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追放令嬢と異種族と、辺境領で理想の国づくりを始めました  作者: 冷凍食品
第1章「白銀のエルフと辺境の坊ちゃん」
13/50

13話「ひだまりの庭と、小さな姉妹」

 ――エルミア視点


 その朝、ノエル様は早くから外出されていた。

 屋敷の裏庭に建てられた小さな温室には、春のやわらかな光が静かに差し込んでいる。


 私は手袋を外し、小さなジョウロで苗床に水をやっていた。湿った土の匂いと、葉擦れの音。魔力をほんの少し流し込むと、芽を出したばかりの苗たちがぴんと背を伸ばす。


「ふふ……いい子たちですね」


 思わずこぼれた独り言。その頃、背中に小さな気配が近づいてくるのを感じた。


「エルミア~」


 ふわりとした声に振り返るまでもない。予想通り、フィーネがにこにこと笑いながらやってきた。


「おはようございます、フィーネ。今日もお早いですね」


 返事の代わりに、彼女は私の隣にちょこんと座り込む。草の上に膝をつき、薄緑の髪を陽光に透かしながら、まるで花そのもののように微笑んでいた。


「ねえねえ、聞いて。さっきね、お花とおしゃべりしてたの」


「……お花と?」


 私は思わず目を細めて問い返す。


「うん。『今日もあったかいね~』って言ったら、『うん、ぽかぽか~』って返ってきた」


 小さな手が土に触れ、ふにっと押して感触を楽しんでいる。その姿は本当に、どこか花の精霊のようだった。


「エルミアの手も、あったかいね」


 そう言いながら、ふいに私の指先へそっと触れてくる。思いがけない接触に、わずかに心臓が跳ねた。


「……そう、ですか?」


「うん、ぽかぽかしてて、やさしいの」


 言葉の一つひとつが、まっすぐ心に届く。裏も飾り気もなくて、それがかえって少し恥ずかしい。


「ねえ、エルミア。わたしも……お花みたいに大きくなれるかな?」


「え?」


 手を止めて彼女の顔を見つめると、フィーネは土の上に手をついて空を見上げていた。あどけないその横顔には、どこか不安げな影が宿っている。


「このおうちに来てからね、土があったかくなって、空がきれいで、エルミアも、おとうさんも優しくて……だから、わたし、咲けるのかなって思ったの」


 私は、そっと微笑みを返した。


「ええ、きっと育ちます。陽の光に向かって、まっすぐ伸びて、きれいな花を咲かせるわ」


「ほんとに?」


「ほんとです。お約束します」


 フィーネは一瞬だけ黙って、それから、ぱっと笑顔になった。その表情はまぶしいくらいに無垢で、あたたかい。


 そして、ぽつりと――


「ねえ……エルミアって、お姉ちゃんみたい」


 その言葉に、私は思わず動きを止めてしまった。


「……お姉ちゃん?」


「うん。なんか、そんな感じがするの。やさしくて、あったかいひと」


 少しだけ目を伏せ、それから、静かに微笑む。


「……光栄です。こんなに可愛い妹を持てるなんて」


 温室の中には、相変わらず春の光が満ちていた。苗たちは風に揺れ、足元のハーブがほのかな香りを運んでくる。


 フィーネが「ふふっ」と楽しげに笑いながら、小さくくるりと回る。花びらのような衣がふわりと舞い、空気に彩りを添えた。


「今日も、いい日だね」


 私はその言葉に、静かに頷いた。


「ええ。……とても、いい日ですね」


 * * *


 その日、ノエル様の許可をいただいて、フィーネと共に村へ出ることになった。


 目的は“お使い”という名目だったが、本当は――外の空気に触れさせるための、小さな第一歩だった。

 

 温室だけが世界ではない。もっと広くて、もっと複雑であることを、彼女に知ってほしかった。


 村の市場通りへ足を踏み入れたとたん、その一角にさざ波のようなざわめきが広がる。


「……あれが、例の……?」


「見ろよ、肌の色。あれ、亜人だろ?」


「エルミア様はもう慣れたけど……あっちはちょっと、な」


 そんな囁き声が、確かに聞こえてきた。

 

 けれどフィーネ本人は、まるで気づいていないかのように、とことこと前を歩いていく。両手に小さな袋を抱えて、まるで遠足にでも来た子どものような足取りだ。


 その背中が、妙に頼もしく見えた。私は思わず微笑んでしまう。


 薄緑色の肌。陽に透ける淡い髪。花びらを思わせるワンピース姿。

 

 確かに人間とは異なる。

 

 けれどそれは恐怖や忌避を生むものではなく、むしろ――瑞々しい美しさをまとっていた。


 フィーネがふと立ち止まる。店先に並ぶ苗木に気づいたのだろう。彼女はしゃがみこみ、そっと小さな苗に話しかけた。


「よしよし……がんばってね。おひさま、いっぱい浴びるんだよ」


 指先で、葉に触れぬように優しく土を撫でる仕草。まるで風が通り抜けるように静かなその声に、通りすがりの老婦人が思わず足を止めた。


「……あらまあ」


 驚きというより、頬が緩むような言葉だった。


 そのとき、少し離れた場所から子どもの声が響いた。


「ねえ、お姉ちゃん! 頭の葉っぱ、味するの?」


 茶化すような声ではなかった。ただの、無垢な好奇心だ。止めようとした大人の手が動くより先に――


「うん。ちょっとだけ甘いよ」


 フィーネは真剣に答えた。にっこりと笑いながら。


 あまりにも自然で、あまりにも真っ直ぐなその表情に、私は思わず吹き出してしまいそうになった。


 そして、笑いが生まれた。


 くすり、と誰かが笑い、次いで「聞いたか?」と誰かが声をあげる。


「甘いんだってさ、あの葉っぱ」


「なんだ、喋るし、笑うし……ただの可愛い子じゃないか」


「中身、ふつうの女の子だな」


 ゆっくりと。確かに空気が変わっていく。最初のざわめきは、冷たい警戒から、あたたかな好奇心へと変わりつつあった。


 やがて、野菜売りの夫婦が声をかけてくる。


「はいはい、お嬢ちゃん。これはおまけ。今日は暑いから、冷やした甘いトマトだよ」


 差し出された小さな袋を、フィーネは両手でそっと受け取った。


「……わぁ……ありがと!」


 その瞬間、ぱあっと笑顔が咲いた。


 本当に、そこだけ陽が差したような――そんな明るさだった。


 私はその横顔を見つめながら、胸の中でひとつ、静かな想いを抱く。


(この子は――私とは違うのかもしれない)


 私は、魔法という“便利さ”で信頼を得た。

 

 けれど彼女は――“やさしさ”だけで、人の心をほどいていく。


 ノエル様の掲げる理想は、果てしなく遠くて、茨の道だ。

 

 けれど――もしかしたら。

 

 この子のような存在が、そこに花を咲かせてくれるのかもしれない。


 市場のざわめきの中。春の風に舞う花びらのように、フィーネの髪がやさしく揺れていた。


 * * *


 ――ノエル視点


 夜の帳が降りて、屋敷はすっかり静けさに包まれていた。


 書斎のランプだけが、小さく淡い光を灯している。俺はその明かりの下で、地誌の一冊をめくっていた。政務の書類ではない。気まぐれに手に取った、ただの趣味の本だった。


 ――そのとき、扉をノックする音が、静かに響いた。


「入っていい?」


 少し控えめな声。扉が開いて、小さな影がそっと顔をのぞかせる。フィーネだった。


 昼間、エルミアと一緒に村へ出かけた疲れが出たのか、少しだけまぶたが重そうだった。でも、その足取りには迷いがなく、まっすぐに俺の方へと歩いてくる。


 そして何も言わず、もぞもぞと俺の隣に腰を下ろした。肩がくっつきそうな距離で、小さな体が俺の隣にすっと馴染んでいく。ふわりと花の香りが漂った。


「……今日、いっぱい頑張ったの」


 ぽつりと落ちた、か細い声。


「そうか。偉いな」


 俺は本を閉じて、彼女に向き直る。


 フィーネは、小さく「えへへ」と笑って、ほんの少しだけ体を傾けた。


「じゃあ、ちょっとだけ……」


 そう言って、俺の膝の上に頭を預けた。


 薄緑の髪がふわりと広がり、膝の上に伝わる体温がじんわりと温かい。


 一瞬だけ戸惑い、それから、俺はそっと彼女の髪に手を伸ばした。


 するりと指が通る。しっとりとした感触で、どこまでも柔らかい。まるで摘みたての葉のように、瑞々しいぬくもり。


「……まったく。自由すぎだろ」


 そんなふうに呟いてみたけど、声は自然と緩んでいた。


 フィーネは、もう目を閉じていた。すぅすぅと、穏やかな寝息が聞こえてくる。


 頬にはうっすらと日差しの名残。市場でたくさんの人に会って、気を張っていたのだろう。けれど今は、すっかり安心しきった顔で眠っている。


 俺はもう一度、彼女の髪を優しく撫でた。


 本を読む気はすっかり失せてしまっていたけど――代わりに、何ともいえない安らぎが胸の中に灯っていた。


 こんな夜も、悪くない。


 そんなことを、ふと思った。

お読みいただき、本当にありがとうございます。

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