この土地に少しずつ根を張り始めていた。


 * * *


 昼過ぎ。村の広場に作られた簡素な食堂では、今日も誰かが火を起こしている。

 

 持ち寄った野菜、干し肉、採れたてのきのこ。見た目こそ質素でも、香りは立派な“ご馳走”だ。


「この人参、エルミア様の畑のよね? 色が全然違うわ」


「ええ……魔力を込めて育てました。そんなに違いますか?」


 エルミアが少し照れたように微笑む。その横では子どもたちがパンをちぎり合い、背中越しに薪職人の奥さんが煮込みの味見をしていた。


 暮らしは簡素でも、そこには確かに“日常”があった。人と人が交わり、役割を持ち、ささやかでも笑い合える場所。


 村は、少しずつ“町”へ近づいていた。


 誰かの畑が広がり、誰かの屋根が軒を連ね、誰かの火が煙を上げる。そういう積み重ねが、集落に“形”を与えていく。


 * * *


 午前の光が傾き始めたころ、村の東端――草むらを切り拓いた先に、人の声が集まっていた。


「そこ、もう少し踏み固めて! 石はこの辺りに並べるぞ!」


 村の男たちが力を合わせ、土の上に“道”をつくりはじめていた。


 といっても、まだほんの仮整備だ。

 

 小川を越える橋もなければ、雨のたびにぬかるむ地面もそのまま。それでも彼らは汗まみれの顔に笑みを浮かべ、時折「次はどこだ」と声をかけ合っていた。


 俺は少し離れた岩の上に腰を下ろし、広げた地図に目を落とす。


 羊皮紙の上には、他領の他の町、商人の話で聞いた集落、森の境界や山の尾根が、簡略ながら記されている。


「……いずれこの道が、うちと町をつなぐ交易路になる。その起点が、ここであってほしい」


 つぶやいた声に、隣で地面を均していたエルミアが顔を上げた。


「私も微力ながらお手伝いします」


 エルミアは袖をまくると、両手を土にかざした。魔力がふわりと風に乗り、地面が波打つようにして整っていく。


 そして、近くに積まれていた石材がふわりと浮かび上がる。まるで見えない腕に抱えられたように、ふわふわと宙を移動し、道の脇に美しく並べられていく。


 作業をしていた村人たちが、思わず手を止めた。


「……すげえ……」


「浮いてやがる。ほんとに浮いてる……!」


「何度見ても魔法ってすげえな……」


 驚嘆と畏敬が入り混じったざわめきの中で、エルミアは特に気負う様子もなく、淡々と魔力を操り続けていた。

 

 その後ろ姿はまるで、誰よりもこの場所を“未来の町”として信じている者のように見えた。


 俺は、小さく息を吐いた。


 ――ここからだ。この場所が、誰かの通り道になり、やがて人と人を結ぶ線になる。


 そう思える未来を、ようやく現実の延長に感じられる日が、来ていた。


 * * *


 馬のひづめが土を叩く音が、遠くから小さく響いてきた。

 

 やがて、軋む車輪の音がそれに重なり、幌付きの馬車がゆっくりと村の入口をくぐる。

 

 荷を積んだ旅商人の一団だ。


「おい、見ろよ……前はここ、ただの原野と村だったろ?」


 手綱を握る年配の商人が、目を見開いたまま呟く。その隣では若い見習いが口をぽかんと開け、目をきょろきょろと動かしながら周囲を眺めていた。


 ――道がある。家が建っている。畑が広がり、規則正しく並ぶ若葉たちが朝日に照らされて輝いている。

 

 何より、人の気配がある。家の戸口に笑顔があり、畑には働く者の背中があり、道の上では子どもたちの声が楽しげに弾んでいた。


 少し前まで、誰がこんな光景を想像できただろうか。彼らの驚きようも、無理はなかった。


 案内役の村人に導かれ、商人たちはすぐに広場へと通された。

 

 干し果実と香草入りの麦茶が振る舞われ、村の女性たちが自慢の品々を木箱の上にずらりと並べていく。


「これは……なんだ?」


 1つの球のようなものを手に取った商人が眉をひそめる。それは薄い紫色の、丸みを帯びた小さな石鹸だった。


「あら、興味あるの? それはね、エルミア様の畑で採れたラベンダーやカモミールを練り込んで作った石鹸よ。とても香りがいいの」


「石鹸……?」


「水でこすると泡が出て、手や顔の汚れが落ちるのよ。お試しになる?」


 商人の鼻がぴくりと反応した。その目つきが、にわかに真剣味を帯びる。


「……これは、金になるな」


 彼は石鹸の香りを丁寧に嗅ぎ、手に取った布で軽くこすり、泡立ちまで確かめている。

 

 すぐさま隣の見習いに何かを書き取らせると、今度は蜜蝋に香料を染み込ませた保存用の蝋燭や、防虫用の薬草包みにも目を通し始めた。


 素材も技術も、素人仕事ではない。彼の目には、既に数字が踊っているのが分かる。


 しばらくして、商人は一人、俺のもとにやってきた。その足取りには、先ほどとは違う重みがあった。


「この村……いや、この“場所”は、いずれ大きく化けるかもしれんな。あんたが、仕切ってるのか?」


 俺は軽く笑って頷いた。


「そうだ。次に来るときは、きっともっと賑やかになってるさ」


 商人はしばし俺を見つめた。その目には、もはや軽い興味も疑いもなく、ただ商人としての“見極める眼差し”だけが残っている。


「若いのに大したもんだ……こりゃ本気で、商会に話を通しておくか。うちだけで抱えるには、もったいない話だ」


「歓迎するよ。交易が盛んになれば、この場所はさらに生きる。互いにとって、悪い話じゃないだろ?」


 広場の端では、見習いが積荷をまとめていた。彼らはすぐに出立するつもりのようだったが、商人の視線は名残惜しげに村の景色を振り返っていた。


 俺はその背を見送りながら、静かに息を吐いた。


 ――外の誰かが、この場所に価値を見出した。

 

 かつての荒地が村となり、そしていつか町になる。誰かにとっての通過点ではなく、“目的地”になる日が、確かに近づいている。


「……悪くないな」


 小さく呟いた声は、馬車の車輪音に紛れて、すぐに風にさらわれていった。


 * * *

 

 夕暮れの風が、花の香りを運んできた。


 村の背後にある小高い丘。その頂に、俺はエルミアと並んで立っていた。

 

 眼下に広がるのは、若葉の畝と、咲き誇る色とりどりの花々。

 

 そしてそれらすべてを、傾いた陽が柔らかく金色に染め上げていた。


「……壮観だな」


 自然と口をついて出た言葉だった。隣にいたエルミアが、ふっと目を細める。


「頑張ったかいがありましたね」


 その言葉には、わずかに照れたような響きがあった。頬にかかった銀の髪が、夕陽にきらりと光を反射して揺れる。


「ああ。だけど、まだまだこれからだ」


 俺は遠くを見やった。

 

 畑の先に続く未舗装の道。木杭で区切られたその先には、まだ何もない――けれど、何かが生まれる余白がある。

 

 交易商も、旅人も、新たな住人も。いずれこの道を辿って、この村を訪れる。


 そしてきっと、ここはもっと賑やかになる。もっと生きた場所になる。


「ねぇねぇー! また花冠つくろうよー!」


 駆けてきたフィーネが、俺たちのあいだに割り込んできた。


 手には小さな手いっぱいの花が握られている。土で汚れてはいるけれど、どれも今朝摘んだばかりの新鮮な花だ。


 エルミアが目を丸くし、それから微笑んだ。


「ふふ……もちろんよ」


 その笑顔には、かつての彼女にはなかったやわらかさがあった。誰かを信じて、誰かに応えることを知った者だけが見せる、あたたかい表情。


 俺はその横顔を見つめながら、もう一度、視線を遠くへと戻す。

 

 整えられた畑の向こう、地平線へと続く一本の道。その先には、広い空と果てしない大地が広がっていた。


 理想はまだ遠い。けれど、かすかに手が届きそうな気がする。

 

 この地に立ち、この風を吸い込む今なら、そう信じられる。


 少しずつ、確かに、前に進んでいる――


 俺はそう実感しながら、小さく息を吐いた。

 

 その胸には、まだ誰も知らない未来の地図が、たしかな輪郭を描き始めていた。

これにて1章は終了です。

2章では悪役令嬢が!? 

引き続きよろしくお願いします!

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